第8話 嫁と姑

「ただいまー」


 城ヶ崎達と別れて家に帰ると、奥の方からドタドタと激しい足音が聞こえてきた。


「お兄ちゃんおかえりーー!!おかえりなさいのチューーー!!」


 音源を発見。

 リビングのドアを荒々しく開けてこちらに向けて突撃してきたタコ口のモンスターである。

 即座に臨戦態勢へ。俺の顔に向けて突っ込んできた頭を両手で全力で押さえた。


「しない」

「うるせー!唇よこせぇーー!ちゅーー!」


 頭を押さえられながらも腕を伸ばし俺の肩を掴むタコ口モンスター ――もとい咲季。明らかにテンションがバグっている。急にどうしたこいつ?

 母さん部屋だろうけど普通に聞こえるだろ。そのテンションで良いのか?


「落ち着け。どこの蛮族だ」

「オマエ、ココ、オデノナワバリ。ココハイル、クチビルオイテク」

「こえーよ離れろ」

「んだよぉー照れてんのかよー!ちゅー!」

「ああはいはい照れてる照れてるどいて」

「面倒くさそうな対応やめてもらってよろしいですかお兄様!優しい言葉遣い大事ー!」

「まことわたくし恥じらっておりますゆえ目の前から失せて頂くことは可能でございますでしょうか」

「すごい。丁寧な言葉遣いなのにトゲが全然隠せてない」


 口を尖らせて咲季が離れる。帰るなりいきなり何なんだよ。わけわからん。

 あまりの奇行に引きつつ俺は靴を脱いで二階の部屋へ。咲季も当然のように後に続いた。まじで最近カルガモの子供みたいだなこいつ。


 俺の部屋に入ると咲季が「ねえねえ」と背中をつついた。


「舞花と上手くいった?」

「え?あー、うん。まあ、誤解は解いてきた」

「ほうほうそれはなによりで。で、何話してきたの?」

「何って、特には……、あー、けど最後に……」

「最後に?なに?」

「なんだよやたらと突っ込んできて」


 親友の話題だし気になるのかな、なんて思ってると、咲季は右手の人差し指を眉間に押し付けてニヤリと笑った。なんだなんだ。


「何かを舞花さんから言われた。例えば、そう、えー、んー、愛の告白、なんてどうでしょうんふふふ……」

「……古畑任三郎?」

「あたり!」


 いつからモノマネ当て大会が始まったんだよ。わけわかんねーよ全く。いつもの事だけどさ。


「愛の告白じゃないけど、海行こうって誘われた」

「は?」


 机の引き出しを探りつつ城ヶ崎から言われた事を報告すると背後であまり聞かない低い声が聞こえた。同時に感じる殺気じみた感情の気配。背中に怖気が走り、振り返る。


「なにそのハナシ?」


 そこに居たのは幽鬼のように顔面に髪を絡ませた恐ろしい顔の化け物……もとい、目を見開いて上目遣い(怖い)の咲季だった。


「海?オーシャン?スターオーシャン?」

「……お、おう、海……だけど」

「誰と、誰が、二人っきりで、ドキドキ♡夜空煌めくアンダーザスカイ・オンシーサイド……だって?」

「なんで二人っきりって事になってんだよ。咲季と凛も一緒に決まってんだろ」


 目の前まで近づいてきて俺の首に手をかけたところで、咲季は止まった。


「……ふぇ?みんな一緒?」

「皆で一緒に海に行こうって。なんで俺も誘われたのかは謎だけど」


「…………なるほど日和ったなマイマイ」


 鬼の形相から瞬時にいつものへらへらした顔に戻った咲季は勝ち誇ったように鼻を鳴らす。


「城ケ崎が何を日和ったの?」

「凛が二人で行かせようとして指示。しかし舞花が怖気づいた……ってところだろうなー」

「だからなんで二人きりが前提になってんだよ。そんなこと一言も言われてないし」


 海に誘われたのはリーファが去った後。「アタシで遊びませんか!?」なんて言った時はビビったけど、そのあとすぐに訂正して「一緒に海に……咲季と凛とアタシと秋春君で!」と言われたのだ。一回も二人でなんて言ってない。こいつのこじつけだろう。


「で、お兄ちゃんはOKしたの?」

「まあ断る理由無いしな。俺が居ていいのかは何度も聞いたんだけど、なんか、その方が良いんだって。なんでだろうな?」

「ハハハ」


 乾いた笑い。そういえば一緒に行っていいのか確認した時凛にも同じような反応されたな。


 咲季の相手をしつつ、引き出しの奥にいってしまっていたキャッシュカードを取る。


「しかしマイマイめ、私より先にお兄ちゃんを海に誘うとは侮れん。しかし!」


「けどさ、海行って何すんの?水が広がってるだけだろ?」


「そう!お兄ちゃんに海とは愚策!海というワードに無条件でワクワクしちゃう普通の人間とは違うのだよこの木偶でくの坊は。母なる海に向かって「近くで見たら汚ねーよな」とか抜かすしょうもない男なのだよははは!」


 海で遊ぶなんてしたことないから青春大臣咲季に聞いてみたら盛大に見下された。


「うるせーな。じゃあお前海行って何すんだよ」

「え?そんなの、泳いだりビーチバレーしたり浮き輪でまったりしたり、砂に埋まったりだよ」

「埋まったりって、砂浜に埋まって顔だけ出すやつ?」

「そ。砂風呂。血行良くなってる感があって気持ちいいよー。あとなんと言っても夏を満喫してるって思えるんだよね。あー、思い出したらやりたくなってきた!」

「ふぅん」

「マイマイと海行くと毎回埋め合いっこして、砂で体を人魚にしてみたり……」

「それ犬の糞とか埋まってそうで嫌じゃない?」


 言った瞬間、明らかに空気が凍った。

 ジト目になる咲季。完全に呆れ顔である。ため息ついてるし。


「お兄ちゃんさ、どうしたらそんな糞みたいな発想が出てくるの?」

「だって小学校の砂場とか公園の砂場とか掘って遊んでたらよく手についたんだもん」

「汚っ!「もん」じゃないよ「もん」じゃ!どんな治安してるの灯火市って!変質者出たり糞埋めてたり!」

「何かあったら俺に言うんだぞ」

「ちょっとやめてっ、頭撫でないで触れるな汚れるっ!」

「手のひらって便座より全然汚いらしいよね」

「なんで今言ったのそれ!?その知識今一番要らない!」


 咲季と取っ組み合いになる。

 こうなったらどこかしら触って叫ばせてやりたいが、そんな事すればド変態極まりないので自重。すぐに矛を収めた。


「とまあ、冗談はさておき、そろそろ行くか」

「へ? どこに?」

「どこにって、デート。行くだろ?」


 咲季は数秒固まり、そーだった!といったような感じで分かりやすく手を叩いてリアクション。

 次いで顔をニヤニヤと綻ばせた。


「え〜〜?ちょっと〜張り切っちゃってぇ〜。そんなに楽しみにしてたんだぁ〜? もう秋春君ってば可愛いんだから〜♡」

「…………」

「でもそんなに焦っちゃだ〜め♡ 女の子は準備に時間がかかるんだお?」

「………………」

「そんな顔しないの、安心して? 私はどこにも逃げない……ゾ♡」

「はーいありがとー。水族館ウチの近くだと小さめなのしか無いな……」

「最近のお兄ちゃん冷たい。 面倒くさがってる。彼女の可愛いたわむれをなんだと思ってるのこの人、スマホばっかりいじって。恋人関係の醍醐味を丸々無駄にしてるんだよ分かってんの? そんなだからすぐ女の子に恨み買うんだよ木偶の坊」


 残念ながら恨みを買うほどの人間関係を構築していない。


「お前のムーブが面倒くさ過ぎるのが悪い。ていうか恨み買うこと無いし」

「買ってましたー。さっきうちに来たおねーさんが怒ってましたー」

「はあ?何の話?」


 心当たりが無さすぎて咲季の嘘を疑うレベルの話である。

 しかし咲季は証拠でもあるのか、何やら手に持ったスマホをいじり出し、画像を突きつける。

 映っていたのは誰かのスマホのメモに表示された番号。電話番号かな。


「なにコレ?」

「電話番号」

「それは見りゃ分かるけど、誰の?」

「さっきわが家を訪ねてきたおねーさんのやつ。お兄ちゃんに電話しろって」


 誰だ家を訪ねてきたおねーさんって。そんな風な呼び方が似合う知り合いは櫻井さんか赤坂さんだが、咲季は二人を当然知っているし、もしかして大学のやつ?染谷とか?……まさかな。


「いや、誰だか分かんないやつに電話したくないんだけど。名前は?」

「…………なんだっけ、特徴的な……あ、リムさん、だったかな?」


 疑問が一気に氷解した。

 しかし俺の実家を知っているとは思わなかったのと、訪ねてくる理由が全く思いつかなかったので想像の埒外にいた人物である。


「リム……もしかしてあんず璃夢りむ?」

「そうそれ!その人!」

「え、家に来たのあいつ? なんで?」

「知らないよ。約束破られたみたいな事言って怒ってたけど」

「約束ぅ? なんの?」

「だから知らないって。お兄ちゃんが知らなければ私だって分かんないよ」


 杏の口からは何の事か聞いてないのか。


 なんだろう約束って。そんなのした覚えが無いんだけど。

 あ、もしかしての事か? それなら言いふらすなとは言われたし承諾したけど、誰にも喋って無いんだけどな。あいつの勘違いで疑われてる?

 ……まあ、なんにせよわざわざ家に乗り込んでくるくらいだから相当な何かがあったんだろう。


 ともかく連絡しない事には始まらない。俺が突然連絡がつかなくなった事も謝らないとだし。


「悪い、今日行きたいところ調べておいてもらっていい? 電話してくる」

「そんなのお兄ちゃんが出かけてる間に済ませましたー。お化粧も済んでますー。早く電話終わってくださいー」

「あー、ね。了解」


 準備終わってたのにあんな「そうだった」みたいな反応してたのかよというツッコミはあるが、まあ咲季だしな。うっかり忘れてても不思議じゃない。基本単細胞だし。


「お兄ちゃん」


 ふと、改まった様子で咲季に呼ばれる。しかもなんかもじもじしている。

 少し身構えて言葉を待つと、


「その、リムさん? は、お兄ちゃんと、その、どういう関係の人なの、かなぁー……なんて」

「俺と杏の関係?」


 変なことを聞いてきた。

 なんでそんな事を? もしかすると嫉妬でもしているんだろうか。咲季のこの様子からしていつもの馬鹿モードでは無さそうだから、それが一番近い気がする。ちょっと不貞腐れてるし。


 まあ確かに杏のオーラ凄いからな。あの芸能人じみた存在感のやつが俺を訪ねてきたのだとしたら気になるか。一応仮交際の身だしな。


 杏の事を思い浮かべる。


「………………」


 しかしながら杏に対して嫉妬なんて、あいつの性格を知らないからこそだ。


 俺はあいつとの関係性を表す適切な表現を頭の中で探し、やがて最もピッタリのものを見つけた。その間数秒。


「嫁としゅうとめ


 我ながらなんてドンピシャな表現だろうと自画自賛しつつ言うと、咲季は首を傾げた。


「…………はい?」

「バイトしてると細かいミスねちねち指摘してくるんだよあいつ。正論だからむかつくんだなこれが。つまり正論厨で性格悪いの。俺はそれに耐え忍んできた嫁」


 これから杏を姑と呼んでやろう。

 自分の中でほくそ笑むが、咲季は対象的に煮え切らない表情で唸っている。


「なんだよ?」

「や、思ってたのと全然違った」

「だろうな」


 色恋の話をしているのならば、リーファと同じレベルで杏とは無い。

 どちらも容姿という点においては優れているんだろうけど、中身が特殊だからな。

 杏と一度だっていい雰囲気になった事は無いし、そういう風になる杏も想像つかない。


 コイバナした事無し。あいつの浮いた話も聞いた事無し。約二年一緒のバイト先で、良く話をしていたにも関わらず不思議と恋愛話には発展しなかった。

 いや、というよりもへの興味が強くて恋愛に興味を持っていなかったんだろうけど。



 咲季に断りを入れてから一階に降り、玄関を出る


 ――今も昔も変わってないしなぁ、杏は。


 出会った当初より多少は丸くなったものの、芯の部分は全然ぶれない。

 懐かしい記憶に想いを馳せつつ、苦笑。


 生温い空気を浴びながら、姑へ電話をかけた。


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