fragment 5 ラブリーチャーミーな女


 先日、兄――秋春が家に女を連れこんだ。

 バイト先の知り合いだという。

 おそらく秋春と同い年か一つ下くらいの年齢。手入れの行き届いた茶髪の髪をハーフアップにまとめた可愛らしい女だ。


 どうやら彼女がバイトに行く前に指を切ったらしく、絆創膏を渡そうと家に上げたらしい。

 外は強めの雨だったから、秋春の気遣いはさすがと称えられるべきである。が、しかし、それとは別に問題があった。


 そう。秋春が、女を、家に連れてきたのだ。


 危機だ。由々しき事態だ。

 恋愛など来世に託したと言わんばかりに女の気配が無かった秋春が、女を連れてきた。しかもそれが結構可愛いときた。

 玄関口にだけ……という制限付きであったが、それでも秋春が家に女を連れてきたのは事実。

 しかも秋春のバイト先はメイド喫茶だ(最近知った)。他にも女がたくさんいるはずである。

 これでは秋春に人生初の彼女が出来てしまうかも知れない。


「そんな事、させない……!」


 秋春は自分のものだ。兄妹という厚い壁のせいで尻込みしていたが、ついに本気を出す時が来たようだ。

 ぽっと出のどこの馬の骨とも知れぬ女に秋春を渡してなるものか。百歩譲って親友の舞花や幼馴染の結愛なら許せるかも知れないが、あの女は許さない。


 何故ならあの女は、バレンタインに秋春へ生チョコレートを送り、咲季へ屈辱を与えた女だからである。



 # #




「ね、おにーちゃん?」

「あ?」


 朝、十時頃。出かけようと玄関で靴を履いていた時、後ろから甘ったるい声で呼ばれた。

 振り向くと、案の定妹の咲季が気味の悪い笑顔で俺を見ていた。


 小さな顔と黒目がちの目。整った眉。若干低めの鼻。いつもへらへらしている口。背中半ばまで伸ばした黒髪。

 家族という立場から言っても、確実に美人の枠組みに入るだろう容姿だ。

 しかしそんな我が妹は、春休みだというのに外に遊びに行く事もほとんどせず、ほとんどの日々を俺へのダル絡みに費やしていた。

 高校生になって彼氏の一人や二人できるかと思いきや、クリスマスもバレンタインも友達だけで過ごしたという悲しい妹。本人曰く結構モテるらしいしそれを自慢してくるのだが、ならば何故恋人をただの一回も作らないのか。謎である。


「どこ行くの?デート?」


 冗談めかして、下から俺を覗き見る咲季。


「自転車の修理終わったの取りにいく。ついでにゲームショップ」

「なんだやっぱりデートかー」

「もしデートだったらセンスゴミ過ぎるな俺」


 大丈夫かこいつ、まじで心配だ。高校入って最初の春休み、謳歌してんのかなぁ。


「ふーん、じゃあさ、デートじゃないならついてっていい?」

「え?」

「私とデートしましょうお兄様」

「なんで?」

「嬉しいでしょ?」

「別に」

「照れんなよぅ」


 胸をつつかれる。


「照れてないし付いてこなくていい」


 手を振り払う。

 咲季が目を見開いた。


「え、こんなラブリーチャーミーな女をはべらせて外出できるっていうのに……ホモなの?」

「うるせぇなぶっ飛ばすぞ」

「おや、照れ隠しかね、このこのぉ」

「うるせぇなぶっ殺すぞ」

「ちょ、怖っ。可愛い妹相手に普通そういう言葉投げかけます?」

「投げかけます」

「うわ、だからモテないんだ」

「モテようとも思わない」

「わ・た・し、がいるから?」

「…………」

「ごめんなさい調子乗りました」


 睨みつけると、咲季は距離を取って頭を下げた。

 流石に長年の付き合いからか、俺に対する危険予知能力は高い。まあ、これ以上絡んだら危険だと分かっていても飛び込んでくる事もあるが。


 俺はため息をついて、


「ほら、馬鹿言ってないで行くぞ」


 背後、玄関の外を親指で指す。


「え?」

「付いて来るんだろ」

「いいの?」

「何でかは知らんけど、特に断る理由も無いからな」


 言うと、咲季の顔が花が咲いたように明るくなった。


「行く行く!あ、ちょっとまってトイレ!」


 ドタドタと忙しなく家の奥へ走っていく咲季。

 その後「ヘアセット入りまーす!」とか言って洗面台に籠り、出かけるのが三十分以上遅れたので軽く頭を叩いておいた。



 #


 玄関を出ると空にはいくらかの雲と青空が広がっていた。吹き抜ける風はやや強く、少し伸びてきた髪をごう、とさらう。長袖のᎢシャツ一枚にジーパンという姿だが、少し肌寒いくらいだ。


 我が家の周辺には住宅が点在すると同時に田畑が広がっている。

 そこに立った案山子かかしやペットボトルの風車かざぐるまはこの春を意識させられる気候とよくマッチしていて、見ていて気持ちが良かった。


「良い天気だねー」

「そうだな」


 大きく伸びをしながらのんびりとついてくる咲季を背後に、会話に応える。


「風も強いですねぇ」

「そうだな」

「今年の春一番かしら」

「そうだな」

「花粉症の人は大変ですねぇ」

「そうだな」

「おっぱいは横乳ですよねぇ」

「……あ?」

「ん?」

「…………………」


 振り向く俺。

 きょとんとする咲季。


「なに、お兄ちゃんは下乳派……っで!」


 脳天をチョップした。

 咲季はうずくまって頭を押さえた。


「いたい……」


 恨めがましそうな涙目で見上げる咲季に俺は冷たい視線を投げ、


「お前、まともに会話できないの?」

「……だってお兄ちゃんがそうだなbotになってたから」


 膨れ面である。


「お前が隠居した老夫婦みたいな会話しかしてこないからだろうが」

「今更お兄ちゃんとする話とか無いなーと思いまして」

「だったらなんで付いてきた……」


 付いてきた理由も不明だが、気合いの入った(多分)格好してるのも謎だ。

 淡いピンク色で、フリルが波のように全体にあしらわれたトップスと、ブルーでワイドタイプのデニム。そして髪型も普段とは打って変わってポニーテール。

 何か特別な用事でも無ければ、咲季はこんな格好をしない。


「会話なんてなくたって気持ちが伝わるのが本当の夫婦ってものよおじいさん」

「あっそ、俺はお前の考えてる事全ッ然分かんねぇけどな。さっぱりだ」


「ふふん、私はお兄ちゃんの考えてる事分かるよ?」

「ああ?」


 何言ってんだこいつ。

 思っていると、得意気にこちらを見て「的中されても驚かないでねん♡」とうざったい前置きをしてから口を開く。


「嗚呼、〝妹〟……なんて甘美な響きなんだ!妹という言の葉の前にはこの世の万物全てが霞む!私にはもう目の前の麗しき妹、咲季の事しか目に入らぬぞ……、やや!?こんな所にたわわな二つの果実が!これはもしや、麗しの妹咲季の胸に実る禁断の……!よぉし、さっそくいただきまーしゃぶびぼぼぉぉおっ!!?」


 頬を片手で鷲掴みにして思いっ切り潰した。

 自称ラブリーチャーミーな女からはしちゃいけない声を発していた。


「いひゃい……」

「お前さぁ、本当に学校で何回も告られてんの?」

「……終業式にもクラスの本田君に告白されたよ。恋が実ると言われる校舎裏の木下で」


 頬を押さえながらも、ふふん、とドヤ顔で笑う咲季。


「あ、非モテのお兄ちゃんには無縁の話だったね。教室の片隅が住処すみかの穴倉系男子にこの華やかな世界は眩しすぎたかな」

「これでモテるんだもんなぁ……」

「ちょっと、なんだいその目は。その憐れむような目やめなさい」

「顔かぁ……」

「ちょっと?その、顔だけでモテてるんだなみたいな言い方やめなさい。確かに美人ですが、美人ですがね、私性格も良いの。親しみやすい美人で売ってるの!」

「性格良いやつは自分で性格良いとか言わないし美人とか言わないから」

「はぁ?私が性格良く無かったら誰が性格良いんですかー?」

「俺とか」

「はっ」


 鼻で笑われた。


「え、あなた?あなたが性格良いとおっしゃる?え?痛ぇ、片腹痛ぇっすわー」

「お前のわがままにいつも付き合ってるだろうが」

「性格良かったら毎年私の誕生日にプレゼントくれますー!」

「意味分からん。ていうかお前もくれないだろ」

「兄が妹に誕プレを送るのは世の理だけど逆は無いんですー」


 口を尖らせてブーブー言う咲季を流し見しつつ、俺は再び歩き出した。

 車のほとんど通らない横断歩道を渡り、開けた視界の向こうにある国道沿いの道へ。


「都合のいい理論だな」

「おー?なんだやんのか?」


 横に並んできて肩と肩をぶつからせてくる咲季。

 なんだろう、こいつ、いつもよりテンション高いというか……スキンシップ多いな?

 まあ、春休みなのに家に居すぎて体力が有り余ってるんだろう。


「元気だなーお前」

「お兄ちゃんが元気無さすぎなんだよ。世を儚んだ独居老人の方がよっぽど元気だよ」

「いや、それもはや死体のレベルだろ」

「うん、だからそういう事」

「お前ね……」


 真顔であまりの言い草だった。ジト目で睨んでいると、咲季はハッと、何か思いついた様子で手を叩いて、


「そう!そこで、そんなお兄ちゃんに私から朗報があります!」

「ん?あ、お、おう」


 興奮気味に手を上げる。

 今度はなんだ。


「非モテで、惨めったらしく、地べたを這って生きてるゾウリムシのようなお兄ちゃんに朗報があります!」

「悪口にして言い直さんでいい」

「この咲季ちゃんが!あなたに!元気を分けてあげましょー!」


 なんか言い出した。


「な、なに?」

「はーいはーい!前向いててねっ」


 そして、了解の無いまま背後に回り込み、


「ほっ!」

「ぐぉ!?」


 飛びついてきた。

 腕は首に回され、脚は腰の辺りをロック。

 咲季の全体重が俺の背中にのしかかる感覚。高い体温を直に感じ、なんだか不思議な気分になった。何というか、昔に戻った気分。咲季が小学校高学年になってからはこうやってスキンシップを取る事なんて無かったから。

 だからいきなりそんな事をされて、俺は大いに困惑した。


「ちょっ、何なのお前?」

「元気を注入してるのです」


 意味不明である。


「可愛い妹に抱き着かれて元気が出ない兄はいないでしょ?」

「重いからむしろ疲れるんだけど」

「なんだと」


 はっきり言ってやるが、不機嫌そうになるだけで離れる気配は無かった。


「あの、分かる?ここ道端なんだけど、周りに見られてんの。場所を考えなさい?」


 いくらここらへん人通り無いって言ってもぽつぽつと住宅あるから皆無かいむじゃねぇんだぞ。実際、前方の住宅の庭からひょっこり現れたおばさんがこちらを見て「あらあら」とか言って笑ってるし。


「見られるのって、なんだかそそりませんか?」


 何言ってんだこのアホ。


「即刻離れてください。離れて。離れろ」

「いーやーでーすぅー」

「てめっ、分けわからん事を次から次へと……、やめろ!倒れる!張り付くな動くな解放しろ蝉かお前は!」

「蝉とかやめてよ!どちらかと言えばそこはかとなくサイバイマンだよ!」

「どうでもいいわ!何だその無意味なこだわり!」

「サヨナラ……天サン……」

「サイバイマンでも無いじゃねぇか!」


 それはチャオズだチャオズ!


「え、サイバイマンだよ。餃子ぎょうざみたいな名前したサイバイマンでしょ?」

「チャオズに謝れ!」


 ……………………


 …………


 ……


 # #



 自転車屋の前、咲季は気分を落ち着かせるために熱い息を吐いた。


 我ながら大胆な事をしてしまった。

 顔から火が出そうなくらい熱い。


 秋春に抱きついた。彼の体温を直に感じた。

 大きな背中。

 心臓が早鐘を打っていた。


 秋春が彼女を作る前に自分を意識させて、彼女を作れない体にしてしまえばいい。

 色々と考えた結果そういう結論に行き着いた咲季が手に取ったのはハウツー本『恋愛ハウツー 理想の彼を振り向かせる方法100選』だった。

 その中の後書きに書いてあった。結局スキンシップで男は落ちると。胸当てときゃ何とかなると。


 だから実践した。

 そうしたら逆にこちらがクリティカルヒットを食らってしまったのである。


 何年ぶりになるか分からない秋春との過剰なスキンシップは、今の咲季には少々刺激が強かったみたいだった。


 ――心臓の音、気付かれてたかな……?


 もじもじしながら、入り口から秋春が出てくるのを待つ。

 目の前は国道。高速で車が走り抜けて行く様がまるで自分の心臓の脈動のように感じられた。


「おまたせー」


 と、秋春が店の入り口から自転車を押して出てきた。

 その声だけでどきりとしてしまうほど、今咲季は気分が高揚していて、


「まっ、待ってないよ?今来たとこ!」

「いやデートの待ち合わせかよ」

「で、デートぉ!?そんな、そん、そんなわけあるかい!」


 叫んでしまっていた。


「えぇ、なんなのお前……」


 秋春はかなり困惑した様子で完全に引いた目をしていた。


 まずい、このままではまともに秋春の顔を見れないどころか、会話さえままならなくなりそうだ。


「普段通り……普段通り……」

「何ぶつぶつ言ってんの?大丈夫か?」

「うにゃぁい!?」


 肩を揺すられた。秋春の大きな手が肌の露出した部分に当たり、心臓が跳ねて反射で飛び退く。


「え、えっち!お兄ちゃんのえっち!ノータッチ!ドントタッチ!タチサレー!タチサレー!」

「えぇ……」


 またも秋春は引いた目。

 会話がまともに出来ないから困っているようだ。

 しかし、咲季は平静を取り戻そうと深呼吸し、真っ赤になった顔を俯かせるしか出来なくて……、


「………………ん?」


 ふと、咲季は違和感を覚えて顔を上げた。


 秋春が自転車に乗っていた。


「……ん?」


 思わず咲季の口から声が出る。


「ん?」


 秋春も、突然咲季が平静を取り戻したのを不審に思いつつもペダルに足をかけ、


「ちょっと?」

「あ?何?」


 躊躇なく進もうとしたのを咲季がリアキャリアを掴んで止めた。


「いや、何?じゃなくて。なんでお兄ちゃんは自転車に乗っているので?なんでペダルを漕ごうとしているので?」

「いや……ゲーム買いに行こうと思って」

「私、自転車持って来てないのですが」

「ああ、うん」


「…………………………」

「…………………………」


 数秒、時が止まった。

 先に口を開いたのは、咲季。


「普通、一緒にいる女の子が歩きだったら自転車押して行くよね?」

「走ってついてくんのかなーって」

「んなわけ無いでしょ!アスリートか私は!」

「こいつよくやるなって思ってた」

「やらないよ今日の服装見なさいよ運動する格好じゃないでしょーが!ナウでヤングなギャルファッションでしょーが!」

「だって、修理終わった自転車取りに行くって言ったのに自転車持ってこなかったからさ、意図的なのかなと」

「単純なうっかりだよばか!お兄ちゃんのばか!」


 一瞬で二人の距離感は元に戻った。


 何年経っても変わらないこのじゃれ合いが、咲季にはとても心地良く、愛しかった。



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