第三十五話 分かってくれるね



 咲季が顔を上げ、驚愕に目を見開く。


「お父、さん」


 面会室の入り口に立っていたのは大きな体躯を持った壮年の男性。

 咲季の父親、片桐俊名かたぎりとしなだった。

 土曜日だというのに仕事帰りなのだろうか。スーツ姿の彼はネクタイを緩めながら歩み寄ってくる。

 そして淡々と文字をなぞるように、


「彼にそれを求める資格は無い」


 はっきりと言った。


「資格って、何言ってるの?」


 咲季は泣き腫らした顔を俊名へ向け、キッと睨みつける。

 どうして俊名がいるのか。呼んだのは明菜だけだったはず。まさか結愛が呼んだのだろうか。


 どういう訳で俊名がここに来たのか分からなかったが、ともかく、彼の言った事は聞き過ごせなかった。

 明菜の胸ぐらから手を離し、沸騰した心を煮えたぎらせてその巨躯を見上げた。


 だが俊名はそんな彼女に怯みもせず近づいて行き、


「現に今も、咲季に悪影響を与えている」


 俊名の平手が咲季の頬を打った。


 視界が揺れ、その場に膝から崩れ落ちそうになる咲季。

 脚に力を込め、ぐっと堪えた。


「子供が親に手を上げるなんて、何を考えてるんだ」


 静かに憤慨した声。

 じわじわと頬に痛みが広がった。しかし、今の咲季にとっては些事だ。

 顔を上げ、気丈に訴えかけた。


「じゃあ、親が子供に手を上げるのは許されるの!?入院するくらいに殴りつけるのは良いんだ!?」

「それは、少しやり過ぎだった。明菜にも反省すべき点はあるだろうね」


 なんて事も無げに、俊名。

 冗談を言っている気配は微塵も無い。自分の言葉の正当性を全く疑っていない。

 だとしたら恐ろしい。


「少しって……!全然少しじゃないよ!全部お母さんが悪いじゃん!」

「いいや、元はと言えば、彼が咲季を勝手に外へ連れ出したのが悪いんだ。それに、きっと口汚く罵って明菜をあおりでもしたんだろう」

「!?」


 あまりの物言いに開いた口が塞がらなかった。

 言うに事欠いて、秋春が悪いとでも言いたいのか。


「なんで、なんでよ」


 涙が溢れた。


「なんでお兄ちゃんが、そんなに言われなきゃいけないの……?」


 俊名は答えた。


「中学生の時、彼は人を一人死に追いやった。その人間性に対する当然の反応だよ。逆に、咲季が何故彼に懐いているのかが分からないな」


 冷たい返事だった。

 俊名が〝彼〟と言う度に伝わってくる。

 俊名は秋春の事を認めていない。

 家族として、人として。


「おかしいよ……」


 どうして、二人はここまで冷たくなれるのだろう。秋春の優しさに目を向けようとしないのだろう。

 高校生になってから、秋春が何か問題を起こしたのか?何か酷い事をしたのか?

 そんな事は断じて無い。なのに何故。

 悔しくて、唇を噛んだ。


「お父さんも、お母さんも、最低……!」

「何……?」


 家族のために沢山仕事をしているのだと尊敬していた父。

 いつも穏やかで、周囲から評判だった自慢の母。

 それらが崩れていく。

 コインを裏返すように、全てが反転する。

 俊名はただ家族に興味が無いだけ。明菜はただ外面を装うのが上手いだけ。

 そういう事だったのだ。


 自分も俊名達と同じだった。自分が信じていたい両親の姿を夢想していただけ。その中身を見ようとしていなかった。


「二人とも、こんな人達だなんて思わなかった!こんなにも非道い、最低な人間だなんて、思わなかった!」

「咲季、言って良い事と悪い事があるぞ!」


 叫びながら俊名の胸を叩く咲季に、彼は眉を吊り上げ、その腕を強く掴んで押さえ込んだ。


「―――っ!離して!触らないでよ気持ち悪い!」


 また、俊名の平手が咲季の頬を打った。


「それが親に対する口の利き方か!」

「ちょ、ちょっと、俊名さん……!」


 放心していた明菜が俊名を止めようと間に入るが、


「明菜は黙っていてくれ!」


 一蹴され、押しのけられる。

 次いで、俊名は自身を落ち着かせるように深く息を吐いて、額を押さえた。そして呟くように言った。


「やはり、秋春君の悪い影響が出ているようだね」

「え?」

「彼の口の悪さや浅薄せんぱくな考え方が伝染って咲季をこんな風にしてしまったんだろう。嘆かわしい」

「……は?」


 咲季は思わず呆然として俊名を見上げた。

 なんでそうなる。

 理解が追いつかない。


「これからは彼と会わない方が良い。そうだな、面会謝絶にしてもらおうか。どうやら咲季を外に連れ出していたのは病院側も噛んでいるらしいし、こちらの都合に合わせても文句は言わないだろう」

「なっ……、待って!どうしてそんな、いくら何でもおかしいよ!面会謝絶って……!」


 あまりの暴論に咲季は目を剥いた。

 話がまずい方向に進んでいる。秋春に会えなくなるなんて、そんなのは絶対に嫌だった。

 だが、彼女の訴えは届くはずもなく、


「咲季、これはきみのためなんだ。君がで最後まで胸を張って生きるためには、彼は居ない方が良い」


 咲季を優しく抱擁する俊名。あやすように頭をゆっくりと撫でる。


「さっきは叩いてすまなかったね。けど、僕は本当に咲季のためを想って言っているんだよ」


 次いで、身体を離し、ゆっくりと腰を下げて咲季に目線を合わせた。

 咲季はただ固まって、見ているしかできない。何を言っているんだろう。理解したくない。しようとも思えない。

 おぞましさに鳥肌が立つ。


「咲季なら、分かってくれるね?」


 真っ直ぐに咲季を諭す俊名の表情かお。それは子供の頃から見てきた、父の真剣な表情そのものだった。


 絶句した。



 # 



 面会室の外、静けさに包まれた廊下で赤坂結愛あかさかゆあは冷たく無機質な顔で呟く。


「ほら、やっぱり。咲季ちゃんが訴えかけたところで、変わらない」


 壁を背に、真横にある窓ガラスに映る自分の顔を見て皮肉げに笑んだ。


 俊名を呼んだのは結愛だった。


『明菜さんが病院のスタッフと揉めているみたいです』


 そう言っておびき寄せた。

 世間体を大いに気にする人物だというのは知っていたので、時間が空いているなら必ず来るという確信があった。

 あとは予想通り病院の前にやって来た俊名を適当なでまかせを言って面会室へと誘導するだけだった。


 呼び出した理由は、一つ。咲季に思い知ってもらうためだ。彼女の考えが都合のいい妄想でしかないと言う事を。


 咲季は最後の最後で両親の善性を信じるだろうと思っていた。

 秋春が病院で目覚め、その様子を見た咲季は明菜に対する敵意一色で染まっていた。だから両親との縁が切れてもいいという覚悟をもって、秋春に二度と危害を与えないよう脅しつける目的で明菜と対峙した。

 だがそれでもなお、結愛の知っている彼女は優しさを捨てきれる人間とは思えなかった。「きちんと思いを伝えたら理解してくれて、丸く収まるかもしれない」と甘い考えを捨てないでいる。


 だから、思い知らせてあげたかった。


 家族だから自分の気持ちを理解してくれるなんて、そんなの幻想。何かを訴えても、叫んでも、届かない。所詮他人の内の一人でしかないのだから。家族も、友達も、皆。


 理解なんてしてくれない。

 それが現実なんだと。


 そう思い知らせてくれるような人間性を、俊名は持っていた。そしてそれを見事に実演してくれた。

 狙い通りで可笑しくなってくるくらいだ。


「ねぇ、咲季ちゃん。これでもあなたはおばさん達を信じれるのかな。それとも、もう信じれなくなって心が汚れてしまうのかしら」


 どちらに転んでも面白い。

 それでその時、秋春がどんな反応をするのか、見てみたい。


 苦しむ姿を望んでしまうのは、自分が最低な人間だからだろうか。

 当の結愛にも曖昧で判然としなかった。

 心に仮面をつけて、それを重ねて、重ねて、重ね過ぎて、自分が曖昧になっている。


 そんな欠けた結愛の中にまだ形を残しているのは、〝綺麗な人〟への憧れと、


「ああ、そっか」


 きっとこれは復讐でもあるのだ。

 秋春が大切にしている咲季ものを穢してしまいたい。

 自分の中に残っている数少ない想い。だから大切にしたいと結愛は思った。






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