第二十三話 ぶっ飛ばす

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 数日が過ぎ、咲季とのデートの日がやってきた。


 現在家で絶賛準備中である。


 時刻は午前9時。

 窓の外は見渡す限り青。スマホで調べたが、この後天気が崩れることも無いらしい。


 天気には恵まれた。後はあいつを思い切り楽しませてやるだけ。

 具体的に何をすればいいのかは曖昧だが、櫻井さんからは「いつもみたいなTシャツ一枚はNG」「暑くてもボディタッチ多め。腕組むか手は繋ぐ」と口酸っぱく言われた。


 それはなるべく守るとして、そうなると着ていく服がなぁ。夏はファッションがどうかよりどれだけ涼しいかに重きを置いてるから、Tシャツ一枚の格好以外した事無いし。どうしたもんか。


 10数分悩んだ末、VネックのボーダーTシャツの上に紺のシャツ、黒のチノパンという姿に落ち着いた。

 大学のテニサー(赤坂さん所属。カースト上流階級が集まるテニスサークル)の連中でまあまあ見かけるような格好だし、そこまで問題は無いはず。櫻井さん曰く「自分のために洋服に気合を入れたと分かるだけでも嬉しいものよ」との事だったのでブチ切れられる事は無いだろう。


 というわけで準備は整った。

 咲季とは11時に遊園地で待ち合わせになっている。

 一緒に行けばいいじゃんと言ったけど、櫻井さんと咲季から「待ち合わせるところからがデートだ」と猛反発を受けたのでおっしゃる通りにした。


 遊園地は電車で10分揺られた後、バスで10分の場所。つまり灯夏駅から20分程度で着く計算だ。だからまだ時間的に余裕がある。

 よってこんなに早く準備を済ませなくてもいいのだが、それには一つ理由があった。


「……行くか」


 荷物を持ち、スマホでとある人物にメッセージを送ってから俺の部屋を出る。


 心の中に渦巻いた負の感情をみそぐための儀式。


 端的に言えばそんな用事だった。



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 空からの焼け付くような熱に肌がひりつき、汗がぽつぽつと浮き上がり始めた頃、病院の正面玄関の自動ドアが開いた音に顔を上げた。


 視線の先、目的の人物がやってきたのを確認して、俺は柱に預けていた背中を離し、そいつの目の前まで歩いた。

 そいつは眼前にやって来た俺を怪訝そうに睨み、威圧的に見下ろした。


「退院おめでとう」


 辻堂明つじどうあきら。ベリーショートのシルバーに染めた髪で、ガタイのいい身体つきをした中学時代の知り合い。

 今は病院着でなく、胸元が大きく開いた白いカットソーにジーパン。銀のネックレスとピアスという格好だ。

 手には大きめのバッグが下げられている。


「あァ?」


 辻堂は俺の祝辞に理解不能だと言わんばかりに警戒した様子を見せた。


「何お前。なんでオレの退院知ってんの?」

「病院関係者に知り合いがいるからな」


 櫻井さんには辻堂に関する事はなるべく伝えるよう頼んでいる。先日の咲季の件をそれとなく伝えたから、今はかなり協力的だった。患者という手前本人には何も言えなかったのだろうが、「同じ女として腸煮えくり返るよ」と怒っていたし。


「はァ?プライバシーどうなってんだよクソか」


 地面に唾を吐き捨てる辻堂。クソはお前だ。


「お前の入院理由、本当に痴情のもつれだったんだってな。彼女殴って喧嘩になって、勢い余って刃物で刺されたって?」

「うっせーな。てかホントなんで知ってンの?」

「さあな」


 なんで俺がそんな事を知っているのか、それは偶然としか言いようがない。


 ……とりあえず挨拶はこのくらいにしておこう。


「で、お前、咲季にふざけた事言ったらしいな」

「アー、本題そっち……」


 逆にわざわざお前に会いに来る理由が他に無いと思うんだが。

 ともかく、その小馬鹿にしたような態度から反省とかそういった気持ちは一切持っていない事がすぐに分かった。

 最初から予想してた事とはいえ、実際に感じるとかなり腹が立つな。


「てかお前の妹さ、躾どうなってんだよ。クソウザかったんだけど」

「何が?」

「お前がオレ殴った理由?しつっこく聞かれてさァ、あんまりにウゼェから全部話しちまったわ」

「……あっそう」


 つまり要約すると「全く反省してません」って事ね。


「だからオレむかついて?脱げって冗談で言ってやったワケ。そしたら本気にしやがって、マジ勘弁だわ。どうにかしてくれよお兄ちゃん」


 煽る口調で馴れ馴れしく肩に手を置く辻堂。

 俺はその手首を握り、力を込めた。


「づっ!……ンだよ」

「どんなに月日が経っても屑は屑のままだな、つくづく」

「あァ?」

「誰かを嘲笑って生きてるようなお前がなんでこれからも生きるんだろうなって思うよ。それと、そう思うだけで腹が立って暴力で発散しそうになる俺も大概だ。俺らはその程度の人間なんだなって悲しくなる」

「は?何急に語ってんのお前?」


 鼻で笑いつつ、辻堂。

 黙って聞いてろ。


「だけどさ、大切なものを傷つけられて黙って何もしないようなやつはもっと屑だと思うんだよ。そういうやつに俺はなりたくない」


 握った手をゆっくりと押し返し、乱雑に離す。


「あ?ナニ?また殴んの?」

「まさか。俺は暴力とか嫌いなんだよ。まあ、本当なら咲季へ土下座でもさせてやりたいけど、お前の顔をまたあいつに見せたくなんてないから別の方法で償わせてやる」


 言って、俺はスマホを取り出し、とある番号へかけた。


「もしもし。はい、そろそろどうぞ」


 短いやり取りを終え、通話を終える。

 眉を顰めた辻堂だったが、


「っ、あ?」


 背後からの小さな衝撃。

 それに何事かと振り向き、すぐにその顔が驚愕の色を帯びた。


「……み、ミサっ!?」


 そこにいたのは、背後から辻堂を抱きしめるボブカットの大学生風の女性。


「アキラ君」


 女性――安藤未紗あんどうみさはうっとりと陶酔しきった声色での名を呼んだ。


「な、んで」

「酷いじゃない。入院してる病院、教えてくれないんだもん」

「こ、かっ、片桐てめェどういう事だッ!」


 相当動揺している。それだけヤバい人物だって事か。


 辻堂の恋人(元とつけた方がいいのかも知れないが)である安藤さんと初めて会ったのは数日前。病院の前でだった。俺が病院の入口付近でスマホを弄っていた所で声をかけられたのだ。「アキラ君の中学校の時の同級生ですよね」と。


 そして自分は辻堂の恋人である事、喧嘩の末にナイフで刺してしまった事、謝りたくて連絡を取ろうとしたが繋がらないので入院先を探しているという事を話してくれた。

 だが、中々見つからず、中学校の同級生だった人にまで聞き込みをしているというわけらしかった。


 そのやり取りですぐに彼女の〝ヤバさ〟を感じた俺は、このまま真実を伝えて病院へ入れればお世話になってる先生や櫻井さんの迷惑になるかも知れないと感じてある提案をした。

 それは辻堂が退院する日にサプライズで会ったら良いのではないかというもの。

 病院へ入るのを阻止できる上に、もしかしたら辻堂へのささやかな仕返しにもなるかも知れないと感じた上での咄嗟の提案。

 安藤さんはそれを快く承諾。電話番号を交換し、ちょこちょこと連絡を取りながら今に至る。……というわけだが、どうやら予想以上に効果があったらしい。


「どういう事も何も、お前が撒いた種だろ。彼女とちゃんと話し合ってやれ」

「ふざけ……」

「アキラ君ごめんね、こんな怪我させるつもり無かったの。ただ少しカッとなっちゃったの。ほんとうに悪気は無いの。信じて?信じて?ねえ?」


 辻堂は俺に飛びかかろうとするが、後ろの安藤さんがそれを許さずガッチリとホールドしていた。

 すげぇ力強いな。辻堂の焦りも半端じゃないし、思わぬ対辻堂兵器現る。


「でもこれでお合い子だよね?私病院探すの凄く苦労したんだから。アキラ君の友達みんな知らないって言うし、中学校の同級生の人にまで聞いて回ったんだからね?」

「うるせぇ抱きつくなお前を避けてたんだよ!」


 腹に巻き付く腕を力づくで取ろうととするが、全く離れる気配は無い。


「じゃ、挨拶は済んだんで、安藤さんごゆっくりー」

「あ、はい、ありがとうございます」


 俺は顔を火照らせてホールドしている安藤さんに手を振って、背を向けた。

 万が一彼女が一方的に酷い扱いを受けるようだったら止めようと思っていたが、あの様子ならどちらが立場が上かは一目瞭然だろう。

 周囲の人もやたらいちゃついてるカップルがいるなとだけ認識してるみたいであまり気にしてないくらいだし。


「てめぇ憶えてろよ片桐ッ!」

「はいはい」


 辻堂の負け惜しみじみた雄叫びを軽く流し、


「……じゃあお前も覚えとけ。今度咲季に何かしたらこんなもんじゃ済まさない。ぶっ飛ばす」


 強い敵意をもって振り向き、睨みつけた。


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