第二十話 素敵な事が起こるんじゃないかな


 いつも通り咲季の見舞いに来て、咲季と櫻井さんと俺の三人で来週のデートの準備の進捗(主にチケット等の件について)を話した。

 咲季がまた馬鹿な事を言って長引くんだろうなと思ったが、何も言われることなく無事に終えて、病室を出た。

 それが小骨が喉につっかえたみたいに引っかかって、


「なんか、咲季今日調子悪かったりします?」


 一緒に出てきた櫻井さんに声をかけた。


「どうしたのさ急に」


 櫻井さんは特に何も感じていないみたいで、怪訝そうな顔。


「なんとなく元気無いなって。だる絡みしてこなかったし」

「そう?いつも通りだったと思うけど。体調的にも問題無し。あ、けどキミが居ないときにキミの話題が一度も出なかったね」


 いつもは話してるのか。恥ずい。


「…………キミなんかした?」

「何もしてません。むしろ俺がされてる方です」

「ふーん、まあいいや。あんまり思い詰めてるようだったらちゃんと話聞いてあげるようにね。この前みたいに倒れたら嫌だか、ら」


 肩を叩かれる。


「っで……、櫻井さんも協力してくださいよ」

「無理無理。片桐君居ない時のあの子、外面モードだし。私そんなに心許されて無いもん」

「はあ」


 そうなのだろうか。こんなに話しやすい人なのに。

 もしかしたらジェネレーションギャップ的な年齢の壁が立ちふさがっているのかもな。


「何か失礼な事言ったか?」

「いえ、滅相も御座いません」


 怖っ、サトリかこの人。

 年齢というワードに第六感まで過剰反応を示してるのだろうか。だったら怖い。

 ちょ、睨まないで。目が血走ってるから。怖いから。


「そ、そう言えば昨日は遅くまで居座っちゃってすみませんでした」


 危険を感じて、話を無理矢理別の方向へ持っていった。

 するといつもの優しい櫻井さんに戻って、


「……あぁ、いーのいーの!昨日はありがとね!」


 肩をバシバシと叩いてくる。


「いえ……、あの、痛いっす。平手の威力高い」

「ほんと助かったよー!しかもあの子の遊びにも付き合ってもらっちゃって……この御恩はデート大作戦の日に爆発させるから」


 昨日、あの後、俺と莉央ちゃんはクララヴァを櫻井さんが帰ってくるまでやっていた。実力が五分五分で接戦だったので熱が入ってしまったのだ。

 まあ、だから結局俺も楽しんだし、むしろ入り浸ってしまって悪く感じてるくらいだからそんなに低い姿勢にならないで欲しい。


「ホント良くしてくれたみたいで……あの子、すっかり片桐君気に入ったっぽくてさ」

「え?」

「「片桐さんはまた来るの?」って!このー、隅に置けないねぇ色男!」

「いやそれ全く気に入られてるように思えないんですけど」


 むしろその言い方だともう来ないで欲しいと言ってるようにも取れる。


「いやいや、あの子の興味を引けた時点で凄いのさ。普通なら話題に出しもしないから。好きか興味無いかのどっちかだもん」


 言われて、昨日の莉央ちゃんの発言を思い出す。


「けど昨日従兄弟の事が嫌いって言ってましたよ?」

「いとこ……あー、かけるね。あれは愛情の裏返しだよ。家に来なくなったら来なくなったで絶対寂しがる」

「そういうもんですかね」

「キミの咲季ちゃんに対する態度が丁度そんな感じ。ちょっかい出されなかったらそれはそれで寂しいでしょ?」


 それは今の状況の事を言ってるのだろうか。

 思わず渋面。


「……反応しづらい返しやめてください」

「否定はしないってのがね〜。愛だね〜」


 やかましい。

 思いつつ、一応事実に近いのでそれ以上言い返さなかった。

 それからちょこっと喋ってから、櫻井さんと別れた。

 病院の外に出て、湿り気の多いどんよりとした暑さの中をうんざりしながら進む。

 ぽつりと、何かが腕に当たった。空を見上げると、重苦しい灰色が広がっている。

 まるで今の俺の心を代弁しているようだ。


「寂しいんじゃ無くて、不安なんだよ」


 最近のあいつの態度は、どこか違和感がある。だからまた何かを溜め込んでいるのではないかと思ってしまう。

 遠慮するな、溜め込むなとは伝えてるし、咲季も今までよりは甘えてくれてるんだと感じる。きっと何か問題があったら俺に相談してくれるだろう。

 だが、それがもし俺の事で何かを抱えてるのだとしたら、俺へ気を遣って相談は躊躇うかも知れない。あいつの元来の性格だ。言ったところですぐに直せるものでもないだろう。


 今までの経緯から、あいつが悩む可能性が高いのは俺の過去の話だと思われる。

 何故か話そうとするのを遮ってくるから、確実に何かがあると言ってるようなものだ。

 そこから何か事件が起きるとは思えないが、俺なんかの事で考え過ぎてあいつが体調を崩すのはあるかも知れない。実際今がそういう感じ出てるし。


「どうしたもんかな……」


 誰も居ない交差点を渡った後に呟いた。

 それと同時、


「何か悩み事?」

「……!」


 不意打ち。

 聞き慣れた声に、脊髄反射で表情筋が強張った。


「赤坂……さん」


 横合い。少し離れた所に、傘をさした赤坂さんが立っていた。

 淡い青色のロングワンピースを揺らめかせ、見惚れるような所作でゆっくりと近づいて来る。


「どうしたの?機嫌が悪そう」


 いつも通り、腹が立つほどのたおやかな笑み。

 この前のようなこの人らしくない人間味は感じられない。だからこそ冷静に、敵意を持って接することができる。


「赤坂さんに声をかけられたからですね」

「わ、嬉しい」


 どうなってんだこいつの思考回路は。


「まさかまた咲季の所に?」

「どうして?」

「進行方向が病院なので」

「違うよ?咲季ちゃんにも会いたいけれど、今回は昔の友達の家に、ね」


 一瞬、哀しげな表情かお

 いつも通りだと思ったらまたそういう顔を見せてくるので調子が狂う。

 しかし、昔の友達と言ったら小中学の時のか?

 小学校の時は上位グループの女子に目をつけられて孤立していたからいないはず。だったら中学校かと思うが、この人は中学校から人との付き合い方がまるで変わり、深い友人関係というのを築いていない。

 ゆえに発言に違和感を覚えたが、深く追及する気もないので流した。


「そうですか。じゃあ」


 そのまま立ち去ろうとすると、


「アキ君」


 呼ばれる。

 無視すれば良いのにと思うが、振り向いた。


「……なんですか」

「今朝ね、あの日の事、咲季ちゃんに聞かれた」

「あの日って……」


「〝アキ君が私のクラスで暴れた日〟の事」



 言われて動揺した。

 何故咲季が赤坂さんにそれを訊くのか。そもそも、あの日の事をこの人は……


「話したんですか」

「私の知ってる事は全部」


 つまりそれは起こった事全てって事だ。

 この人は絶対に語らないと思っていたので意外だ。


「まさか話すとは思わなかった」

「いまさら隠す必要もないからね。それに、咲季ちゃんは言いふらしたりしない。アキ君と同じで」


 だろうなと心の中で頷く。

 だが、


「中学の時の事は俺が話すって言ったのにどうしてあんたに……」


 それが分からず、呟いた。

 すると赤坂さんが「そういう話になってたんだ?」と可笑しそうに笑って、


「けど、その理由は何となく分かるかな。だって、アキ君が全部話すとは限らないでしょう?」

「は?」

「アキ君は誰かのためなら、嘘は言わなくても事はあるよね?実際、中学生の時にアキ君が悪者になった大っきな二つの事件で、アキ君は何も弁明しなかったものね。だから、裏付けみたいな意味で私に訊いてきたんじゃないかな」


 そんな事は無い。

 そう言い返そうとするが、の話をするという場面になったとき、洗いざらい話せるかと言われたら答えはノーだ。何かしら言わない部分は出てくるだろう。


「それに無意識かも知れないけど、アキ君過去の話題になると辛そうだから。話させたくないって思ったんだと思うよ」

「……そう、見えますか」

「ええ」


 ぽつりぽつりと、空から落ちてくる雫が断続的なものから連続的なものへ変わってくる。

 赤坂さんがこちらへ近づき、傘を差し出して俺を中へ入れた。


「咲季ちゃんはこうやって、冷たい雨に晒されるお兄ちゃんを助けようとしてるの。だからきっと、素敵な事が起こるんじゃないかなって思うな」

「まさかあんた、また何かしたんじゃ……」


 この人が意味深げなセリフを吐く時は大抵何かがある。顔を顰めて見下ろした。

 赤坂さんはわざとらしく膨れ面になって、


「何もしてないわ。する気も、全然。ただ、

 咲季ちゃんは自分で動いて、間違って、気づくだけ」

「何の話です?」


 わけが分からなくて眇めた。

 すると、赤坂さんは薄く笑む。


「家族も結局他人の一人でしかないって、事実に」


 アスファルトを打ちつける雨が、激しさを増した。

 言葉に、詰まった。


「アキ君はあの日に、少なからずそれを味わったでしょう?」

「……うるせぇよ。あんたに何が分かる」


 苛立ちから、口調が荒くなる。

 苛立つのは、図星だからだ。それでも、認めたくないと心が叫んでいるから。


「分かるよ」


 そんな俺に赤坂さんは人間味のある諦めたような笑みで答えた。


「だからこれは忠告。きっともう止められないし、咲季ちゃんはきっと悲しむだろうから、慰めてあげて」

「……話が抽象的で言いたいことが見えてこないんですが」

「それは、自分で考えてみて?」


 俺の手を握って持ち上げ、傘を持たせる。

 そしてそのまま傘の外にぴょん、と跳ねて、交差点を小走りに渡り、


「あげる」


 笑った。

 そして手持ちの青いバッグからもう一つの折り畳み傘を取り出し、手を振ってから背を向けて去っていった。


「…………」


〝家族も結局他人の一人〟


 その言葉が胸に刺さる。


 赤坂さんの言う通り、あの日に俺は、それが事実なんだと身をもって知ったんだ。


 雨の中、ちらほらと鳴き始めたアブラゼミの声を聴き、追憶する。


 中学二年の夏。

 今よりずっと暑くて、蝉たちの声が響いていた、最低で最悪な夏の物語。

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