章末二 スウィートキャンディ(1)
「不倫?」
「そ。ウチの医院長は私の同僚のナースと不倫しててねぇ。しかも二人同時」
「二人も!?お盛んだ!」
「院内で噂にはなってたのさ。決定的な瞬間を見たってわけじゃないんだけど、明らかにアヤシー行動が目立ってたから。一緒に休憩室行ったりとか、有給被ったりとか、普段の距離感とかね。でもやぶ蛇は嫌だったからだーれもそれに突っ込もうとはしなかった……んだけど、これは咲季ちゃんの退院のために使えるなって思ったわけよ私は!」
「……もしかして脅しみたいな?」
「咲季ちゃん、それはちょっと違うわ。話し合いよ。は・な・し・あ・い」
「わ、結愛ちゃん悪い顔してる」
「いやー、実際赤坂さん凄かったよね!この事話したら「任せてください」って一人で医院長言いなりにしちゃったんだもんさ!」
「……どうやったの?」
「ちょっとね。カマかけたり飴と鞭を使ったり……、頼み事をする時は色々とコツがあるのよ」
「へー、でもでも、接点無いのにどうやって話しかけたの?」
「どうやってって、普通よ?櫻井さんからどの人が医院長さんと不倫してるのか聞いてたから「鈴木さんの従姉妹です。お姉ちゃんと不倫してますよね」って」
「わー!度胸あるー!」
「医院長さん動揺したから、そこからはこっちのペースに持ち込んだだけ」
「おおー!そっからアレだよね!「バラされてくなければ……ジロジロ。ふひっ、分かってるよなぁ……ニタニタ」ってやつだよね!」
「なにそれ」「何かのネタ?」
「………………」
「………………」
「えっ……、あ。あー、そのー、なんとなく分からない?」
「ええ」「うん」
「じゃあいいよ!知らなくていいの!うん!あっ、あー!お兄ちゃんやっと帰ってきた!おーいお兄ちゃーーん!」
「あ?お、おーす」
トイレから帰って来るなり、おしゃべりに夢中になっていた咲季が立ち上がってぶんぶんと手を振ってきた。
小さく振り返し、靴を脱いで自分の席へ。もう一人、俺と連れションをしたやつも続いた。
「お兄ちゃん長かったね。便秘?」
「こういう場でそういう事言わないでくれる?単純に混んでたんだよ」
「便秘なら言ってね。女の子はいつだって便秘に気を使ってるんだから。力になれるよ!」
いやそんな、女の子はオシャレに気を使ってるみたいに言われても。
ドヤ顔でサムズアップする咲季だが、後ろの女子二人は巻き込むなと言わんばかりにノーリアクションだ。事実だったとしても当然の反応である。
「アキ君達がトイレ行ってる間に飲み物来たわよ」
赤坂さんがテーブルに指を向けた先には酒とソフトドリンク、枝豆等の簡単なつまみがあった。
「待たせてすみません」
「良いってことよー!なんたって今日は片桐大先生の奢りなわけだからね!」
ニカっと満面の笑みでグラスのビールを持ち上げる櫻井さんはなんだかいつもより機嫌が良さそう。誘った時タダ飯と聞いてめっちゃ食いついてきたもんな。
「じゃあ早速乾杯しましょうか」
「おーい、なんか口上ないの片桐くーん?」
「えっ、いります?」
「いるいる!」
「私も聞いてみたいわ」
「お兄ちゃんがんばー!」
すぐに乾杯しようと思ったのになぜか前置きのスピーチを望まれる俺。
いやなんで?要らないでしょ。飲み会前の挨拶とか朝礼の校長のスピーチみたいなもんじゃないの?
思いつつも感謝の念がある櫻井さんから言われてしまうと断りきれない。
「えぇ……じゃあ、まあ、色々おめでとうっていうのと、あと、皆さんにはお世話になりまして……」
「はいかんぱーい!」
「ちょ、おい!」
俺が必死こいて言葉を探している間に咲季が乾杯してしまった。
櫻井さん、赤坂さん、ややウケ。
グラスをかち合わせる音が鳴り、俺も一人ずつグラスを合わせる。
終えた後、隣の咲季を睨み、
「……お前ね」
「だってお兄ちゃん固いんだもん。干からびたお米かと思ったよ」
「振っておいてそれはねーだろ」
「ふはは、まあ苦しゅうない。近う寄れ近う寄れ」
「って言って自ら寄ってくんな。暑い」
「ひどい!」
と言いつつ楽しそうな咲季に苦笑。
つい最近まではこんな笑顔がまた見れるなんて思ってなかったから自然と頬が緩んだ。
グラスのビールを一口飲みながら店内を目でなぞる。
程よい明るさの店内には他の客も多く、家族連れや学生、おじさんおばさんでひしめいている。時折はしゃぎすぎな大声が聞こえて来るが休日だから仕方ない。テンションが上がってるんだろう。
まあ、休日だからと言うよりは今いる店が居酒屋だからなんだけど。
灯火駅近くにあるチェーン店の居酒屋。広めの店内を奥に行った場所にある座敷席。その一画のテーブルに俺はいた。メンバーは五人。
まず一人。テーブルの真ん中に俺、片桐秋春。
二人目。俺の右横で控え目に笑って話をしている、ハイウエストのスカートを着たツインテール姿のアホ面、咲季。
三人目、テーブルを挟んだ目の前でビールをがぶ飲みしつつ良い気持ちになっているTシャツ&ジーンズの女性、櫻井さん。
四人目、俺の左横で上品に梅酒のグラスを傾けている性悪クソ女。
ここまでは最近はお馴染みのメンバーなのだが……
「片桐さんも律儀だね」
ここに新たな五人目。
呆れたような、感心したような声色で俺に話しかけてきた大学生くらいの男子。
身長170cmほど。大学でよく見る、夏用の上着(サマーカーディガンとか言ったか)を羽織った垢抜けたファッション。癖っ毛気味の短い髪。気圧されてしまうような鋭い目。菊池の弟である、菊池
櫻井さんの隣でグラスのメロンソーダをちびちびと飲み、微妙に居づらそうにしている。
まあ、半数初対面だしなぁ。
この飲み会(?)に誘った時は来てくれるなんて思ってなかった。
「……律儀って、何が?」
口に入れていた枝豆を飲み込んでから聞くと、雄仁もテーブルの中心に置かれた枝豆に手を伸ばしつつ、
「お礼っしょ?ご馳走してくれんのって。片桐さんのお袋さんの勘違いを正した時のさ」
「まあ、うん。そう、だね」
そういうのを面と向かってはっきり指摘されると面映さが発生するから止めてくれ。
「別にそんな気にしないでもいーのに。ただの気まぐれだし。赤坂さんに頼まれた時は面倒だから断ろうって考えてたし」
「面倒なのに引き受けてくれたんならなおさらお礼すべきだろ」
「言葉のお礼だけで良かったんだけど……ま、いいや。一食分浮くのは大歓迎だ」
言って、雄仁は枝豆を美味しそうに頬張った。
そう、今このメンバーに集まってもらったのは先日の咲季退院のための一連の流れで手伝ってくれたお礼のためだった。
数日前から咲季にどういうお礼をしたらいいのかと相談し、最終的に〝ご飯を奢る〟という結論となった。
最初は一人一人に菓子折りを渡そうかと考えていたが、「娘さんでも貰いに行くんですかお兄ちゃんは」と反対されてしまい(未だに何が悪いのか分からん)、「やれやれ、もう私の退院祝いパーティーに招待って事にした方がお互い楽しい気持ちで済むと思いますよお兄様」と哀れみ混じりの上から目線でのたまわれ、今に至る。
お礼なのでもちろん全額俺負担。食べ放題飲み放題全員分となれば結構な額。日雇いのバイトでなんとか凌いだけど、まじでこれからちゃんとバイト探さないと駄目だな。自由に使える金が尽きてしまった。貯金はあるけど、何かしらの緊急時のために取っておきたいから崩したくない。
前のバイト先って今募集やってんのかな。
「アキ君、本当にお金大丈夫なの?」
左隣の
美容室にでも行ってきたのか、髪がいつも以上に綺麗に整っている。耳の辺りで入れた編み込みが良い
「気にしないでいいんで」
「無理しないでね?お姉ちゃんいつでも力になるわよ?」
「大丈夫なんで」
「でも嬉しいな。私を食事に誘ってくれるなんて思ってもみなかったもの」
「一応、お礼はお礼なんで」
「こうやって一緒にご飯食べるのはいつぶりかしら?中学生の時にクレープ分け合いっこして以来?」
「そうかもですね」
「懐かしいなぁ、今度一緒に行く?」
「いえ、お気になさらずお一人でどうぞ」
「またそういう態度」
赤坂さんはまたいつもの嘘くさい膨れ面で俺をじとっとした目で見つめた後、何か思いついたように薄く笑んだ。
すると半ばしなだれかかるようにぴたりとひっつく赤坂さん。
え、いきなり何なのこの人。
戸惑っていると、
「でぇぇい!」
「おっぶ!」
咲季が間に入り込んできた。
俺を引き倒すようにして赤坂さんから離し、完全にブロック。
「何すんだよ」と文句を言うが咲季は綺麗に無視。
「結愛ちゃんてばお酒弱いの?私が支えになるよ〜」
「別に弱くないわよ?」
「ふーん?」
「なあに?どうしたの?」
「別に、何でもないよ」
「えー?本当かしら?」
「…………」
何故か睨み合いが始まった。
剣士の鍔迫り合いかのような迫力。あれ、こいつら仲良くなかったっけ?少なくとも表面上は。
……あ、もしかしてこの女咲季を
「私、最近良くアキ君とデートするの」
大当たりだった。
「ふーーーーーん!!」
「いでっ!いでっ!!ちょ、咲季止めっ、殴んな!デタラメだよっ!デートなんぞしてなっでぇっ!!」
「ふふふふふふふ」
「あんたも笑ってんな!脈絡無くふざけた事を……っ、絶対わざとだろっ!」
「ええそうよ」
くたばれ!
「ちょっとー!三人だけで盛り上がんなよー!ねー……、えっと、菊池君!ね!」
「えっ、ど、ども」
「ホラ!菊池君もこう言ってるっ!私達もその
「櫻井さん酔ってます?」
「片桐君よく言ってくれたっ!私酔ってまふうまー!タコワサうまー!」
だいぶキてるな。
今ビール半分しかいってないはずだけど、結構弱め?酒に強いイメージだったんだけどな。まあこっから滅茶苦茶飲むタイプかもしれないけど。
「お兄ちゃんは!私が寂しくて寂しくてしゃーない時に!結愛ちゃんと!アチチな夏の蜜月イチャラブタイムを過ごしていたわけですか!?」
まだ怒り冷めやまぬ咲季は俺の胸ぐらを掴んで顔をずいっと接近させた。言ってる事は意味不明だけど。
「してない」
「お家デートくらいよね」
クソほどいらん補足が赤坂馬鹿野郎から飛んできた。
「いつしたんですかねそんな事」
「忘れちゃったの?つい最近アキ君から誘ってくれたでしょう?櫻井さんが偶然ウチに来た日の事よ?」
「あれをお家デートと呼べるんですね凄いですね」
「お、お、おおっ、お家デ……、つつつつまり……」
咲季が青褪めてわなわなし始めた。
不愉快な妄想を脳内で繰り広げてやがるな。全部表情に出てる。
「お前さ、いつもは俺を非モテ非モテって煽るくせにどうして赤坂さんと何かあるって思うんだ?」
「結愛ちゃんは優しいからワンチャンある!哀れみを刺激して押せばいける!」
「それどっちにも失礼だぞ」
というか、赤坂さんの事まだ優しいだとか勘違いしてたのなこいつ。ある程度察してるもんだと思ってたんだけど。まあ咲季はそれが分かったとしても態度を変えないだろうが。
「お、来たよ鍋」
そんな中、少し弾んだ声は雄仁のもの。
店員さんが運んできた大きい鍋を見て頬を綻ばせていた。内訳は肉、野菜、キノコ等のオーソドックスなもの。
俺が言うのもなんだけど、この状況でマイペースだなぁ。
「嬉しそうね雄仁君」
赤坂さんが微笑ましげに言って梅酒を口へ傾けた。
言われた雄仁はいつもの仏頂面……かと思いきや、表情を崩して恥ずかしそうに目を逸し、
「あんま知り合いと飯とか行ったこと無かったからさ……」
「騒がしいのが好きじゃ無いって言ってたわよね」
「うん」
「おーう、菊池君飲んでるぅ?おぅ?キミはシャイなん?オネーさんリアクション欲しいぞー!あひゃひゃひゃ!」
「こういう人がいるから」
「ふふ、……櫻井さん、お酒頼みますか?」
赤坂さんが雄仁を護るように櫻井さんの横へ移動した。
へぇ、こういう事するんだこの人。少し感心。まあ外面良いし俺以外にはこうなのかもしれないが、なんだか外面としての優しさ以上のものを雄仁には持っている気がした。
確か雄仁とは中学生の時からの付き合いと言っていたか。そこから今まで関係が続いているって事は特別な存在なんだろう。
意図せず赤坂さんの隣となった雄仁はこれまた意図せず肩と肩とをくっつけるような状態となり、頬を徐々に紅潮させていく。
おぉ、わっかりやすい反応。
そのまま逃げるように俺の横へやってくる雄仁を追うように見つめてしまう。
「……………………」
「……何?」
照れ隠しなのか、単に気持ち悪かったのか、怪訝そうに俺を睨む雄仁。
「いや……」
流石に「この女はやめとけ」なんて言えないよなぁ。性格が破綻してるのは知らないんだろうし。
思って目を逸らすと、隣の咲季と目が合った。とってもじっとリとした視線である。
Ꭲシャツの袖を掴まれて顔を寄せられた。
「え?何?なんすか?」
「たいへんですのぉ片桐氏ぃ」
「は?」
「ライバル出現ですねぇ。結愛ちゃん取られちゃうかもねぇ」
「はぁ?」
「おや?なんとその余裕顔、もしかして「ボクちんは結愛とお家デートでチュッチュラブラブした男だぜ」という自信の表れですかぁ?さっすが性に貪欲な狼片桐秋春ですねぇ」
「何なんだよその絡み方。てかそのしゃくれ顔止めろ。普通に喋れ」
「黙れ!お家デート!ダメ絶対!言い訳かっこ悪い!」
しつけぇ……。こいつお家デートにどんだけ食い付くんだよ。してないってのに。
そしてツインテールぶん回して顔をビンタすんな地味に痛いから。
「……片桐さん大変だね。ブラコン?」
退院の解放感で気分がおかしくなってるのか周囲の人間お構いなしの咲季にさしもの雄仁も鍋に火を入れつつ同情の視線を向けてきた。
「ごめん、まじでうるさくてごめん」
「ぶ、ブラコンじゃないですっ!」
出た、外での見え張り。
城ヶ崎と凛の前でもやってたけど、やっぱり家族以外にブラコンと思われるのは恥ずかしいらしい。
ここでのやり取り見たら完全にバレバレだけどな?
「私はっ、お家デートなんてエチエチイベントを平気でするような人間がいるとなれば片桐家の沽券に関わると思いまして!怒ってるんでして!」
「エチエチて」
「だって、ねぇ!?家……お家デート……ねぇ!?密室に男女二人って、ねえ!?」
手を空中でワキワキさせるな。反応がキモ過ぎる。
「あのなぁ、確かに家には行ったけど変な考えとか無かったから」
「そんなわけ無い!じゃあ何を考えて結愛ちゃんの家に上がりこんだってゆーの!」
「お前の事考えてた」
「はぁー?お前のこ…………え?わ、私?」
「咲季のため以外でこの人に会うとかいう苦行を好き好んでするやついな――」
言いかけて、気づく。
まずい。おそらく赤坂さんの事が好きであると思われる雄仁の前でこの人の悪口を言うのは空気読めてなさ過ぎる。好きな人の悪口を言われて気分が悪くならない奴なんて居ないだろう。
お礼で呼んだのに嫌な気分にさせるなんて最悪だ。例え赤坂さんが文句言っても言い足りないくらいのウルトライカレ野郎でも。
「…………………………………………」
案の定、微妙に停滞したような気まずい空気が出来上がった。湧き上がる焦り。
「……えっと、今のは、なんというか、幼馴染ゆえのプロレス表現と言いますか、この人を侮辱する意図は全く無く……」
思いっ切り侮辱の意図はあったのだが、なんとかこの場の空気を修復しようと嘘をつく。
だが――
「あらあら」
赤坂さんはどこ吹く風。
「夏だねぇ。お熱いねぇ」
櫻井さんは酒で赤くなった顔を煽りながらニヤニヤ。
「片桐さんって、だいぶシスコン?」
気を使った相手の雄仁は何故か的外れな発言。
「あれ?」
わけも分からず首を傾げた。
そしてすぐ隣、咲季はと言うと……、
「……………………………」
口を真一文字に結び、半目状態で俺を睨んで震えていた。ただし、顔を茹でダコみたいに沸騰させて。
「え?どした?」
「…………………たの?」
「へ?」
「私の事、考えてたの?」
「まあ、あの時はそれ以外無かったな」
「…………ふーん」
「……何だよその「ふーん」は」
「別に?何でも?何でもないけど?もう、もうっ」
「え?や、ちょ、なに?まじで何?」
ついさっきとは打って変わって明らかに上機嫌(表情に出ないように頑張っているが)で俺の身体中を人差し指で突いてくる咲季。原因が分からないと不気味である。
何故か悟った風の周囲に目配せするが生暖かい目を向けて来るだけで何も言ってくれず。
「何なの……?」
結局、自身の発言がいかに小っ恥ずかしいものだったのかに気付くのは俺の頭が冷静になった数分後であった。
悶えて死ぬかと思った。
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