第二十二話 やっぱり俺は、捨てきれない
そうして咲季と話し続けながら俺は部屋へと戻った。
生暖かい空気に顔をしかめ、扇風機の電源を点ける。羽根から送り出される温い風に当たり一息。
そこで、偶然数秒の沈黙が生まれた。
いつもならこういう区切りが電話を終えるタイミングなのだが、今回は咲季に問い質しておく事があったので、電話を終える前にそれを聞く事にする。
「……なあ」
『何?』
「お前、俺の中学の時の話誰かから聞いた?」
ストレートな問い。
電話の向こうから喉がつかえたような音が聞こえた。
『…………な、なんのこと?』
「いいよ別に怒らないから。で、どこまで聞いた?」
『ですから何が何やら分からな……』
「言っとくけど、赤坂さんから聞いてるから」
『結愛ちゃんのばかーー!』
夜だから周りを気遣ってか、控えめに叫ぶ咲季。
「と言う事で、もうネタは上がってんだ。聞いた事包み隠さず話しなさい」
『な、なんでそんな事』
「勝手に探られたんだからそれくらいの権利はあるだろ」
怒ってはいないが、怒ったような口調で言う。その方が咲季の口を割らせるには効果的だ。本気で怒られるって事に慣れてないからな。
案の定、渋ったものの、ぽつぽつと俺の過去について聞いた事を話しだした。
俺が辻堂にキレて殴ったのは菊池が酷い目にあったからだという事。
赤坂さんの教室で暴れたのは俺じゃなく赤坂さんだったという事。
たどたどしい口調で、時間をかけて俺に伝えた。
概ねその情報は当たっていた。よくこの短期間で情報を集めたなと思う。しかし、だからこそ大きな疑問が一つ浮かんだ。
「お前菊池の事……、誰から聞いた?」
そう。それなのだ。菊池に何があったのか、それを知るのはほんの一部の人間だけで、ほとんどは俺が虐めて死に追いやったと思っているはず。だから菊池の情報は出てこないと思っていた。
嫌な想像が頭を掠めた。
『辻堂さん』
「……………………あ?」
『あの、なんか、病院でお兄ちゃんに絡んでた、あの人……』
「……
『う、うん』
俺の中で時が止まったような凪。
しかし次の瞬間、氷柱でも突き刺されたような悪寒に襲われ、それが冷めると同時、激情がこみ上げた。
「お前っ、馬鹿か!!」
『ひうっ!?』
電話の向こうで咲季が身を
「見かけたら逃げろって言っただろうが!」
『っ!?ご、ごめ、ごめんなさ……』
怯える声。
初めて咲季に対して本気で怒っているかも知れない。
咲季のこんなに怯える声を聞いたことが無かったから、きっとそうなんだろう。
だけど腹が立つものは腹が立つのだ。
咲季の行動は、羊が狼のいる檻に飛び込んで食われに行ったに等しい。
「…………二人きりで会ったのか?」
『え、えと』
「会ったんだな」
『ご、ごめんなさい』
「何かされてないだろうな?」
『されてない……けど』
「けど?」
『されそうには、なった』
「はあ!?」
冷静になりかけた心がまた着火した。
聞くと、「脱げ」等と強要されたらしい。
『け、けど結局大丈夫で……』
「大丈夫じゃねぇ!」
この場合辻堂をぶっ飛ばすべきなのは分かっているが、咲季も咲季である。
そういう危険があると注意を促したはずなのに二人で会って挙句にそんな事を言われたって……身体は無事でも心に傷を負ってもおかしくないだろ。
『うぅ……』
「ほんと、お前は……!」
ぐしゃぐしゃに髪を掻き毟る。
駄目だ、不甲斐なさとか、不安感とか、「どうして」って疑問とか、そういう感情が混じり合って激情となっている。
『だって、』
「だってもなんもあるか馬鹿!俺がちゃんと話すっつったのに……」
『だって!お兄ちゃん凄く辛そうだったもん!』
俺がなおも怒りを吐き出そうとした時、今度は咲季が大声を出した。
「ああ!?」
『苦しそうだったんだもん!泣きそうな顔してたもん!』
嗚咽が混じった叫び。
それで俺の心が急激に冷まされた。
『私、そんなの見たくないんだもん……』
「あ……」
気づく。
赤坂さんが言っていた通り、咲季の行動は俺のためを思ってのものだった。
過去の話をする度に俺は心配されるほどの顔色をしていたのだろう。
誰かが辛そうにしている姿を黙って見ていられないのが咲季の良いところであり悪い所だ。
だから俺に過去の話をさせたくないと他の人物へ聞くことを選択した。つまり少なからず俺が招いた結果。
電話越しに聞こえる鼻をすする音が鎮静した心を責め立てた。
「……悪い、言い過ぎた」
『ぐすっ、う、うん……』
「…………けど、もう二度と危険な事しないでくれ。具体的には辻堂に二度と関わるな」
それだけは確約して欲しかったので再び強く念押し。
咲季は泣きながら『うん』と返事し、その後何も言わずにただ啜り泣いた。
さすがに罪悪感が胸を満たし、何か気を逸らせるような話題は無いかと思考を巡らす。
「て、ていうか、よくあの屑が素直に話したな、俺との過去話」
結局、少ない引き出しから出てきたのはそんな話題だった。
「あいつ周りにどう見られるかってかなり気にする奴だから、絶対話さないはずなのに」
『私に言った、やらしい発言、を録、音してまして、それを……ネットに、ばら、撒くと、脅しました』
凄い事するなこいつ。
けど確かにそれなら納得だ。
今言った通り、あいつは世間体や周りの目を大いに気にするタイプ。表では良い子を演じてたのはその証左だ。
だからそういう手は単純だが効果的だろう。
「なるほどな……で、そこまでして俺の過去を聞いて何をしようとしてんの?」
『それは、』
「ここまで話したんだからもう全部話してくれたっていいだろ」
むしろそれが分からなきゃ今後どんな行動を取るか予想出来なくて怖い。
今回みたいな事がまたあった場合、運良く無事でいられる保証は無いのだから。
咲季は少しの間小さく唸り、やがて観念したように小声で、
『私ね、当時はさ、お兄ちゃんは悪い事ばっかりして馬鹿だなーって……思ってたのね。お父さんとお母さんを怒らせて迷惑だーって』
紡がれたのは、初めて聞く過去の咲季の心情だった。
……お前産まれた時から好きとか言ってなかったか。その言い草、絶対小学生までは嫌いだったろ。
思ったが、それを実際に言われたら今までずっと好かれていたんじゃないかと思っていたのが虚し過ぎるのであえて聞かなかった。
『けどそれから私も中学生になって色々と考えられるようになってさ、お兄ちゃんと関わる内に思ったんだ。本当にお兄ちゃんはそんな悪い事したのかなって。だってお兄ちゃんはずっと昔から、なんだかんだ言って凄く優しかったから』
「特に優しくなかったと思うけど」
『私が変なあだ名付けられて落ち込んでた時とか一緒に『鞠男パーリィー』やってくれた。私のどうでもいい話にもいっつも付き合ってくれた』
全然覚えてない。というか些細過ぎて記憶から消し飛んでる。
『あと、これは最近もだけど、私が何かあって気分が下がってる時、お兄ちゃんいっつも私が好きって言った曲流してくれてた』
「……」
『隣の部屋から壁越しに大音量で流してたよね』
もうすっかり泣きやんだ咲季は俺をからかうまでに持ち直していた。
ニヤニヤ顔が目に浮かぶようである。
釈然としねーな……。
「…………誰がそんな微妙な気遣いするか」
『認めないならそれはそれでいいけど』
咲季は『不器用な愛の狼秋春』と嬉しそうに笑った。
『だから、そんなお兄ちゃんだから、絶対何かあったんだって思ったの。何か理由があってあんな事をしたんだって』
「都合の良い解釈だな」
『うん。でも、本当に私が信じた通りだった』
ストレートに言われ、なんだか息が詰まるようだった。
気恥ずかしさか、それとも誰かが信じてくれていたというのに救いを感じたからか。
ともかく、妹相手に不覚にも心臓が跳ねたのは気づかなかった事にした。
『本当にあった事をお父さんとお母さんが知れば、きっと仲直りできるよ。冷たくなんてもうされない。だから私、お父さんたちにお兄ちゃんは悪くないって伝えたいんだ』
父さんと母さんに、あの時本当は何があったのかを話し、過去を清算する。
咲季がやろうとしているのは、つまりそんな所か。だが、上手くいくとは思えなかった。
人を殴って病院送りにした時点で俺は明らかに悪だ。
どうやったってその事実は消えないし、理由があったところでそれが免罪符になるわけじゃない。特に父さんは俺が他人に暴力を振るっていたという点に重きを置いていたように思う。
それに、
「……赤坂さんがやった事も暴露すんのか?教室荒らしたとか言っても絶対信じないぞ母さん達。あの人の信頼度半端じゃ無いし」
『やる前から諦めてたらダメ。最後まで希望を捨てちゃあいかんって有名な古典で言ってた!』
かの名作漫画を古典扱いする新世代児。
言い草からして、赤坂さんから暴露してもいいと許可は得ているらしい。
『だから、一緒に頑張ろ?』
包み込まれるような優しい声だった。
「なんつーかお前強引」
『えへへ、それが強みです』
そんなに甘いわけがない。
だけど不思議と実現してくれそうな気がする。そう思わせる力を咲季は持ってる。
明るくて前向き。誰かの笑顔が好きで、あいつの周りには笑みが溢れてる。調和の象徴として俺の中に根付いているのは間違い無く咲季だ。だから
こんなにも信じたくなってしまう。
ああ、本当に単純だ。
やっぱり俺は、〝家族〟を捨てきれない。
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