第三十九話 お兄ちゃんはあなただけ


「これをアキ君に渡すのが、二つ目の用事」


 リノリウムに反響する声。

 あまりにも現実感が無くて、俺は呆然と赤坂さんを見上げた。


「なんであんたが菊池の日記を……」

「私が霞ちゃんの友達だったから」


 どこか自虐的に映る笑顔。

 この人はこんな顔で笑わない。

 だから、ふざけているなんて思えなかった。


「うそ、だろ」

「嘘じゃないわ。ほら」


 赤坂さんはそう言って俺の隣でかがんで座り、ポケットからスマホを取り出して画面を向けた。

 画面にはゲームセンターで撮ったと思われる、二人の女子が写っていた。私服姿の菊池と、赤坂さんの二人の笑顔だ。

 指が画面をスクロールすると、学校で撮ったと思われるものや近くのデパートや公園で撮った画像が何枚も表示された。

 共通するのは二人の笑顔。


「菊池が、あんたの、友達……」


 そんなばかな。今までなぜ黙っていたのか。


 だが、それならば長年続いた嫌がらせにも納得がいく。

 なぜなら俺は菊池を虐めた末に自殺させた事になっているのだから。

 ぼやけていた赤坂さんの輪郭が定まったような感覚があった。

 愛嬌があって、恥ずかしがり屋で、優しい結愛姉ちゃんが仮面を貼り付けた理由。

 中学生のあの日、教室で感情を暴発させた理由。

 それらはつまり、これを起因としたもの……?


 赤坂さんはスマホをポケットにしまい、天井を見上げた。

 整った横顔。間近で見ると、今日は化粧が乗っていないのが分かった。だからなのか、昔の〝結愛姉ちゃん〟の面影が妙に重なる。


「霞ちゃんは、中学校に入ってすぐに出来た友達だったわ。読んでる本の趣味が面白いくらいに合って、すぐに意気投合したの」


 ゆっくりとした口調で、赤坂さんは語り出した。


 見上げた先には過去の風景が映っているのだろうか。眩しそうに目を細めて微笑む。


「図書館でおすすめの本を紹介し合ったり、休日に一緒に出かけたり、楽しかったなぁ」

「……そんな話聞いたことなかった」


 当時、俺は赤坂さんとかなり親密だったと思う。日々の出来事を電話で喋り合ったりだとか、一緒に出かけたりもしていた。彼女の事で知らない事なんて無いと思っていた。


「当然よ。私が隠してたんだもの」


 だけどそれを赤坂さんは否定する。


 俺が無言で視線を遣ると、彼女は目を伏せたまま「最低な理由よ」と笑んだ。

 自嘲的な笑み。

 一拍置いて、意を決したように、


「霞ちゃんが、皆に嫌われてたから」


 言った。

 膝に置かれた、固く握られた手。

 今まで仮面の下に隠していた思いが、そこに垣間見えた。


「暗いから。臭いから。空気読めないから。家が貧乏だから。そう周りから言われていた霞ちゃんと友達だなんて、私は公言したくなかったの。霞ちゃんと友達だって知られたら、私までそういう目で見られるんじゃないかって。それなのに友達だなんてうそぶいて、可笑しいわよね。本当に、最悪」


 矢継ぎ早に紡がれた言葉は、赤坂さんの懺悔のように感じられた。


「霞ちゃんといる時間は、本当に楽しかったの。ずっと一緒に居たいって思えたくらい。だけどそれと同じくらい、周りに友達なんだって知られたくなかった。怖かった」


 少しだけ息が荒くなっていると感じたのは気のせいではないだろう。


「そんな、汚い自分が嫌いだったわ。変わろうって何度も考えたけど、根底に染み付いたものは簡単には変えられないのね。……思うだけで、行動に移せなかった」


 そんな矛盾を抱えながら、二年を過ごし、そして三年の夏、事件が起こった。



 菊池の自殺。



 赤坂さんにとってもそれは突然の事だったらしい。


「霞ちゃんが自殺したのはアキ君のせい。学校中の人が口を揃えてそう言ったわ。私も、段々とアキ君が悪いんだって考えるようになった。火のない所に煙は立たないって言うでしょう?もしアキ君が何もしていなかったとしても、アキ君と関わったから悪い人に目をつけられたんじゃないかって思った」

「だから、あんたはずっと俺に……」


 この人が俺に嫌がらせをする理由。それがやっと分かった。

 復讐。

 菊池を死なせる原因を作った俺が許せなかったんだ。


 菊池が自殺したのは、俺が原因じゃないなんて言えない。あれは、辻堂が斡旋した援助交際が引き金だ。

 そして、俺が辻堂の行いを見て見ぬ振りをしなければあんな事にはならなかったかも知れないのだ。

 結局俺は辻堂あちら側の人間だった。

 それだけで罪だ。だから赤坂さんの今までの、俺に対する行動は正当なもので文句のつけようもなかった。


「謝って許して貰えるとは思わない。けど、謝らせて欲しい。本当に……、」

「止めて」


 肩を優しく掴まれる。


「違うって、分かってるでしょう?」

「え?」


 突然言われて、何がなんだか分からなかった。


。ただ私が誰かを悪者にしたかっただけなの。霞ちゃんを死なせた悪者を罰して、最低な私でも霞ちゃんの友達なんだって、思っていたかっただけなの」

「…………」

「だからアキ君は、堂々と前を向いて欲しいわ」


 俺が悪くなかった?

 まるで菊池の自殺の真相を知っているような口ぶりだった。


「あんたは何か知ってるのか?菊池が自殺した理由」


 俺の質問には答えず、赤坂さんは立ち上がって階段を降り出す。

 なぜ菊池は死ななければならなかったのか知りたい。心の中に常にあった思いが大きく膨れ上がり、俺は声を荒げた。


「おい!」


 赤坂さんは立ち止まって振り向き、


「日記を最後まで読んでみて。私が話すよりずっといいはずよ。霞ちゃんのお母さんも、アキ君に見て欲しいって言ってたわ」


 菊池のお母さんが?


 よく覚えている。あの人は、俺が母さんと一緒に謝りに行った時殴りかかってきたから。

 だからこそ菊池の遺品を俺に預けるなんて信じられなかった。


「それ見て元気が出たら、咲季ちゃんに会いに行ってあげてよ」

「は?」

「〝お兄ちゃんに会いたい〟って。咲季ちゃん」


 言葉に詰まった。


「……そんな事言っても、俺は、咲季の家族じゃ…………」

「それは咲季ちゃんが言ったの?」

「え」

「おじさんとおばさんが言っただけよね?を気にするの?咲季ちゃんにとって、お兄ちゃんはあなただけなのよ。誰も代わる事なんて出来ない」


 あまりにも真っ直ぐに、赤坂さんが俺を見ていたから。


「半年前から、アキ君が頑張ってきたのは誰のため?一番大事なのは誰?私が悪口を言って、あなたがあんなにも怒ったのは、誰のためだったの?」


 そんなの、言われないでも分かってる。


「優先順位を間違えちゃいけないわ。そうしないと、私みたいになってしまうから」


 混乱していた。俺にどうして欲しいのか、意図が読めない。今まで俺に嫌がらせをしていた相手なのだ。そんな相手が俺に気遣うような言葉を投げている。心が追いつかなかい。

 ――だけど、真剣そのものだというのは伝わってきた。


 去り行く彼女の足取り。

 それが遠くなって聞こえなくなって、残されたのは一冊の日記。


 俺のために泣いてくれた菊池の姿が浮かぶ。あいつが生きていたら、こんな時にもボロボロに涙を流して元気をくれていたんだろうか。

 そう、せん無い事を思いながら俺は日記を捲った。


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