fragment 4 秋春の章(二)


「片桐お前、最近三年の眼鏡の女といる事多くね?」


 給食を食べ終え、昼休み。

 緑の生い茂った体育館裏の壁に寄りかかってスマホをいじっていると、横で煙草を吹かしていた辻堂が声をかけてきた。


「付き合ってんの?」


 煙草を片手の指に挟みながら煙草臭い体で乱雑に肩を組んでくる。

 無視しようと思ったのに、暑苦しいしうざい。近くでやかましく鳴く蝉の方がいくらかマシだ。


「付き合って無いし多く無い」

「ホントのところどうなんだ?あ?」

「やけに絡むな……」

「そうだったらおもしれえなって思ってなァ」


 そう言って人の悪い笑みを見せ、俺から離れた。

 次いで、石段になっている所で腰を下ろして携帯型ゲーム機のゲームを黙々とやっているやつに目を向ける。


 羽柴翔はしばかける。俺と辻堂のクラスメイトだ。俺と同じく、クラスでは浮いている。原因は主に(理由はよく分からないが)休みがちなのと、授業以外はそそくさとどこかへ消えてしまうからだが、その理由というのがこれだ。

 人付き合いよりゲーム。そういうやつなのである。

 俺が昼休みをここで過ごすようになる前から居座っていたが、お互いに校則違反は黙認という暗黙のルールによって同席が許されている(多分)。

 まあ、ここ以外に人がほとんど来ない場所というのが無いからというのが離れていかない一番の理由だろうけど。

 特に夏は熱くて外に出るやつ少ないからな。


 ともかくそんなやつだから、ゲームをしている時に話しかけるのははばかられるのだが、


「羽柴もそう思わねぇ?」


 自己中な辻堂はそんなもの関係なしに話しかける。


「んー?知らなーい」


 案の定帰ってきたのは生返事。

 辻堂は返事などはなから期待していなかったのか、特に何も言わず、隣にしゃがんでゲーム画面を覗き込んだ。


「お、羽柴てめぇ『鞠カー7』買ったのかよ。やらせろ」

「やだよ。やりたいなら自分で買ってヌンテンドーに貢献するのが礼儀」

「てめぇのクソ美学なんざどうでもいいんだよ貸せ」


 肩を強引に掴んでゲームの邪魔をするクソ野郎。


「ちょっと、ケムいの我慢してやってるんだからやめてよね。先生に告発するよ」


 それを避けつつ、不機嫌な声色の羽柴。しかしそれでもなおゲームを続ける。

 執着すげえ。


「……何、片桐に遅れた春が来たって?」

「おい!」


 羽柴が話題を俺の方に強引に逸らしやがった。


「ん?ああ、そうそう。結構意外な好みしてんぜ、見に行くか?」

「行かないよめんどい」

「あー?だったらそれ貸せや」

「やだって言ってんでしょ。ていうか辻堂最近金持ってるんだから買ったって問題な……ちょっと一位脱落したんだけどぶん殴るよ!!」


 いつものじゃれ合いに視線を向けつつ、完全に標的から外れたと悟った俺は意識を別の方へ遣る。


「まあ、成り行きだよな」


 考えるのは、辻堂の質問の事。

 あの地味女とは別に一緒に居るわけじゃ無い。ただ、見かけたら挨拶はする程度になったというだけだ。


 俺は数日前のことを思い出す。



 # #



 地味女――どうやら菊池霞きくちかすみというらしい――との一件から一夜明けた翌日の放課後。昨日と同じく中庭の掃除にやってくると、そこにびっしょりと汗をかいた菊池がいて、俺を見るや否や話しかけてきた。


「あの、昨日はありがとうございました」

「え、お、おう」


 急に頭を下げられる。

 昨日とまるで違う態度に、思わずどもった。


「すみません、昨日は怒ってばかりでお礼も言えなくて……」

「いや、別にいいけど」


 ただのストレス発散みたいなものだったし、お礼を言われたり謝られても困る。

 少しバツが悪くて視線を逸らすと、雑草の破片や土などが付いた菊池の制服姿に気がついた。

 瞬時に察し、呆れてため息を吐く。


「で、今は何を探してんの?」


 今度は菊池がバツが悪そうに視線を逸した。


「今日持ってきた教科書ほぼ一式と、筆記用具です……」

「……またあいつら?」


 菊池は黙って頷いた。どうやらまた隠されてしまったらしい。筆記用具は見つけたが、教科書がどうしても見つからないみたいだった。

 あまりの馬鹿さ加減に片手で後頭部を掻き毟る。


「あのな、あんたが昨日の時点で虐めがあるって言っとけば終わったかも知れないんだぞ」

「…………」


 責め立てる言葉に菊池は俯いた。


 ……そう、昨日あの女共にボールをぶつけた後、騒ぎを聞きつけた教師がやって来て、軽い事情聴取のようなものが行われたのだ。

 俺は見た事実をありのままに語ったのだが、女共はその証言を断固として否認。食い違う証言に困った教師は菊池へと水を向け……


「あろう事か「私は酷い事なんてされてません」とか言いやがって……、結局よく分からん内に全部俺が悪いみたいになっただろうが。親にも連絡されたぞ最悪」

「それは女の子に暴力をふるった片桐さんにも問題あると思います」

「ああいうのは何回かぶっ叩いてやらないと同じ事繰り返すんだよ。教育だ教育」

「…………」


 何言ってるんだコイツって目で見られる。

 俺からすればお前がそうだからな。


「片桐さんは凄いですね、強くて」

「あ?馬鹿にしてる?」

「いや、その、唯我独尊って感じで良いなって」

「絶対馬鹿にしてんだろ」


 唯我独尊って良い意味であまり使わないだろ。

 悪気なく言ってるのだとしたら、虐めに遭っている理由の一端が垣間見えた気がする。

 まあ、だからと言って原因は被害者の方にもあるなんてクソみたいなご高説を垂れる真似はしないけど。

 虐めはやる方が絶対悪だ。そもそもの行為自体が腐っている。周りと違うやつを囲って攻撃するのは動物の本能で、ヒトなら誰にでもあるものだと思うが、それを理性で抑えられない時点でそいつは人間として終わってる。

 だから、目の前でそれが行われているのは非常に胸糞が悪いわけで。


「あんた、なんであんな事言ったんだよ」


 何故か虐めの事実を否定した馬鹿に問いかける。

 菊池は何度か視線を彷徨わせ、言葉を整理するように無言でいたが、やがて口を開いた。


「私の前に、虐められていた子がいたんです。それを注意したら、今度は私がターゲットになって……」

「あるあるだな」

「……それで、ほら、私がもし先生に助けを求めて、私に対する虐めそれが無くなったとして、絶対すぐにあの人たちは同じ事繰り返すじゃないですか。それでもし次に私じゃなくて他の子が標的になったとしたら、可哀想ですよ」

「……だからこのまま我慢するって?」

「私が耐えれば丸く収まりますから」


 絶句。

 自己犠牲ってか?本気で言ってんの?


「それに私、先生ってあまり信じられないし……」

「それだけ言われた方がまだ納得できたな」

「あはは……」


 乾いた笑い声。

 ……ふざけんな何笑ってんだ。頭沸いてやがんのか。


「……来い」

「え?きゃ、」


 俺は菊池の腕を掴んで強引に校舎の中へと引きずっていく。何事かと見てくる生徒たちの間を抜け、そのまま人気の全く無い南校舎――家庭科室や理科室などの教室が並ぶ校舎だ――の一階男子トイレの前へ。

 何がなんだか分かっていない菊池を置いて一人トイレの中に入り、誰もいない個室を開けていく。そして最後に一番奥の個室のドアを開けた。


「当たり」


 舌打ちして呟いて、男子トイレを出る。入口付近でボケっと突っ立っている菊池を中へと引っ張った。


「え!?ちょっとなんですか!?」

「いいから来い」


 何故か顔を青くして(ここは赤くするところじゃないのか?)中に入るのを拒否する菊池だが、体重も軽く力もないので簡単に中に引っ張り入れる事が出来た。

 そのまま奥の開けたままの個室の前へ。


「見ろ」

「あ……」


 個室の中は雑然としていた。薄汚れてくすんだ乳白色のタイルに、千切れたティッシュペーパーの破片。

 そしてタイルを埋めるようにが散らばっていた。便器の中にも同様に教科書が乱暴に詰められて水に浸っていて、あまりにも露骨な悪意が透けて見えていた。


「さっきあいつらがここら辺うろついてるのが見えたからもしかしたらと思ったけど、マジで男子トイレに捨ててやがった。中々冒険する馬鹿だな」

「…………」


 冗談めかして軽く笑ってやるが、菊池は泣き出しそうな顔で惨状を見下ろしているだけだった。

 俺はその菊池霞と名前が書かれた汚水を含んだ教科書を拾って菊池の前に突き付ける。


「これから卒業までずっと、こういう事をされ続けるんだぞ」

「…………………」

「自分で何かしら動かなきゃ終わらない」


 眼鏡越しの僅かに潤んだ瞳を見て言った。

 菊池はぎゅっとスカートを掴んで俯き、


「いいんです」

「良くねぇだろ。ただのクラスメイトの代わりに自分が虐められますって、マゾかよ馬鹿か」


 ムカついて、怒気を含ませて言った。


 辛くないわけが無いのに平気な振りをしているのが気に食わなかった。

 自分だけ不幸になって、搾取されて、周りだけが幸せになる。そんな世界をこいつは望むと言う。


「ただのクラスメイトじゃ無いです」

「あ?」

「私は、幸せになるべき人のために生きれれば、それでいいんです」


 あまりにもふざけた考えだ。他人の幸せのために犠牲になるなんて馬鹿げてる。自分のことを価値の低い消耗品だとでも思ってるんじゃないだろうか。


「アホくさ」


 吐き捨ててトイレの壁を蹴った。鈍い音と共に足に痛みが走る。だが、沸騰しかけた心を落ち着かせるには丁度良かった。


 どうしてか無性に苛々する。

 理由も分からないまま、俺は捨てられた教科書を全て拾い上げて両手に持ち、衝動的に廊下に出た。


「あ、そ、それ、どうするんですか?」


 慌てた菊池が後を追ってくる。

 俺は廊下を進みながら振り返らず、


「ムカついたからあいつらぶっ飛ばす」

「また暴力ですか!?」

「ちげーよ比喩表現だっつの。めんどいけど正々堂々正攻法でやってやる」

「先生に言うって事ですか?」


 隣に並んできた菊池に頷くと、表情を曇らせた。

 虐めの標的がクラスメイトだか友達だかに移るかも知れない事を気にしているのか、教師への不信感からか。

 だが、


「家が貧乏なのに教科書また買う羽目になってんだぞ。それで黙ってんのか」

「大丈夫ですそのまま使います!」


 いや使うなよ汚ねぇな。

 俺は立ち止まって頑固な地味女に向き直る。


「……俺が言えた事じゃないけど、このまま続けば確実にエスカレートして制服とか鞄とかがぶっ壊されて親に迷惑かける事になるぞ。あんたはそれを許容出来んの?」

「そ……れは」


 無理そうだよな。

 ただのイメージだったが、リアクションからして当たっているようだ。


「優先順位を考えて選べ。他人か、家族か、二つに一つだ」



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