第三十三話 汚れて、穢れて


 # # #


 私には幼馴染の兄妹がいる。

 大好きで、とても眩しい幼馴染。


 私は汚くて、あの子達は綺麗。

 だからあの子達がとても羨ましい。

 あんな風に誰かを想って、人のために頑張って、簡単にできる事じゃない。

 私だってそういう想いはあるはずなのに、行動には移せない。

 あの子達と私では何が違うんだろう。私もああなりたい。


 羨ましい。

 羨ましい。

 羨ましい。


 なんでそんなに綺麗なの?

 どうして?

 どうしてあの子達は綺麗でいられるの?

 もっと知りたい。


 ねえ、だから、もっと見せて欲しい。あなた達の綺麗な心を、輝きを。


 私が黒く塗り潰してあげるから。


 汚れて。穢れて。私を安心させて。

 けれどそれが叶わないのなら、


 どうか私を、罰して。



 # # #



「ん……」


 軋むような鈍い痛みと共に俺は目を開いた。

 耳に入るのは雨音。視界に広がったのは薄暗い室内の天井。見慣れないそれに戸惑いつつ、目覚めたばかりでまだ鈍い思考を回転させて状況確認。

 まず第一、俺は仰向けで寝ている。

 第二、しかしどこだか分からない。


「……………」


 今までに経験した事の無い状況に思考を一旦放棄。ぼぅ、と天井を眺める。


 ……まずは落ち着こう。落ち着いて脳を休ませるのだ。

 だけどなんだか頭がくらくらするし、身体の節々が痛いし、風邪でもひいたのかってくらいだるい。満身創痍って感じだ。

 記憶も曖昧。そもそも昨日は何があった?ってレベルだ。今ここがどこなのかすら判別出来ていない。俺の部屋ではない事は確かだが、ならばここはどこなのか。

 昨日は何をしてたんだっけ。大学の講義を終えた後帰ってすぐに寝た?

 うーん、分からん。ともかく起き上がろう。


「い、づ」


 起き上がろうとすると身体の所々に痛みが走る。痛みに耐えながら室内を見渡すと、そこはやはり全く知らない場所だった。

 だが、似たような構造の部屋なら記憶にあった。


 ――病院?


 視線を落とすと、掛け布団が腰のあたりまであった。真っ白でシンプルなデザイン。座っているベッドも微妙に固く、咲季の病室で見慣れたものそのものだ。

 曖昧な記憶と病室。そこから導き出されるのは限られる。


 ――事故にでもあったのか俺?


 それで病院に運ばれた?

 記憶が曖昧なのはそのせい?

 けどその割には手足は全くの無傷。包帯とかも巻かれていないし、普通に曲がる。痛くない。


 ――と、そこで掛け布団の重さとは別の重さに気づき、視線を左下に向けた。


 見えたのは腕。そして真っ黒な頭。暗かったせいか頭が鈍っていたせいか、ともかく今気づいてびびった。

 一瞬幽霊かと思って身体跳ねちゃったけど、よく見たらそれは見慣れた人物のものだと分かり、


「咲季?」


 声に出す。すると眠りが浅かったのか、咲季は反応して顔をむくりと起き上がらせた。


「ん……む」


 髪を幽霊みたいに顔に張り付かせ(怖い)、その隙間にある眠気眼でこっちを見る。

 少しの間、時が止まったように動かなくなった。

 と思ったら目を見開いて、


「お兄ちゃん!」

「ぐおっ!?」


 勢い良く飛び込んできた。


「ちょ、いでっ!おまっ、痛い痛い!」

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」


 何だこいついきなりテンション高っ!

 咲季の頭が顎や顔に当たる度、激痛が走る。なんでかは分からんがともかく痛い。痛すぎる。一刻も早く離れてくれないと死ぬ。


「痛いから!離れろ!離れなさい!離して下さい!」

「お兄ちゃぁぁぁん!!」


 聞いてねぇ。


「まっ、ほん、と、に……、いてぇ!痛いっつの!!ダンゴムシ頭にかけるぞ!!」

「ダンゴ……っ!」


 最終兵器ダンゴムシを使ったら動きが止まったのでその隙に引っぺがす。ベッドの上から追い出された咲季はたたらを踏むようにして後ろへ下がって立ち上がった。

 すると今度は今にも泣きそうな顔になって俺を見下し、


「心配、したのぉっ……!」

「へ?」

「そんな大怪我してっ!全然起きないし!心配したのぉっ!心配したのぉっ!」


 ぼふぼふと俺の枕を奪って脚を叩いてくる咲季。

 大怪我。言われ、なんとなしに頭を触った。


「あ……」


 そこで初めて自分の頭に包帯が巻かれてる事に気づく。

 そして噴き出したように思い出される昨日の出来事。


「そうか……俺……」


 咲季と遊園地に行って、それが母さんにばれて、殴られ続けて、目の前が暗くなって……


『あんたなんか、私の子じゃない!』


「……………っ」


「あ!そだ!早く先生呼ばないと!」


 咲季が思い出したように大きな声で言って、ナースコールを押した。

 ああ、そうか。まずはそれか。お互い頭が上手く回ってないらしい。


 やがて医師がやって来て色々と検査されたり質問されたりして、頭の怪我以外に異常は見られないとの診断を得た。


 その時も咲季はずっと側にいて、医師からの言葉に自分の事のように安堵し、喜んでいた。


 そして、病室が咲季と俺だけになって、


「お兄ちゃん?」

「え?」


 ふと、咲季に呼ばれる。

 目を向けた先には、心配そうに眉を寄せた顔があった。


「大丈夫?」


 咲季はパイプ椅子に座って、顔を覗きこむ。

 いつものふざけた応酬の延長でない、真剣な表情。

 俺は無理に笑顔を作った。


「あ、ああ。別に?」

「ほんと?なんかいつもより暗いよ」

「いつもよりってなんだ嫌味か」

「…………」


 普段なら間髪容れずに「うん」とかほざいてくるはずだが、今日は黙ったまま俺を見つめるのみ。落ち着かなくて頬を掻く。


「まだ頭少し痛いんだよ」

「……そっか」


 重苦しい沈黙。

 言いたいことがあっても言い出せない。そんな雰囲気。こっちもそんな空気を察して何も言えなくなる。

 数秒経って、俺が話を明るい方へ逸らそうと口を開きかけた時、咲季が沈黙を破った。


「何があったの?」

「…………何って?」


 とぼけてみたが、何が言いたいのかは一目瞭然だった。


「そんな怪我、普通じゃないよ」

「……………………」

「やっぱり、お母さんなの?」

「っ」


 予想していたのか。

 答えに詰まった。


「私を遊園地に連れて行った事、関係してる?」


 ここで頷けば咲季を傷つける事になる。俺は首を振った。


「関係無い」

「嘘」

「嘘じゃない」

「じゃあこっち見て話して」

「……………」


 いつの間にか逸れていた視線を再び咲季に向け、同じ言葉を言おうとする。

 が、何も言えなかった。

 咲季が、見た事のないほど強い眼差しを向けていたから。


「お兄ちゃん私に言ったよね。無理も遠慮も無しにしようって」

「……………それは……」

「私に気を使わないでよ」


 気を使うなって方が無理だ。

 咲季には傷ついて欲しくない。

 咲季は母さんが好きだ。だから母さんが俺を殴ってこんな怪我を負わせたなんて言いたくない。確信していたとしても事実として突きつけられるのは辛いはずだ。


「お願い」


 それに、咲季を遊園地に連れて行ったのがこうなった原因なのは事実だ。それが俺の責任だとは言え、咲季を追い詰めてしまうだろう。

 ……だが、俺がさっさと話さなかった事で予想もつかないとんでもない行動をしかねない。ならば話した方がいいのかも知れない。


 どうすればいいんだろう。


 俺の手を握ってじっと見つめる咲季。

 俺は俯いて呟いた。


「話す必要無いだろ」

「なんで」


 咲季の語気が荒くなった。


「俺なんかに構ってないで、もっと有意義な事をだな……」

「有意義な事ってなに?病室に帰って寝るだけの生活をする事?お兄ちゃんがなんでこんな目に遭ってるのか知らないまま呑気に過ごしてる事が有意義なの?そんなの絶対に嫌だよ!」

「……!」


 叫ぶ咲季。

 こんな表情で何かを訴える事なんて、今まで無かった。それほど必死なのか。

 どうして。

 どうして、こいつは俺なんかのために必死になれるんだろう。


「だから、言ってよ」


 なおも咲季は詰め寄る。俺は諦めて息を吐いた。本当に強引だ、こいつは。


「俺が母さんからどういう扱いされてるかは、前少し話したよな」


 俺が話し始めると、察した咲季は居住まいを正した。

 少し潤んだ瞳が静かに俺を見つめる。


「機嫌悪いとあの人は俺を殴ってくる。それが過剰になった。それだけだよ」

「それだけって……」

「ま、怒らせた俺が悪いんだ」


 この話は終わりとばかりに軽く済ます。

 そうだ。なんでもないんだ。あんなの日常の延長でしかない。

 言い聞かせる。そうすれば、普段の俺を保っていられる。


「悪くないよ!お兄ちゃんは悪くない!だってそれって私を遊園地に連れて行ってくれたからなんでしょ?いくら私が馬鹿でも分かるよ!」

「咲季のせいじゃない」

「でも……っ」

「俺が勝手に、咲季に遊園地行こうって誘って、連れてったんだ。そりゃ親なら怒るよ」

「だったらお兄ちゃんだけじゃなくて私も怒られるべきじゃん!それに、そんなになるまで暴力振るうなんて普通じゃないよ!」


〝普通じゃない〟

 その言葉が胸を刺した。

 そんな事分かってる。分かってるんだ。


「……普通だよ」

「え?」


 けど、それを認めてしまったら俺は耐えきれない。

 当然なんだと思わなければ、崩れ落ちてしまう。

 俺は、母さんの家族じゃない。

 だから愛が無くて当然。

 そう思う事にしたのに、そう思って感情を塞いでいたのに。


「……………」

「お兄ちゃん?」

「逆だな」

「な、何が?」


 脈絡の無い言葉。咲季は戸惑って目を瞬かせた。


「今までと。ほら、お前がベッドにいて俺が椅子座ってるって立ち位置。今は逆だろ?」


 それがなんだと、咲季は首を傾げる。

 俺は笑った。諦念が混じった弱い笑顔で。


「本当に、逆だったら良かったのにな」

「え?」

「俺が病気になって、お前が元気で。そうだったら、丸くおさまってたのに」


 要らない奴が消えれば、それで皆幸せだったのに。


「何……言ってるの?」

「なんで俺じゃなくて……咲季なんだろう」


 神様は本当にクソ野郎だ。


「なんで、俺じゃないんだろうなぁ……」


 いなくなるべきなのは咲季じゃなくて俺だ。そうでなければおかしいだろう?

 母さん達が必要としているのは咲季なのに、俺だけが残って、どうすればいいんだよ。


 だから、もし奇跡を起こせるなら、俺を殺して咲季を生かして欲しい。


「俺が生きていたって、しょうがないのになぁ」


 顔を伏せて額を押さえた。

 全然笑えないのに、口だけが歪んで笑みを作る。

 あのまま目覚めなければ良かったのに。

 そうすれば昨日の事を思い出す事も無かった。

 俺が必要無い人間だって再認識しないまま、眠り続けていられたのに。



 ――何か、音が聞こえた。


「……?」


 顔を上げた。


「な、に……」


 静かな病室。雨音に混じって、ぽたぽたと何かが落ちる音が聴こえる。


「なに、言ってるん、だよぉ……!」


 嗚咽混じりの声。

 ゆっくりと視線を声の方へ。


 咲季が泣いていた。

 顔を赤くして、大粒の涙を頬に伝わらせて。


「咲季……?」

「やめてよ……!なんで、なんでそんな事、言うのぉ……!?」


 返す言葉が出なかった。

 呆けてその泣き顔を見つめる。


「逆だったら良いなんて、あるわけ無いよ……!」


 なんで泣いているのか。

 分からない。

 俺は咲季を泣かせるような事を言ったのか。


「私はっ、お兄ちゃんがいるから、頑張れるんだよぉっ!」


 俺がいるから頑張れる?

 どういう事だ。分からない。


「お兄ちゃんが笑ってくれるから、私も笑えるんだよぉっ!」


 けどその声も、涙も、本気で、本物で。嘘偽りが入る余地なんてなくて。


「だから、そんな事、言わないでよぉ……」


 尻すぼみになっていく声。

 俺は不思議になって、尋ねた。


「……なんで、泣いてくれるんだ」


『あんたなんて要らない!』


「俺は本当に、要らない奴なんだ。周りに迷惑ばかりかけて、傷つけて、そんな事ばかりしてた」


『必要無い!』


「だから俺は必要ないんだって、母さんが言ったんだ」


『消えてよッ!』


「俺は咲季に想われるような人間じゃない」


『あんたなんか、私の子じゃない!』


「俺は―――――っ!」


 瞬間、俺の身体は温もりに包まれていた。陽だまりのように温かい。

 咲季が、俺を抱き締めていた。

 強く、そして優しく。


「違うよ……!」


 嗚咽混じりの声。


「お兄ちゃんは、優しくて、いつも元気をくれる、自慢のお兄ちゃん。私の大切な、大切な家族なんだよ?」


 ぼやけた視界。

 何かが頬を伝う。


「お兄ちゃんが要らないなんて嘘だよ。だって私は、他の誰よりも、お兄ちゃんが大好きだもん」

「……………」

「ずっと、一緒にいたいもん」


 そうか、俺、泣いてるのか。


「だから大丈夫。大丈夫だよ……」


 ―――――――


 ――――


 ――



 ♯


 咲季が自分の病室に戻った頃にはすっかり夜空が広がっていた。

 19時。面会時間はとうに過ぎていて、普段ならこの時間に出歩いていれば怒られていただろうが、その気配は無かった。櫻井が気を利かせたのだろうか。それともただの偶然か。

 だが、咲季にはそんな事どうだってよかった。今頭にあるのは、秋春の事だけ。


 初めて見た、泣いている秋春。


 思い出されるのは、辛そうに言葉を吐き出す痛ましい姿。


 それほどに母は秋春を追い詰めたということ。


 敵。

 その言葉が頭の中を埋める。頭に血が上る。

 目の前でチカチカと火花が散っているようだ。


 スマホを取り出し、電話をかける。

 相手は、赤坂結愛。

 信頼していて、だけど今は少し恐ろしささえ感じる、咲季の幼馴染。

 数回のコールの後、通話が繋がった。


「決めた?」

「うん」


 こちらが話す前に、問い。

 間髪容れず答えた咲季に返す声は無い。

 だから、自分の決意だけを伝える。


「お兄ちゃんは、私が守る」


 電話の向こうの結愛が笑った気がした。






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