第11話 駄目な時の兄だ


「………………………」

「お兄ちゃん?」

「……………………………」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「……………………………………」

「おにい……」

「ごめん、話しかけないで」

「あ、うん」

「………………………」


 道路を走る軽自動車の車内はピンと張り詰めた空気が漂っていた。


 運転席に片桐秋春。助手席に妹の咲季といった配置。

 楽しいドライブになると心を踊らせていた咲季。しかし蓋を開けてみればこの不穏な空気。

 おろしたての、ノースリーブで淡い水色が爽やかなブラウスに白のプリーツスカート、ヒールサンダル、時間をかけて整えた髪…… といった気合の入った咲季に目もくれず必死に前だけを見る秋春の姿に、普段の咲季なら不満を漏らしただろう。だが、それよりも今は不安感の方が勝った。

 そして溢れ出る危機感。車内は冷房が効いているはずなのに汗が止まらない。


 話しかけるなと言われた咲季だったが、その言いしれぬ感覚に突き動かされるように……というか様子のおかしい兄へと話しかけた。


「あの〜……、お兄ちゃんさ、なんでそんな前のめりなの?」


 現在車は発進しているものの、家の前の狭い路地からのろのろと国道方面へと進んでいる最中だった。

 路地を進んで3分ほど経っているが、まだ大通りに抜けていない。ちなみに片桐家から大通り(国道)に出るまでは車でおおよそ1分程度である。おかしい。


 そして秋春の様子が変だった。どう考えても危なかった。色々と。


「集中してんの」

「いやいやそんなに強張ってたら逆に危ないって。リラックスしよ?まず普通に座ろうよ」

「リラックスしたら事故る。自動車学校でもお前はいつか事故るって教官に言われた」

「やめて?怖いこと言うのやめて?」


 あ、駄目だ。駄目な時の兄だ。兄は運転させたら駄目な人だ。

 今までの経験から咲季はそう察した。早く何とかしないとまずい。主に命が。

 十字路に差し掛かり、国道へ続く道が工事で通れなくなっていたため、住宅街が続く方へ左折。

 しかし秋春、めちゃくちゃゆっくり曲がる。怖いくらいゆっくり曲がる。


 あ、本気でまずいかも。普通に事故るかも。


 咲季は確信した。


 咲季は後続車や自転車、歩行者がどこかにいないか頭を振りまくって確認しまくってから、視線を兄へ。


「お兄ちゃん、もうちょっと速く曲がらないと危ないよ。あとここ制限速度40kmだからもう少し速度出そ?」

「速度出せば事故る」

「逆に危ないってば!!こんなノロかったら後ろの車が迷惑するから!まだ来てないけどこんなノロかったらすぐ来るから!徐行以下だから!速度上げて!」

「速度速度ってお前あれだな!?運転手適正パターン7の〝自分をよく見せようとするタイプ〟だろ!?お前みたいなやつが重大事故を引き起こすんだ!」

「やっかましいわ!なんでもいいからアクセル踏めっ!ほーら後続車きた!クラクション鳴らされてるでしょーが!」

「やだ!子供が飛び出してきたら怖いだろ!」

「分かったもういい!戻ろう!やっぱり電車で水族館行こう!ね!」

「なんでだよここまで来たのに!」

「この状況でゴネんな!!」


 ……………………。


 ………………。



 …………。



 結局。

 咲季の必死の説得によりノロノロと家に戻った二人は電車で水族館へ行く事となったのだった。



 # #


 満員電車よりかは余裕はあるが人が敷き詰められていると感じる程に混んでいる。そんな電車の車内のドアのそばの隅(背中を壁に預けられ、スマホが両手で弄れる皆が大好きなゾーン)に咲季をやって俺はその目の前に。

 休日でもない昼時だというのに混んでいる。最初灯火駅から入った時はそんなに居なかったのに途中途中の駅で段々と増えていった。やはり都心に向かえば向かうほどこのくらい混むんだろう。

 とはいえ、そろそろ目的の駅に到着するみたいなのでこの窮屈さからもおさらばだ。


 なんて思っている間にも、咲季の俺に対するディスが続いていた。


「自動車学校はなんでこんな化け物を世に放ったのかなぁ」

「またその話かよ。ていうか安全運転してたろ」

「どこをどう捉えたらあれが安全運転なの」

「速度出してない」

「あーうん、合格出した教官ひっぱたきたい」


「世も末だわー」と大仰な動作で額を押さえる咲季。一々癇に障る言い方をするやつである。服もメイクもきっちりキメて清楚な令嬢みたいなナリになってはいるが、やはり中身は変わらない。良くも悪くも咲季である。


「そういうダメ出しはお前も免許取って運転してから言え」

「鞠男カート8なら極めてますが?」

「だからなんだよ」

「私の前は誰にも走らせない自身がある!」

「お前が受かったら世も末だ」


 しょうもない会話に頬を緩めているといつの間にやら目的の駅へ到着。人の波に押し出されるように電車を降りる。咲季も続いた。

 冷房が効いた電車の中から出た瞬間、高い湿度と温度が身体に絡みつくようにねっとりと溶けた。最高気温35度だったか、多分今がそれだろう。ここらの八月にしちゃあ低めの気温だけど、一気に汗が噴き出すレベルだ。


 都心の駅ということもあってか平日の昼間だというのに駅のホームはかなりの人でごった返していた。

 若い顔が多いから大学生が夏休みで遊びに来て賑わっているというのもありそうだけど。

 とはいえ、


「こんな暑いのにこの人の混みよう、やっぱ都心で仕事とかしたくないな。こんなの毎日経験してたら絶対おかしくなる」

「えーいいじゃん賑やかで。ていうかなんかイベントあるのかな?かなり混んでない?」


 忙しなく周りを見渡しながら咲季が言う。

 なるほど。それでこんな混んでる可能性あるか。

 駅のホームに上がるエスカレーターに乗ったところでスマホを取り出し、検索をかける。


「…………お、まじであった。『あにまるフロンティア』ってソシャゲのコラボカフェが改札出てすぐのカフェであるっぽい」

「お!お!それモネちゃんが主題歌歌ってるやつ!」


 と、咲季のテンションが爆上がりした。


「誰モネちゃんて?」

姉咲あねざきモネちゃんだよ私の推しvtuber!」

「あー、絵のYouTuber」

「……すげーよ。今時vtuberを絵のYouTuberとか言っちゃうのお兄ちゃんくらいだよ。ジジイかよ」


 咲季の呆れた声に「うるせ」と返しつつ改札を抜ける。そして、外に出てすぐ右のロータリーに面した場所にかなりの人だかりを発見。その中の、駅の壁と同化したような場所にガラスの扉があり、周りに獣耳がついた可愛らしいキャラクターのパネルが並んでいた。


 おぉ、なんか久しぶりにこういうの見たな。『みるふぃーゆ』でのバイト時代にはこういう二次元系のイベントに散々連れていかれたっけ。おかげで当時やっていたソシャゲやアニメにはある程度知識がついたけど、最近は離れてたからほとんど分からない。久しぶりに何かやってみようかな。


「で、どうする? 水族館行く前に寄ってく?」


 さっきの反応からして興味ありそうだなと思って隣の咲季に尋ねるが意外にも反応は薄かった。


「え?……んー、ううん。『あにまるフロンティア』自体は分かんないから」

「そか。じゃ、バス停直行で」

「らじゃー! ちなみにバスに何分揺られれば水族館着くの?」


 人混みを抜けてロータリーを少し歩いた先にあるバス停へと向かいながら記憶を探る。


「たしか10分くらい」

「なーんだ、20分くらいあればお兄ちゃんに世の男子垂涎のシチュ、『(首コツン♡)な、なんだ咲季ちゃん寝たのかドキドキ』 を長く堪能させてあげたのに」

「何だそれ」


 いつものごとく何か言い出したアホ。


「クラスのアイドル咲季ちゃんが電車で隣に座ってウトウトし始めて頭が秋春くんの首にコツン♡ ドキッ♡ するんだよ!」


 いつものごとくアホ。


「自己肯定感の高い図々しい妄想だな」

「電車混んでて出来なかったからね! 空虚な青春まっしぐらのお兄ちゃんの夢叶えてやらなきゃね!」

「なんかなー、こいつなんでこんな上からなんだろうなー」

「強がんなよぉー、ホントはちょっと憧れてるだろぉー?」


 俺に引っ付いて「うりうり」と脇腹を拳でぐりぐりしてくる咲季。よくもまあこんな暑いのに引っ付いてくるもんだ。


「一ミリも憧れは無いと言ったら嘘になる。が」

「が?」

「そういうのは天然がいいのであって、お前のは狙ってる人工的なもんだろ。そんなもんに価値は無い」


 そういうのは性質たちの悪い幼馴染を想起させられて嫌だ。本当に嫌だ。


「何言ってんの? 計算されてない可愛さがこの世にあると思ってるの?むしろ狙ってやってあげてるんだから感謝すべきでしょ。そういう所が非モテなんだよ」

「真顔で空虚な青春まっしぐらな男子の夢壊すの止めてくれる?」


 何も狙ってない天然でそういう事をしそうなリーファという例を知っているからそこまでダメージは無いけど。この世の女子がみんな某幼馴染みたいにいつも仮面被ってたら嫌すぎるなぁ。

 少なからず嘘はあっていいと思うけど、全部嘘で塗り固めたやつの相手なんてもうしたくないし。


「ふっ、まだまだ坊やね」

「最近ずっと「寂しい〜」とか言って俺の側を離れないやつがなんか言ってるな」

「いっ、言ってないし!!」


 顔を赤くして怒るお子様を鼻で笑ってやった。



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