第二十一話 これに尽きる


『そう、ね。私は、おかしくなったの』


『もう、まともじゃない』





『――私は、アキ君が好き』



 # 


「っ――――!!」


 飛び起きた。

 同時、体に走る衝撃。

 鈍い音と共に痛みが背中に広がった。


「いっ……てぇ」


 痛みに顔を歪めてゆっくりと体勢を直し、その場に座る。それで完全に意識が覚醒した。

 影に呑まれた見慣れた室内。俺の部屋だ。

 視線を横に遣るとちょうど目の前にベッドの横面が。どうやら夢見が悪くて飛び起きた結果ベッドから転げ落ちたらしい。

 じんじんと痛む背中をさすりながら立ち上がる。勉強机の上に置いてあったスマホのスリープを解除し、時刻を確認。21時。帰ってすぐにベッドに横になって、そのまま寝てしまっていたようだ。中途半端に寝てしまったから今日は夜遅くまで起きてしまうかも知れないな。


「ていうか寝汗すご」


 汗でぐっしょりと濡れたᎢシャツとチノパンの不快感にげんなりする。これはシーツも替えないとな。

 扇風機しかないこの部屋は夏場に地獄と化すからシーツを替えるのはもはや夏のルーティーンと言っても過言じゃない。幸いストックはあるから困らないけど。

 気だるい身体を引き摺り、スマホをポケットにしまってベッドのシーツを外す。着替えの寝間着を取ってから洗面所に向かってそこにある洗濯機にシーツを詰めて、ポケットに入っているスマホを取り出し、好きなアーティストの曲を流しつつ風呂場へ持ち込む。取り付けられた棚の上にスマホを置いて服を脱ぎ、身体をシャワーで洗った。

 洗った後、お湯を流したままシャワーフックにシャワーヘッドを掛け、椅子に座って頭から浴び続ける。

 そのまま目を瞑り、ぼぅ、と思いに耽った。


「……嫌な夢見たな」


 長い夢だった。いや、夢と言うよりは追憶と言った方がいいかも知れない。

 最悪な過去の映像の再生。

 菊池との最悪な別れの記憶。そして起きる直前まで見ていたのは、その後に起きた、あの日の記憶。

 俺と赤坂さんの関係が狂ってしまった始まりの出来事。

 あんな悪夢を見るなんて、絶対今日赤坂さんが妙な事をぬかしたせいだ。


『咲季ちゃんは自分で動いて、間違って、気づくだけ。家族も結局他人の一人でしかないって、事実に』


『アキ君はあの日に、少なからずそれを味わったでしょう?』


 頭に何度も反芻させられる言葉。

 そして、


『だからこれは忠告。きっともう止められないし、咲季ちゃんはきっと悲しむだろうから、慰めてあげて』


 あれは何を言いたかったのだろうか。

 これから咲季が何かをしようとしている。そしてそれが原因で悲しむ……という事だろうか。

 あんな事を俺に言ったとなると、あの人は何かを知っているんだろう。

 赤坂さんが何かを仕掛けて咲季に何かをさせようとでもしているのか?それとも咲季が自発的にしようとしている事について話を聞いた?

 どちらにせよ警戒が必要だろう。この前の城ヶ崎の件もある。何があってもおかしくない。

 咲季とのデートは来週。その時にはあいつには憂い無く思い切り楽しんでもらいたい。だからこのタイミングで悲しい目になんて遭わせたくなかった。


 ――まあ、いつでも悲しい目には遭わせたくないが。


 思って、目を開ける。

 するとスマホからの音楽の音量が小さくなり、ピロンと電子音。

 誰かからメッセージが届いたみたいだ。

 まあ、大抵は決まった相手だからすぐに目星がつくが。


 シャワーを止め、風呂の中にあらかじめ掛けておいたバスタオルで身体を拭きつつスマホを手に取る。案の定画面には〝咲季〟の表示。

 トークルー厶を開いた。


《欲しがりな貴方へ》


 そんな文章の下に、咲季が可愛い子ぶった顔で投げキッスをしている自撮り画像が載せられていた。


「……ふ」


 思わず少し吹き出した。

 何なんだよまた馬鹿な事をして。自意識過剰SNS女でもそうそうこんな自撮り撮らないぞ。

 濡れた手を拭き、返事を打った。


《なんだこれ》


 すぐに既読になり、返事が返ってくる。


《私のきっちゅが恋しい今日この頃かと思って》


《いりません》


《そんなこと言ってホントはソッコー保存したのを私は知っているゾ!》


「はは」


 なんの実にもならない不毛なやり取り。

 だけど、今の沈んだ気分にはどんな薬にも勝る良薬だった。

 さすがコメディアンだ。


《ありがとな》


 素直な気持ちで、返事を送る。

 すぐに既読がついたが、その後に続くメッセージは無かった。

 ……いや、そりゃそうか。文脈的におかしいよなこれは。今の素直な気持ちを思わず送ってしまったが、俺の心の機微なんて電波越しに分かるはずもない。これだけ送られたら意味不明だろう。

 返事に困ってるんだなと思い何か誤魔化す言葉を探して唸っていると、


「おぉう!」


 電子音。急に来たのでビビった。

 画面を見ると咲季からの電話の表示。ちょくで聞きにきたか。


「どうした?」


 電話が繋がったと同時に訊くと、咲季は何故かもじもじとしていた。


『えっ?えーっとぉ、や、そのぉ……』


 いつもの咲季らしからぬ躊躇ためらいがちな様子。

 不審に思った俺は風呂場で素っ裸で立ったまま次の言葉を待った。

 だが、


『保存したの?』

「は?」


 数秒の間をもって出てきた電話越しの言葉はちょっとよく分からなかった。


『今の写真、保存したの?』

「……えっと」

『私の!投げきっちゅ画像を!浅ましくもカメラロールに保存してお気に入り登録したのかと!聞いているのです!』

「…………」

『したの?えっ、したの保存!?』

「してないけど」

『じゃあさっきの〝ありがとう〟は!?今の間は何!?』

「いやお前こそ何?」


 話の流れが読めなかったので聞き返した。


『だ、だって、保存されたら恥ずかしい……』


 しおらしく、割とガチなトーンでらしくもないセリフをのたまう芸人。


「……はあ?」

『恥ずかしいのっ!』


 いや、恥ずかしいって……。


「お前が送ってきたんだろ。むしろ保存しろみたいな感じだったろ」

『そうだけどぉ……!それはその、あれだよ分かるでしょ?私の相方を十年以上続けてきたお兄ちゃんなら分かるよね!?』

「全然」

『それでも私の男か貴様はッ!』


 かつて無いほど漢らしくキレられた。


『まったく最近の片桐秋春ときたら妹の恥ずかしい写真をフォルダに保存してペロペロくんかくんかして困らせるのを生きがいにしているとは、とんだ変態がいたもんだよ!!』

「だから保存してないから。てかこの前エロい広告みたいな自撮り送ってきたやつが何言ってんだ」

『あれは純粋な気持ちで送ってたのっ』

「どんな気持ちだよ」


 まあ、こいつは思いつきで行動するきらいがあるから、多分構ってもらうためのアクションとして妙ちきりんな自撮りを送ってくるんだろう。今回のも冷静になって考えてみたら恥ずかしくなったとかそんな所だろうな。

 ……絶対この前の自撮りの方が恥ずいけど。


「ともかく、保存してないんで」

『……なんかそれはそれで釈然としない』

「アホ」

『うるさいあむあむ星人』

「完全なる濡れ衣で付けたあだ名止めろっての」

『細かいこと気にしてたらハゲ…………、ん?そういえばお兄ちゃんもしかしてお風呂いる?』

「ん?ああ」


 声が反響してるから気づいたか。

 ていうかそろそろ父さんが帰ってきて風呂に入るだろうから出ないとまずいな。

 思って風呂場のドアを開けた。

 バスタオルで体を拭きながら、意識は電話の方へ。


『………………』

「なんだよ」

『お兄様』

「ん?」

『最近の技術の進歩って素晴らしいですわよね』

「……は?」


 うん?なんか始まったぞ。


『良い世の中になったものですわ。離れた場所で寂しい夜を過ごす恋人同士がこうやって距離という概念を突破してむつみ合うことが出来る素晴らしい機器が現れて早幾年はやいくとせ。グラハム・ベルだかエジソンだかが生み出した世紀の発明、それが――電話。始まりは今から約』

「御託はいいから要件をさっさと述べろ」

『ビデオ通話しませんか』


 真摯に頼んでる声だった。


「なんで」

『お兄ちゃんのフルヌード見たいです』


 咲季は欲望に真摯だった。


「絶対しない」

『なんでよケチ!少しくらい良いじゃん減るもんじゃないんだし!』

「ケチじゃねーよするわけねーだろ!ていうかお前言い分が変態オヤジのそれなんだよセクハラ妹!」

『だって、だってお風呂にスマホ持ってってるって、そこで電話出るってそういう事でしょ!?相手にいやらしいこと考えろって言ってるよーなものでしょねぇ!?』

「たまたまだっつの!」

『ほーらまた下ネタ挿入してきたー!』


 咲季。お前と話してると元気出るよ。

 元気出るけどさ。けどね、一つ欠点があるんだ。


「あーもうめんどくせぇぇ!」


 ホント、これに尽きる。




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