章末二 スウィートキャンディ(2)

「咲季ー、まだー?」

「まってーー!なんか上手く結べないからちょっとまってーー!」

「先行っていいかー?」

「まてって!まってくださいと申しておるではないですかお兄様!せっかちでございます!」

「そろそろ待ち合わせ時間になるんだよ。誘った俺が遅れるとかあり得ないだろ。ていうかお前髪型のセットに何分かけてんだ」

「だって、だって、ツインテにするの久し振りなんだもん。納得いく形に揃わないんだもん」

「じゃあいつもみたいに下ろしていけば?」

「やだ!今日はツインテの気分なの!」

「…………………」

「あの、人に聞こえる声でため息つかないでくれます?」

「めんどくさいなって」

「酷い!身も蓋もないよ!純情な乙女心を察して!お兄ちゃんみたいな男が別れた後にごみ屑ノンデリ彼氏としてネットに名を連ねるんだよ!」

「はいじゃあごみ屑のノンデリなので先行きますー」

「まって、まって。一緒に行きたいのお願い♡にゃうにゃう♡まうまう♡」

「きっしょ」

「おいてめ今なんつった?」



 実家にて、咲季が退院してから数日たったある日の夕方。

 俺と咲季はいつものような言い合いをしながらいそいそと出かける準備――といっても今は咲季だけだが――をしていた。


 昼過ぎに家を出て久しぶりでもない実家へ帰り、咲季とリビングで駄弁りながら時間を潰していたのだが、一時間前に出かける準備を始めた咲季のおめかしが一向に終わらなくて痺れを切らしていた所だ。

 洗面台の大鏡の前でうんうん唸る咲季を後ろから眺める事数十分。限界である。


「私はねぇ、今まで入院してたんですよ!病み上がりなわけですよ!そんなか弱い少女を威圧的な態度で責め立てるなんて、人としての器が知れるってもんですよ!」

「か弱い?」


 退院早々牛丼大盛りにマヨネーズどばどばかけて食ってたやつがなんか言ってるよ。


 あの光景にはさすがに母さんも笑っていた。

 すげーよな、退院してからあんなに泣き出しそうで精神不安定な母さんを一瞬で笑顔にしてしまったんだから。咲季の周りを笑顔にしてしまうパワーは本当に凄い。

 退院後にどうなるかと思っていた家の雰囲気は咲季の圧倒的アホパワーによって一瞬で和らいだ。


 俺が母さんに殴られて入院した時、かなり喧嘩をしたみたいで関係が拗れていないのかと思っていたけど、この分ではその心配は杞憂で終わったみたいだ。

 喧嘩の件については、「後でゆっくり話す」とか言っていたが、まあ、この調子なら俺の出る幕は無いだろう。こいつなら上手くやる。


 今の所俺に対して母さん達が何か言ってくる事も無し。このまますんなり行くとは思ってはいないけど、何はともあれ赤坂さんと雄仁が話をしてくれたお陰だ。本当に頭が上がらない。

 赤坂さんには上げるけどな。


「んっ、ほ、よっ、よし!出来た!」


 と、本当に先に行こうとショルダーポーチを肩にかけた所でどうやらセットを終えたらしい咲季の声。

 鏡から離れて俺の傍へ寄ってきた。


「どお?」


 くるりとその場で一回転。ふわりと舞うツインテールの端を下から軽く掴んで持ち上げ、何かを期待するような笑み。

 ハイウエストのスカートも同時に舞い、さながら漫画の令嬢を思わせる。


「……なんだよ」

「きゃわいい妹が髪型変えました。ここでスマートでかっこいい模範的兄はなんて答えるでしょう」

「その誘導で出させられた言葉で喜べるのお前?」

「私はチョロいよ!」


 元気良くピース。

 喜べるんだ。


「まあ、良いんじゃない?」

「何がどう良いんですかぁ?」

「………………」

「あれ、お兄ちゃん照れてる?もしかして照れてる?照れてるのかなお兄ちゃん?私が可愛過ぎてびっくり?びっくりしちゃった?」

「………………」

「いやぁ、女性経験の無い非モテ陰キャのボクちゃんにキャパ超えの可愛さ、見せちゃったカナ☆…………あれ、お兄ちゃんそっち玄関。あれ?靴履いてる?ちょっと!?お兄ちゃん待って!ごめんなさい待って調子乗りました謝るから待って行かないで一緒じゃなきゃやだーー!」

「そういう所がなぁ、褒める気失せるんだよなぁ」

「しみじみと言わないで!」

「ちょ、おま、ベルトに掴まんな!全体重かけんな壊れる!」

「なんだ私が重いってのか!」

「重いだろ五十はあるだろ!」

「そ、そんなことないもん!わたあめ三個分くらいだもん!」


 お前はサン○オのキャラか。


「あーーー分かった分かった!一緒に行くから離せ!離してください!」

「ほんと?」

「俺が嘘ついたことあったか?」

「うん。辛いはずなのに強がって見せたりとか」


 頬をぱんぱんに膨らませながら反応しにくい事を言ってくる。


「それは嘘とは違う……」


 言葉にされると恥ずかしくて顔が熱くなる。

 ここ最近の話をしているらしい。

 俺の過去、母さんと父さんとの問題に対面して、一人でなんとかしようとしていた。

 自覚は薄いけど強がってたんだろうなぁ。それは俺の性質たちで治そうとしても治らない部分だ。自覚があった分それを指摘されるとどうにもいたたまれない気持ちになった。


 言い淀みながら咲季を引っペがしていると、



「――あ」



 不意に気配がした。


 玄関から続く廊下、曲がり角に静かに立つ人物。

 それに気付いたのは俺だけでは無いようで、咲季も同じ場所を見て固まった。

 枯れ木のように佇んでいたのは――


「お母さん……」


 寝間着姿の母さんがこちらを見ていた。

 時が止まったような静寂。

 今までの馬鹿騒ぎはどこへやら、咲季はかしこまったように俺から離れて母さんを見遣った。一応空気は読めるやつである。ギャーギャーと叫び続けたりはしない。


「……………えっと……?」


 ここに現れた意図が掴めず、俺は困惑した。母さんはおかしくなってからずっと部屋に籠っていることが多かったから、今日もほぼ部屋で過ごすんだろうと思っていた。咲季が退院してからはちょっとだけ顔を見せる機会が増えたような気がしていたが、こうして出かける時にわざわざ現れるなんて事はまだ無く、不可解で身構える。


 ――もしかしてまたいつもの発作か?


 病人の咲季を連れ回すなんてと怒り散らすのではないだろうか。

 咲季の退院から今まで、俺の来訪に対して感情的にならず事務的に接しているが、ずっとそうしているなんて、これまでの母さんを見ていたらあり得ないと思ってしまう。


 だが、そんな事は起こらなかった。


 静かにぎこちなく、母さんは手を上げ、


「いって……らっしゃい」


 言った。


「―――――――――」


 あまりの衝撃に返す言葉が見つからない。


 いつまで無言の時間が続いただろうか。

 母さんはどこかバツが悪そうに俯いて奥へと引っ込んでいった。


「お兄ちゃん」


 咲季が服を引っ張って急かすように言う。

 そこでやっと自分が言うべき言葉が浮かんだ。


「行ってきます」



 # 


 やかましいくらいの蝉たちの鳴き声とうんざりしてしまう熱気。雲一つない空。

 嫌いだったそれが今は不快じゃない。


 苦しみさえ抱いたそれに感じるのは望郷に似た感情。そして、この夏にあるであろうに向けての苦笑のみ。


「なあ、咲季」

「なに?」


 傾いた日差しに眩しそうに目を細めながら咲季は俺を見上げた。


「ありがとな」

「なにが?」

「いや、なんつーか、その、俺が入院した時にさ、色々励ましてくれたじゃん」

「入院……あ、お兄ちゃんが泣いてた時の?」


 はっきり言ってくれなくていい。


「ま、まあ、それの事。あの時のお前の言葉があったから、こうやって頑張れたんだと思う。まだ母さんと父さんとの事は解決なんてしてないけど、その一歩がやっと踏み出せたんだって感じたよ」

「な、なに突然?」


 普段の俺らしからぬ素直な物言いが珍しかったらしく、ドン引きされた。……いや、照れてるのかこれ。

 その証拠に動揺が目に現れてた。目がすっごい泳いでた。


「えと、別に私のおかげとかじゃ……お兄ちゃんが積み重ねてきたものがあったからだと思うな!うん!」

「積み重ねてきたもの?」


 そんなものあったか?

 迷惑とか不快感なら与えてきた記憶はあるけど。

 頭を捻って考えるが、大したものは何も浮かばない。


「お前のダル絡みへの対応能力?」

「違うよお馬鹿!昔と違って、私の大好きなお兄ちゃんを分かってくれる人がいっぱいできたってこと!」


 俺の横から前まで走っていき、びし!っと人差し指を突きつけてくる。

 勝ち誇ったような、嬉しそうな顔での宣言。降り注ぐ陽の光よりも、それがとても眩しく感じた。


「……お前よくそんな恥ずかしい事を大っぴらに言うね」

「ひとえに、お兄ちゃんへの愛かな」

「はいはいありがと」

「なんだよそのてきとーな返し!お兄ちゃんは私への愛が足りない!」

「宇宙一ラブでーす」

「おざなりに愛を囁くな……っぴゃっ!」


 咲季の左手を掴んだ。


 驚いた咲季は赤らんだ顔で俺を見上げ、困惑。


「にゃ、な、ふぇ?」


「おざなりじゃない」


 見開いた咲季の瞳が潤んできらきらと輝いた。やがて、ゆっくりと指を絡ませてくる。

 同時に熱を帯びる顔。柄にも無くキモい事を言った。気分が高揚しているからこんな事をしてしまったんだろう。


 これはもう今の咲季との関係――仮交際に対する答えに近い。

 何をトチ狂ったんだと冷静な頭で考えるが、不思議と後悔は湧いてこなかった。

 恋だとか女性として見るだとかは正直今の所ピンとこない。だから兄妹としての愛情の延長線上でしかないのかも知れない。けど、俺をこんなにも想って、支えてくれるこいつの事を俺も支えていきたいと強く思った。


 この世で一番幸せにしてやりたいと思ったんだ。





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