fragment 4 秋春の章(一)


 ミンミン、ジージー。


 めすを求めるクソ虫共の独唱合戦が猛威を振るう季節。

 夏休みが終わってすぐの、朝から晩まで暑苦しい拷問のような時期に俺――片桐秋春かたぎりあきはるはクーラーも無い扇風機だけの蒸した室内に閉じ込められていた。

 時間は昼。場所は俺が通う中学校の陰鬱いんうつ極まりない一室。まあ、学校内の取調室みたいな所だ。

 目の前には厳しい表情をした学年主任のゴツい教師。机を挟んで睨み合うように対峙している。

 傍らには俺のクラス、二年八組の担任も同席していて、苦々しい表情をしていた。そこから読み取れるのは「またか」という気配。


「片桐……これで何度目だ?」

「何が?」


 学年主任の言葉にタメ口で返す。

 最初に会った頃は敬語を使っていたが、こいつらの程度が知れてからはそんなものは使っていない。敬っていないやつに敬語を使う意味は無いだろう。

 タメ口であることに初めは口煩く注意してきたが、頑として言うことを聞かないからか、最近ではもうスルーされる事が多くなっている。


「喧嘩で生徒指導室に呼び出されるのが、だ」


 しかし、暴力沙汰となればやはり見逃すわけにはいかないらしい。

 いつもの不機嫌そうな声よりも一段階低い声。

 うん、かなり怒ってる。


「だから、今回は正当防衛だって。どけっつったら殴られたから殴り返しただけだし」

「屁理屈聞いてるんじゃないんだこっちは!お前はこの前、もう喧嘩はしないって言っただろうが!」


 火山噴火。威嚇するように机を思い切り叩いてくる。

 思わずびくりと肩が跳ねた。傍らの担任教師も肩を跳ねさせていた。


「だから喧嘩じゃなくて正当防衛だって……」

「見苦しい言い訳をするな!!」


 また机を叩かれる。

 担任教師がうんざりした顔をしていた。


 しかし俺は嘘を言っていない。

 登校途中、校門の前にガラの悪い他所の中学のやつ三人組がたむろしていて、女子に声をかけまくるという迷惑極まりない行為をしていたから「どけ」と声をかけた。そしたらうるせぇだの何だの言って殴りかかってきたのだ。だから殴り返した。

 しかも俺が殴ったのは一回だけで、すぐに駆けつけた教師に取り押さえられたから、ほとんど殴られただけの被害者と言っていい。なのに何故怒られるのか。

 まあ、問題を起こす時点でムカつくって事なんだろう。教師のくせに心の狭い奴だ。


 そして、しばらくテンプレートな説教が続き、


「ともかく、反省文と、昼休みと放課後に校舎の清掃二週間!いいな!」


 今回の罰が告げられた。



 # #



〝秋春を愛せない〟


 祖父母の家に遊びに行った時、偶然にも聞いてしまった言葉。その言葉を母さんの口から聞いてから、俺は家に居るのが怖くなった。当たり前に愛されていると思っていたのに、それがただの思い込みでしかないと知ってしまったから。

 だから俺はそのストレスの捌け口を外に求め、中学に入ってから喧嘩をよくするようになった。

 ただ見境なく暴力を振るうのは抵抗があったから、俺の基準で悪事を働いていると思ったやつらだけを対象にして、喧嘩を売りまくった。家に帰りたくないから、ゲーセンやファミレス、同類の家に入り浸ったりもした。

 結果、俺はこの中学校で一番の厄介者として名を馳せるまでになってしまっている。


 校舎の窓を丹念に拭きながらそんな事を今更ながら考えていると、ひそひそと隠しきれていない声が耳に入った。


「ほら、見ろアレ」

「うわ、まじで顔にでっかい痣あんじゃん」

「今朝の喧嘩の罰で掃除してるんだろ、あれ」

「不良気取ってバカみてーだよな」


 もっと声量落として喋れよ。

 言ってやろうかと思ったが面倒なのでやめた。

 確かに俺は不良ぶった馬鹿以外の何者でもない。喧嘩という学校において反抗的な行為を毎回しておいて、そのくせ教師から課される罰を素直に行なっているのだ。


 俺からしてみれば、放課後の掃除や課題は家に帰るのが遅くなって大歓迎だから、むしろ願ったり叶ったりである。

 夏休み中は行くところがなかったので図書館に入り浸り、仕方なく本を読んだり勉強をしたりしてみたが、意外に性に合っていると感じたので、今後は放課後は図書館かファミレスにでも籠ってそういう事をするのも良いかも知れないと思い始めているくらいだ。不良ぶった馬鹿というのは的を射ている。

 けれど一度染み付いた習性というのは中々抜けないもので、ついつい喧嘩腰になって今回みたいな事態を引き起こしてしまうのは仕方が無いと思う。というか、同じような馬鹿を追い払おうとしてやったんだからむしろ感謝してほしいくらいだ。ていうか感謝しろや。


「……」


 なんかムカついてきたので後ろを振り返って周囲を睨みつけると、視界の端の男子の集団がそそくさと廊下の奥へ散っていった。

 同時、逆に俺の方へ近づいてくる人物が一人、視界に映った。


「よぉ」


 ヘラヘラとした笑みを浮かべながら近付いてくるガタイのいいベリーショートの男子生徒。同じクラスの辻堂明つじどうあきらだった。

 表ではクラスの中心にいる人の良いやつだが……、裏では煙草を吸ったり人間関係を転がして愉しんだりと、相当くずだ。

 そんな奴が教師生徒共に信頼が厚いと言うのだから笑えてくる。

 そんな辻堂とは、以前体育館裏で授業をサボっていた時に鉢合わせ、以来ちょこちょこと話す間柄だ。知り合い以上友達未満といった具合。


「なんだ、辻堂か」

「あァ?なんだよその態度。愛しの赤坂センパイじゃ無くて残念ってか?」


 からかうように鼻で笑って肩を組んでくる辻堂。

 赤坂とは、俺の幼馴染の赤坂結愛あかさかゆあの事だ。

 物心ついたときからの付き合いで、今でも交流がある。芸能人顔負けレベルのルックスをしてるし性格も良い。自慢の幼馴染だ。

 ただ、幼馴染と公言はしていないし、したら結愛姉ちゃんに迷惑をかけるだろうと思うので、マジでさらっと言うの止めてもらいたい。


「でけー声で言うな。うるせぇんだよ馬鹿」


 鬱陶しく暑苦しい腕をはがして押し返す。

 どこから知ったのかは分からないが、本当に迷惑だ。


「は。悪ぃ悪ぃ、てか、派手にやられてんな?顔に痣あるやつ初めて見たわ」

「触んな」


 不躾に触れてきた手を弾き返す。


「で、何してんの?」


 俺の態度を気にも留めず、笑顔で訊いてきた。


「見りゃ分かるだろ。掃除だよ」

「罰か。どっからどこまで?」

「職員棟と南校舎の一階の床掃除と窓拭き。あと中庭の掃き掃除」

「結構シビアだなー。バックレりゃいいじゃん」

「やんなきゃ後々面倒だからな」

「真面目かよ。だったら元から喧嘩すんなって」

「…………うるせぇよ。俺が喧嘩してるのをいつも笑って横で見てるやつが言うな」


 珍しく正論を言われて目を逸らした。

 それで俺への興味が失せたのか、ヘラヘラと笑いながら俺の肩を軽く叩いて離れていく。それを目で追うと、連れがいたのか、数人の男子と合流していた。


「よくアイツと喋れるよな、辻堂は」

「なんで?お前も今度から話しかけてやれよ」

「無理無理!」

「なあ辻堂、それよりさっきの話なんだけど、金払えば……」


 だから、声のボリューム抑えろっつの。どいつもこいつも。


 舌打ちして、少しだけ残っていた窓拭きを終わらせた。

 傍らに置いていた掃除道具を手に取り、重い足取りで今度は中庭へ向かう。



 ♯



 中庭に着いた。

 ここは北と南の校舎の間に挟まれる形になっており、どちらの校舎からもすぐにやってこれる位置にある。基本アスファルトの広場といった感じで、真ん中に大きな木、鯉が棲む池があり、そこを中心に所々にみかんやらイチョウやら、色々な木や草花が植えられている。外れにはうさぎ小屋があった気がするが、そこは中庭と言うには怪しい位置にあるので、掃除しなくてもいいだろう。早く終わったらやっておこうか。


 簡単に落ちているゴミを拾ってゴミ袋へ入れ、粗方終わった後、掃き掃除。竹箒を持って落ち葉やせみの抜け殻を掃いてちりとりへと入れていく。

 途中通りすぎる生徒がちらちらと奇異の目で見てきたりしたが、気にせず掃除を続けていると、


「……………………」


 今から掃こうと思った場所に、女子が蹲っているのが見えた。

 探し物だろうか。植木の側に生える雑草をかき分け、目を凝らしている。

 おさげ髪に黒縁眼鏡。よれたブラウスにカスタマイズしてない長いスカート。いかにも文学少女といった雰囲気の地味な女だ。


「ちょっと」

「!」


 声をかけると、地味女は笑えるくらいに肩を跳ねさせ、屈んだまま鳥のように地面を旋回し、顔を上げた。


「え……か、片桐……さん!?」


 怯えたような表情。

 知り合いではないはず。どうやら一方的に知られているらしい。

 まあ、悪い意味で知れ渡っていても不思議じゃないか。


「そこ掃除したいんで、どいてもらってもいい?」

「あ、え、う、うん……」


 言っても、ためらうように地面を見つめるだけで退こうとしない地味女。

 どうやら失せ物が気になるらしい。


「なんか探してんの?」

「シャーペンの、芯……」

「は?シャー芯?そんなん必死に探すんだったらもう買った方が楽だろ。100円200円くらいだし」

「あー……あはは……」


 地味女は力なく笑った。


「もしかして家が貧乏とか?」

「う……」


 超適当に言ったのだが、当たったらしい。

 なるほど、それなら必死に探すのも納得いく。

 相当な貧乏なんだなと考えていると、上方からキャッキャと笑い声。

 見上げると、三階の教室のバルコニーから顔を出した、髪を染めた女子と顔の整った女子がこちらを見下ろして笑っていた。


菊池きくちー!見つかったぁー?」

「おい、男子に色目使ってる場合かよ!ちゃんと探せー!きゃはは!」


 どう見ても友好的じゃない態度の二人。

 あからさま過ぎてすぐに理解する。


「虐めか」


 地味女は目を逸らして黙り込む。

 無言の肯定だった。

 俺は、地味女の頭に目を遣る。そこには微かに付いた土。そして傍らには土塗れのサッカーボール。

 他にもノートや教科書が雑草の中に落ちていた。


「……ムカつくなぁ」

「えっ?」


 俺は呟いて、胸の内に溜まった鬱憤を晴らすため、ボールを拾って振りかぶり、汚い笑い声を上げる女子共に向けてぶん投げた。


「きゃあ!!」


 甲高い叫び声と、ボールがぶつかる音。

 一人に命中。腕で咄嗟に防がれたから顔面には当たらなかったが、攻撃したという事実が大事だ。

 陰湿な事をするやつは、きちんと〝痛い目を見る〟のだと身体に刻みつけてやらなければいけない。そうしなければ際限なく増長する。


「ん」


 ぎゃあぎゃあと猿みたいに叫ぶ女共を眺めていると、女の一人がサッカーボールを投げ返してきた。だけど俺の横、数メートル辺りに落ちる。次いで、ボールをぶつけられた顔が良い方の女が何かを投げてきた。小さい何か。

 今度はまぐれかコントロールが良いのか、俺の顔面へ飛んできたので、キャッチする。


「お、あざっす」


 死ねだのキモいだの狂ったように喚き散らす女共に手を振り、


「はい」


 キャッチしたそれを地味女に投げた。


「ひゃ、」


 慌ててそれをキャッチし、手を開いて確認する。


「あ、シャーペンの芯……」

「あいつらが持ってたみたいだな。典型的過ぎて笑えてくる」


 まだ色々と投げてくる馬鹿共を見上げる。

 三階って事はこの地味女は三年生か。雰囲気からして到底年上には見えないけど。


「鞄は上?俺が持ってこようか?」


 自分でこの状況を作っておいてなんだが、多分今の状態のあいつらの前には出て行きたくないだろうと思って訊く。

 すると、


「あ、あのっ!」

「あ?」

「あ、ああいうのはいけないと思いますっ!」

「……へ?」


 なんかキレられた。

 突然の事だったので、面食らった。


「どんな事をされても、暴力で返しちゃ、だめです!誰かを傷つけたら自分も痛くなります!だから、暴力はダメです!嫌いです!」


 さっきまでのおどおどした様子は演技だったのかと疑いたくなるような剣幕。

 正直クソ引いている。なんなのこいつ。虐められてたくせになんであいつらを庇うような態度を取るんだ?わけ分かんねぇ。


「誰かを吊し上げて喜んでるような屑ならあれぐらいされて当然だろ。むしろ足んねーし」

「酷い事に酷い事で返したら、それが続いちゃうんです!続いて、悲しくて、だから……」


 血が上って真っ赤になった顔で、地味女は息を吸い込み、



「ちゃんと謝って下さいっ!!」



 叫んだ。



 # # #



 ……これが、これから起こる一連の事件の始まり。

 どこかズレた少女と、中途半端にグレた少年の出会い。



 これは彼らの、出会いと別れの話。


 簡単に言うなら、そういう話だ。


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