第三十六話 お世話になりました
どうにも煮え切らない天気が続いていた。
午前中が雨だったり午後が雨だったり、一日中雨だったり。ともかくしばらく太陽を見ていないのではないかと思うほど毎日雲が空を覆っていた。
「もう咲季に会わないでくれないか」
父さんにそう言われたのは、俺が入院してから数日後。咲季の前で子供みたいに泣いた翌日の事だ。
病室に入ってくるなり、開口一番に言った。
「君は咲季に、僕達家族に悪影響を与える」
父さんは鋭利な刃物のような目付きで俺を睨み付けていた。
その威圧的な巨躯に見下されると、肺が凍ったように息が出来なかった。
なんでだ、理不尽だ!と怒る自分と、それもそうかと納得している自分が心の内に居て頭がパンクしそうだったけど、結局は父さんの言葉に従う事にした。もう何かに必死になる気力さえ無かった。
入院中、咲季に会う事は禁じられた。
咲季と連絡を取らせないためか、スマホは取り上げられ、代わりのスマホを貰った。
多分咲季も同じようにスマホを替えられているのだろう。
連絡手段も直接会う手段も奪われ、そして、あの日以来一回も咲季に会う事の無いまま俺は一週間程度で病院から退院した。
退院して家に帰った俺を待っていたのは、冷たい目をした父さんと俯いたままこちらを見ない母さん。
そしてリビングに通されるなり、父さんから無言で差し出される物件サイトのページ。
俺の大学に近い――つまり、ここから遠い場所の物件。
「生活に必要な資金は援助する。だから、もう僕達に顔を見せないでくれ」
家から出ていけという話らしかった。
「はい」
突然言い渡されたそれも、二つ返事で承諾した。
いずれ出ようとは思っていたんだ。別にどうと言う事でもない。むしろ生活の援助をしてくれる分、ありがたいくらいだ。
俺は言われるがまま、家を出る事となった。
最低限の身支度をして、引っ越し業者に粗方の荷物を運んでもらい、
「今までお世話になりました」
薄暗い玄関に頭を下げ、何年も過ごした家を後にした。
―――――――――
――――
――
# # #
家から出て、初日。
霧雨が降り続ける中、俺は新しい家の前にいた。両手には新しく購入した電子レンジや炊飯器が入ったビニール袋。
生活用品を買い揃えるために近所の家電量販店へ行った帰りだった。
新しい家に着いてすぐに思いつき、買いにいった。今行かなければ、きっとこれから段々と何もする気が無くなる気がしたからだ。
都心から外れた閑静な住宅街。その中の築数年程度のアパートの一室。
傘を閉じて鍵を取り出し、中へ。
入ると比較的綺麗な内装が目に入る。進むとすぐ横にキッチンがあり、その先にリビング。フローリングが曇った空越しの太陽の光を鈍く反射していた。
1Kの6畳なので一人暮らしする分には全く困らない広さだ。今はダンボールで埋まっているが、ちゃんと荷解きすれば問題ない。
大学へもバスで10分。こんな半端な時期によく部屋が見つかったものだ。
咲季のお見舞いへ行くには少し遠くなるが……
「って、何言ってんだ俺」
もう咲季には会えない。会ってはいけない。家族じゃない部外者の俺には会う資格なんて無いのだから。
「…………あれ」
じゃあ、俺は何をすればいいんだろう。
雨の音が遠くなった。
目の前が段々と暗くなっていく気がした。
崖の端に立って下を覗き込んだような、せり上がる恐怖。
やる事はある。
金が無いからバイトをまた始めようと思っていた。
車の免許もあと少しで取れる。
大学のテストももう間近。勉強しなければいけない。
なのに、それら全てが空虚でどうでもよく思えてくる。
これはまずい兆候だ。
直感が自分に訴えかけるが、それを防ぎようが無い。どうしようもなく心が冷えて、渇いていく。
「大学、休んでた分ノート見せてもらわなきゃな……」
俺はそれを誤魔化すように呟いて、何も考えないようにして荷解きを始めた。
# #
翌日。
一限からの授業に出るために早めの時間に家を出て、まだ晴れ間の無い空の下をゆっくりと歩き出した。
癖で持ってきてしまった電車の定期券を見て苦笑しつつ、ポケットにしまい、いつもと違う景色を眺めながら信号を渡り、踏切を越え、大学行きのバスが来る駅前のバス停へ。
ロータリーの前のそこにちょうどやって来たバスへ乗り込むと、うんざりするくらいの満員。梅雨の時期というのも相まってじんわりと空気が湿っていて気分が悪かったが、我慢して約10分間バスに揺られ、
「……………?」
その間、誰かからの視線を感じた気がした。
#
俺の所属する大学は山の上にある。
生物系の学科が多いからか、ともかく校舎に森が隣接……というか囲まれていて、池や沼もあるくらいだ。
そんな自然豊かな大学だから、土地が広くて校舎はだだっ広い。ゆえに人がいない時間帯(講義の時間中など)に校舎の外を歩いていれば嫌でも目立つし、視線がそいつに行くというのも頷けるものがある。
逆に言えば人が沢山散っているような、講義が始まる前のこの時間は余程の有名人でもなければ視線を集めるなんてありえないはずだ。
だからこれは気のせいでは無いのだろう。
大学のバス停で降りてからというもの、男女問わず不特定多数からの視線を感じていた。
コソコソとしたもの、不躾に見つめるもの。様々だったが、どれも俺を見ている事は確かだった。
通り過ぎる誰も彼もというわけじゃないが、四人に一人は確実だ。
八方美人でミスコン優勝者の赤坂さんならまだしも、普段どこかのサークルやグループに属していない地味な学生の俺にしては明らかな異常。
校舎へと続くだだっ広い石畳を歩いている学生達を追い越す度、「あっ」とした表情を浮かべられるのは流石に気味が悪かった。
しかも声をかけられるでもなく、むしろ避けられているとくれば良い感情を向けて無いのは察しがつく。
何かが起きている。
俺が大学を休んでいる間に何かがあったのだ。
何かは分からない。
けど、突き止める気力は全然湧いてこなくて、ただ惰性で脚を動かして、講義へ向かった。
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