第9話 芸能人みたいじゃん



『愚か者』


 電話をかけて出てきた相手は開口一番そう言った。

 肉声を聞いたのは約半年ぶり。同じバイト仲間であるリーファは時々電話をかけてきたりして(暇だったからとかいうふざけた理由で)一、二ヶ月に一度くらいの頻度で話していたが、現在電話の向こうの相手――あんず璃夢りむはバイトで会ったとき以外に声を聞く事なんて無い。例外はリーファが俺と杏を含めたメンバーを誘って遊びに行く時くらいである。

 あとはメッセージアプリでのやり取りがちょくちょく続いていただけか。


 とはいえそんな久し振りな知人からの第一声が説教なんて笑うしかないな。


『何を笑ってるんですか息の根止めますよ』

「こわ」

『だから笑うな不愉快』


 相変わらず同い年なのに敬語。これは誰にでもそうだ。態度がかしこまって無いから全く意味がない気がするが、本人的には敬語が話しやすいのだそう。まあ今みたいに崩れる事は多々あるが。


 しかしながら、返ってきた本気の苛立ちを含ませた声に空気が一気にピリつき、流石に焦る。


「……えっと、なにをそんな怒ってるの?」


 こいつ毒は吐くし仏頂面だし、それでいて顔の造形が整ってるからいつもイライラしている冷血仕事人間に見えるんだけど、実は怒るなんてそうそう無いくらい心の広いやつである。

 待ち合わせにリーファが遅れてきても怒らないしノンデリ発言をされても本気で怒りはしない。

 だからこんな風に本気まじ怒りが俺に向いているのは珍しくて正直かなりビビっている。


 電話越しにでも分かる剣呑な雰囲気。

 しかし何かした覚え全然無いんだよな……。


『まさか分からないんですか?』

「いやー……、そのぉ、えっと、」

『はっきりしなさい』

「ごめんなさい全然分からないので教えてください」


 こういう時にたらたらと言い訳をするものではないという教えを思い出した。ちなみにその教えは電話越しに紫色の瘴気を発生させている人物からのものである。


「今日わざわざ家に来てくれた事と関係あったり……?」


 返事の代わりに返ってきたのは一言


『約束』

「え?」

『約束をしたはずです』

「あ、杏の活動の事喋るなってやつ?」

『違う』


 これが違うなら本気で見当つかんぞ。


『…………分からないならいいです』

「い、いやいや、それは駄目だって。大事な事を俺が忘れて、そのせいで杏が怒ってるんだったら思い出さないわけにいかないって!」


 このままスルーはクズ過ぎる。思って引き止めるも、


『じゃあ思い出して』


 飛んできたのは無茶振りである。


「……いや、だからその、自力はきついので約束がなんだったのか俺に教えてくれると嬉しいかなって」

『嫌です』


 なんでだ。


『嫌なものは嫌です』

「何も言ってないんだけど」

『なんでだよって空気を感じました』


 当たってるのが怖い。


「じゃあヒントだけでも」

『嫌です』

「なんでだよ」

『それで正解されてもムカつく』

「えぇ……」


 どうしろというんだろうこの人は。


『もういいです一生忘れててください若年性認知症のゴミ虫』

「いや、ほんとごめんって、今後こういう事が無いようにするから許して」

『嫌です』


 すごい。イヤイヤ期の子供みたいになってる。


 しかしまあ、ここまで言って教えてくれないんだったらもう一生教える気は無いんだろうな。こうなると頑固だし。

 なんの約束をしたのかは気になるし知っておかなければ落ち着かないんだけど、俺が覚えていないのが悪いと切り替える他ないだろう。俺が知るには自力で思い出す以外には無い。


 ならばどうするか。

 答えは一つ。全力でご機嫌取りをするしか無い。


「じゃあ、提案」

『はい?』

「『亜細屋あじや』のふんわりマロンケーキ奢る。それで手打ちとしませんか」


 ご機嫌取りその一、食べ物で釣る。

 杏は黙った。

 うんうん、効いてるな。


「今日は予定があるから無理だけど、明日以降ならいつでも大丈夫。というか明日行こう。そうしよう」


 こういうのは早めに行かないとなあなあになって後悔する場合があるので素早く予定を取り付けると、


『なんで知ってるんですか?』

「え?」

『わたしが『亜細屋』のふんわりマロンケーキが好きだって言ってたこと』


 数瞬の沈黙。

 問われて、しまったと思った。焦って要らんことを言った。

 なぜ杏の好みのスイーツをピンポイントで知っているのか。それにはちょっとキモい理由があるので言うのははばかられる。スイーツを奢るとか大きい枠組で言っておけばよかったな。


『もしかしてというか、わたしのオンスタ見てるんですか?』


 いきなり核心に迫られてどきりとした。


 オンスタ――自身の日常の出来事を気ままにネットに投稿できるSNSアプリの名前。

 店の宣伝等にも利用されている。似ているアプリはツブヤックスとか。

 かく言う俺のスマホにも(以前は)入っていた。アカウントだけ作って何も投稿せず、についての投稿を見る用に。


 実を言うと杏璃夢は読者モデルである。しかも結構人気の。

 母親の友人が芸能事務所の人で、バイトとしてやってみないかと誘われてなってみたらしい。


「いや、まあ、杏、ツブヤックスで何も呟かなくなったじゃん? だから生存確認のために……みたいな? モデルの活動の方はどんな感じなのかなーって、好奇心がね?」


 ツブヤックスのアカウント(モデル活動とは関係ないもの)は教えてもらったけど、オンスタの方は勝手に検索して勝手に見ていた。

 勝手に見ていた理由は何となくとしか言えない。


 杏は有名な読者モデルみたいだから、調べてみたら出てくるんじゃね?

 ↓

 ネットで検索をかけたら読モ活動中心のオンスタのアカウントがトップに出てきた。

 ↓

 たまーにオンスタの投稿を見るようになった。


 という流れである。その過程でふんわりマロンケーキが好きだという投稿を偶然見たわけだ。

 だからまじでネトストに勤しんでいたわけじゃない。決して違う。断じて違う。俺は単に「芸能人みたいじゃんすげー」みたいな純粋な気持ちで見ていただけで他意は無いんだ。


 と、長ったらしく言い訳しても信じてもらえなそうだよなぁ。


『……………』

「ごめん、引かないで欲しい。行動だけ見たらまあまあキモいけど別に変なアレは無いから。まじ。ホント」

『ネトストですか気持ち悪いですね』

「だから違うって!」

『冗談です』


 なんて分かりにくい冗談か。


『まあ、今回はそれで許してあげましょう』

「お、おう、ありがと」


 意外とあっさり引いてくれて少し拍子抜け。どころか少し機嫌が良くなったまである。そんなにふんわりマロンケーキって美味いのかな。確かオンスタの写真を見るに、食パンみたいなやつにマロンクリームがのってるみたいな見た目だったけど。


「そんなに好きなんだ」


 ドン!


 思ってたよりスイーツ好きなんだなーと思って言葉を発した後、鈍く何かが落ちたような音が電話越しに聞こえた。

 その後、ガサガサ音。


「どうかしたの?」

『す、すみません、スマホ落としました』


 あー、ね。こういうふとした時に落として画面割るんだよなー。


『それであの、今のはどういう、意味ですか』

「ん? どれが?」

『ですから、その、わたしが、好きとか……』

「は? だから好きなんだろ? ふんわりマロンケーキ」

「……………………」


 な、なんだ? なんの確認? 怖いんですけど。沈黙も怖いよ? なんでため息ついてんの?


『よかった。所詮片桐は片桐』

「意味は分からんが馬鹿にされてることだけは分かるな」

『わー賢い』


 この野郎。

 まあこの舐め腐った態度こそ杏って感じだよな。

 いつもの調子に戻ったみたいだから良しとしようか。


「それで、明日のいつにする……っていうか明日で大丈夫?」

『はい。問題ありません。時間も片桐に合わせます』

「じゃあ11時に灯火駅でいい?」

『はい』


 予期せず明日の予定が決まった。

 しかしながら、久し振りに会えるとなるとワクワクするというか、単純に嬉しいな。半年も会っていなければ積もる話はいくらでもある。



 その後ちょこっと話をして、続きは明日会った時にと通話を切ろうかという雰囲気になった時、杏が「最後に一つだけ」とどこかの刑事みたいな台詞を言って来たので、俺は次の言葉を待った。

 ……すると。


『あの……片桐は、彼女……、が、できたんですか?』


 杏にしては珍しく歯切れの悪い問いに俺は目を点にする。


 なんで急にそんな話が? と思ったが、そこで頭がフル回転。とある事実を思い出した。

 そういえば我が妹あほと杏が数時間前に邂逅を果たしていたのではなかったか。


 そしてそこから導き出される答えは……



「もしかして黒髪ロングのアホ面したアホが俺の「未来の嫁!」とかなんとかほざいてたりした?」

『黒髪ロングの凄く可愛い子が片桐の「未来の嫁」って言ってました』



 思わずでっかいため息が出た。

 もちろん咲季へ向けて。

 今さら否定するわけじゃないけどさぁ、けどさぁ、流石に他人に言う事じゃねーだろうがよ。これで俺が否定しなかった後に妹って分かった時やばいだろうがよ。

 考えて物言えないのかなあのちゃらんぽらんは。


「あー、うん。なんつーか、」

『……はい』

「ウチの脳みそゾウリムシがなんかごめん」


『……はい?』



 この後あいつのアホさ加減を懇切丁寧に教え、恋人という認識を断ち切っておいた。





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