fragment6 結愛の章(1)
2013年 9月3日
日記にこういう事を書くのはおかしいかも知れないけど、決意が揺らいでしまうのが怖いので、文字としてここに残します。
私は援助交際をしています。お金のためです。
私の家はお金がありません。父は物心つく前に事故で亡くなり、母が一人で私達姉弟を育てていました。
けれど母は体が弱く、それが理由で仕事をやめる事がよくありました。お腹が空いたと涙を流す弟と、それに謝る母の顔が日常の風景でした。
まだ子供の私に何が出来るだろうと考えた末、私は自分の体を売ることにしました。悪い事だと分かっていました。それでも、母と弟の笑顔が見れるならと頑張りました。
けど、それも限界です。男の人が私の身体に触る度、悪寒がして、色々な感情が溢れてきて、吐いてしまいそうになるのです。首を締められたり、殴られたり、学校で行為を強制されたり、避妊具を外されたり。苦しくて止めて欲しくても弱虫の私は怖くて言えませんでした。
死んでしまおうかと考え始めていた時、片桐君に出会いました。
片桐君はとても乱暴で、すぐに暴力を振るってしまうような酷い人で、私と相反する人です。暴力で誰かを傷つける彼は尊敬出来ないし、好きにはなれません。でも同時に、片桐君はとても真っ直ぐな人でした。片桐君と会って話す内に、彼のように生きられればと、密かに憧れました。上級生にも先生にも物怖じしない鮮烈な姿に勇気を貰いました。
今日、私は一歩を踏み出そうと思います。
全部断ち切って、終わらせます。
そうすれば胸を張って家族と友達に会えるから。
――――――――――――――――――
日記を読み終えてふと顔を上げると、霞ちゃんのお母さんが口を押さえて泣いていた。指を伝って床に落ちる雫は止まる事なく、傷んだ床板を濡らす。どうして泣いているのかは分からない。9月13日――霞ちゃんが亡くなった日にどんな事を思っていたのかを知って涙を流しているのか。それとも、娘を自殺に追い込んだと思っていたアキ君への誤解が解けて、アキ君に酷い仕打ちをした事を懺悔しているのか。
線香の匂いを辿って視線を移すと、仏壇の写真の中で霞ちゃんがぎこちなくはにかんでいた。私とのツーショット写真から切り取ったものだ。
初めてゲームセンターに連れて行った時だったか。
「お金がないから行けない」と言った霞ちゃんに「奢るから!」と半ば無理矢理連れ出したんだ。良く覚えている。霞ちゃんと過ごした時間は色褪せずに、私の中に生きている。まるで昨日の事のように。
だから、この胸に刻まれた痛みも、後悔も、自己嫌悪も未だ消える事は無い。
どうして私は霞ちゃんの側にいてあげられなかったんだろう。
どうして私は霞ちゃんの力になってあげなかったのだろう。
どうして私は霞ちゃんを裏切ってしまったのだろう。
どうしてこんな汚い私を、誰も罰してくれなかったのだろう。
世界は理不尽だ。
# # #
「結愛ちゃんは偉いわね」
「パパも鼻が高いよ」
そうやって、小さい頃から褒められるのが当たり前だった。
大体の事は苦労せずに人並み以上に出来た。
例えば勉学やスポーツ。人間関係。
「素敵」「凄い」「羨ましい」。そんな言葉は日常茶飯事で、言われない方が珍しいくらい。そんな人生。
だから小学生の時、私はいつでも人の輪の中心にいた。否定や拒絶を知らなかった。私を中心に世界が回っている気さえした。
テストで満点を取ったり、スポーツテストで一位を取ったりするのが普通で、それを周りの友達は持て
それが嬉しくて、私は一層勉強やスポーツに励んだ。
それが狂い始めたのが、小学五年生になってから。
小学五年生の3月。私は卒業式に六年生の男の子に告白された。格好良くて、前から女の子に人気がある人だった。
結果として私はその男の子の告白を断ったのだけれど、それがまずかった。
その男の子が振られたという噂がクラスメイトの女の子達の耳まで届いたのだ。
「赤坂さんは調子に乗っている」「〇〇先輩を振るなんて信じられない」「何でも出来ると思ってわたし達を見下している」
そういう声が飛び交うようになった。多分嫉妬心とかそういうものを刺激してしまったんだと思う。
初めて受ける周囲からの拒絶。無視や小さな嫌がらせ。
私は怖くて震えた。悪意が自分に向いているという事がとてつもなく恐ろしかった。
教室に入る時、私に向く視線に酷く怯えるようになった。
周りの目を気にして過ごす日々が続いた。
そうして、小学校を卒業して、幸い嫌がらせの主犯とは違う中学校へ進学したのだけれど……。
中学生になった私は――自分に仮面を付けるようになった。
#
「おはよ」
「おはよー結愛!」
「結愛ちゃんおはよー」
灯火中学一年一組。
開けっ放しの教室のドアをくぐると、すぐに飛んでくる挨拶があった。ガヤガヤとしたクラスメイトの楽しそうな喧騒の中に紛れる事なく良く通る声。
視線を窓際の私の席に向けると、席の周りに集まった三人の女の子が笑顔で手を振っていた。
「おはよう」
私もそれに
「ね、結愛聞いてよ!さっきレオナがさ、あり得ない事言っててさー!」
「ちょ、ユウキちゃん!その話もう終わったでしょ!」
ベリーショートの髪をした元気に喋る女の子、ユウキちゃんが隣の女の子の肩に両手を置いてニヤッと笑む。
それに対して肩に手を置かれた女の子、レオナちゃんは肩口まで伸ばしたくるっとした癖毛を揺らして頬を膨らませた。
「こいつってば、カブトむぐっ!」
「やーめーてー!」
ユウキちゃんの口をレオナちゃんの両手が無理やり塞ぐ。
「レオナがカブトムシの
レオナちゃんの抵抗虚しく、もう一人の女の子からの告発。
レオナちゃんは唖然としてその女の子へ振り向いて、口を大きくへの字に曲げた。
「アイちゃん!なんで言っちゃうのー!」
その怒りをどこ吹く風と涼しい顔をしてるポニーテールの女の子、アイちゃんはクールに「ごめんよ」なんて言っている。
「でも、朝から笑える話じゃないか。レオナはそういう所が良いよね」
「そうそう!お前ギャグセン高い!」
「笑わなくていいよバカにして!レオナはギャグセンスなんて要らないもん!」
「何言ってんだよ。今はバイトとか高校受験の面接でもギャグセンが重要視されてるんだぞー?」
「えっ、そうなの?」
「いや、知らんけど」
「ユウキちゃーーーん!」
「うわー!レオナが怒った!」
ジェットコースターみたいなお喋りの末、カンカンになったレオナちゃんがユウキちゃんを追いかける。ユウキちゃんも全力で走って教室のあちこちの物にぶつかり、落としたりしながら駆け回った。
皆迷惑そうにしてるけれど、何も言わない。
「………………」
私はそれをなんとなしに見守りながら鞄の中から教科書を取り出し、机にしまう。
ユウキちゃん、レオナちゃん、アイちゃん。この三人はクラスの中で私と一番一緒にいる子達だ。三人とも私とは別の小学校出身で、とても話しやすい。
入学式の後の校舎案内の時に話して仲良くなって、それ以来ずっと一緒に行動している仲良し四人組だ。
「結愛?」
「ん?」
不意に呼びかけられて視線を向けると、不思議そうに私を見ているアイちゃんがいた。
「大丈夫?」
「何が?」
「や、さっきからぼーっとしてるからさ」
言われて、私は顔を触った。
あ、いけない、いけない。こういう時はちゃんと笑わなきゃだよね。
口角を上げて笑顔を作る。
「二人が朝から凄い元気だから、なんだかびっくりしちゃって」
皆が笑うと思われる場面で笑う。それは人間関係を築く上でとても大切な事だ。
それがどんなにくだらなくて陳腐なものでも、どうしようもなくどうでも良かったとしても。
そうしなければ私はまた六年生の時みたいな針の
「あはは、なにそれ。結愛って何でも出来るのにどこか天然だよね」
「それは私を馬鹿にしてるの?」
「違うよ。褒めてるのさ」
ちょっとした冗談。
これも会話のスパイスとして必要だ。
「あ、そうそう、この前言ってたグループのアルバム、聞いてみたよ」
教科書をしまい終わって、鞄を机の脇に掛けながら言う。
アイちゃんの顔色を伺うと、ちょっと嬉しそうに笑顔を見せていた。
「本当?どうだったかな?」
「二曲目の『彼方』って曲、凄い良かった」
共感だってこの上なく重要。
私の行動は全部、必死に考えて導き出した正解だ。
こうすれば相手が喜ぶ。
こんな表情でいれば受け入れられる。
こうすれば仲間になってくれる。
この人に取り入れば敵が出来ない。
そういう打算と計算ばかりが、今の私の学校生活。
過去のトラウマから逃れるための仮面。
実際それは面白いくらいに上手く
楽しくないなぁ。
とってもつまらないなぁ。
私は皆が思っているよりもずっと子供っぽくて、幼い。皆が大好きなアイドルやバンドは分からないし、芸能人もよく知らない。エッチなことも興味無い。そういう話題や価値観に自分を持っていくのも一苦労だ。
その苦労はひとえに、たった一つの願いを叶えるため。
皆から愛されたい。
だから、今の状況は理想的だ。今、私はクラスの全員と仲良しだ。それは六年生の時に夢描いていた未来そのもの。
なのに……何でなのだろう。
どこか歯車が上手く噛み合っていなくて、ガタガタと不細工な動きしか出来ない。そんな感じ。
何かが足りないのではなく、何かがズレている。
「うーん」
「今度はどうしたのかな?」
「何でもない」と答えようとした所で、先生が教室に入って来た。またねとお互いに小さく手を振って、アイちゃんは窓際の前から二番目の席へ。
学校が大好きだったはずなのに、早く帰って寝てしまった方が建設的だと感じてしまうのは、私がおかしくなってしまったからだろうか。
走り回っていた所を先生に見咎められたレオナちゃんとユウキちゃんが謝っている姿をぼぅ、と眺める。
ああ、本当につまらない。
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