第十五話 わたしにはじをかかせる気?
「あっはっはっ、大変だったねぇ」
「笑い事じゃ無いです…」
病院の廊下。
そこで壁に寄りかかり、俺と櫻井さんは立ち話をしていた。
少々混沌とした院内が落ち着きを取り戻してすぐ、彼女に呼び出されたのだ。
話題は当然ぎちぎちビッチ衣装で飛び出していった城ヶ崎の事。
あの後院内を走り抜けた城ヶ崎はすぐに看護師の皆様に捕まり、しばらくして冷静さを取り戻して咲季の病室に帰って来て、速攻で着替えて家に帰った…と咲季から聞いた。
どうやら俺が探しに行ったのとすれ違いになったようだ。
咲季が言うにはめちゃくちゃ謝られたらしいが、むしろ我々兄妹(主に咲季)に非があり過ぎるので全く謝る必要は無いと思う。
俺もメッセで謝罪の文を送ったけど、新たなトラウマを植え付けてしまったのではないかと戦々恐々である。
無理かも知れないがどうか俺ごと忘れてしまって欲しい。
……という事で、とりあえず咲季は数日間のメッセブロックの刑に処した。
「そんなご無体なぁー!」と泣きつかれたので結構効いてるっぽい。反省しろ。
「いいねぇ、青春だねぇ」
「何ですか遠い目して」
「いやなんでも?」
にやりと笑む櫻井さん。
また俺の事をからかおうとしてるんだろうか。
「ところで仕事はいいんですか?」
なので面倒が起こる前に話を逸らす。
「少しくらい休まないとやってらんないからねー」
「不真面目だなぁ」
「真面目にやり過ぎて病むよりはマシよ。適度にサボるのが仕事を継続させるコツ」
「はあ」
一部からは強く反発されそうな発想だなと思った。
けど櫻井さんの仕事の仕方についてとやかく言う気は無いので、特に何も言わなかった。ちなみに俺は嫌いじゃない。
「いやー、しかし、コスプレ姿の子が院内を走ってるって聞いた時は耳を疑ったけど、片桐兄妹が関わってるなら納得だわ」
「出来れば納得しないで欲しいですね…」
「本当に飽きないねー君たちは」
肩を叩かれる。
「俺は好きでやってるわけじゃありませんから。大体原因は咲季です」
「でもそれに毎回付き合ってるのは片桐君でしょ?」
あっけらかんと、核心じみた事を言ってくる。言葉に詰まってしまった。
「ま、そうやってバカやってられるのは学生の特権さ。今の内に堪能しときなさい」
優しい笑顔。
目を逸らした。この手の顔を向けられると眩しくて直視したくなくなる。
なんでだろう。心が汚れてるから?
…さもありなん。
「それでだけど、デートの日程決まったよ」
「お」
話題が変わった。
話の流れから、これが本題か。
「来週の木曜ね」
「あ、俺の希望通ったんですね」
言わずもがな平日で大学の講義もある日ではあるが、来週は完全に試験期間のため、講義は無い。代わりに一限に試験が一つあるのみである。
木曜の講義だからといって試験は木曜にあるわけではなく、試験期間中のいずれかの日にバラバラに配置されるため、講義の組み方によっては偶然時間的に余裕が生まれる日があったりするのだ。
ちなみに来週の木曜の試験は火曜日に講義がある社会学B。
そんなわけで、午前中に解放される来週の木曜に合わせて欲しいとお願いしたのだ。
土日なら確実に空くが、それだと父さんが見舞いに来て不在がバレる恐れがある。万全を期すなら平日がいいと思ったのだ。
遊園地も空いてるだろうし。
「なんか、やっぱり申し訳無いですね。俺達のために色々準備してもらっちゃって」
「いやいや、大したことはしてないよ」
「いや、ホント感謝してます。ありがとうございます」
頭を下げる。
すると櫻井さんから躊躇うような気配。
「…ホントにそう思ってくれてる?」
「え?は、はい…思ってますが」
何かを期待するような視線だった。
この感じ、覚えがある。
高校時代の知人。あの猫狂いが俺に奢らせようとねだる時に感じる雰囲気だ。
うーん、もしかしたらここからが本題なのかも。
「じゃあ、今日、ちょっと頼まれてくれないかなー、なんて」
「……何かあるんですか?」
案の定だった。
感謝してるのは本当だし、できることなら恩に報いたいので話を聞く。
話を要約すると、娘さんに渡す予定だった家の鍵を間違って自分で持ってきてしまい、このままだと娘さんが閉め出されてしまうから鍵を届けてきてほしいとのことだった。
「鍵いつも持たせてないんですか?」
「いやね、いつもランドセルに紐でつないでおいてたんだけど、取れそうだからって修理してたのよ。そんで朝に渡す予定だったのさ。けど今朝私、寝坊しちゃって焦っちゃっててさぁ…」
「テンパって鍵を渡し忘れてしまったと」
「そういう事」
そう言ってポケットからキーホルダーのついた鍵を取り出す櫻井さん。
なるほど。小学生だったら下校時間は確実に櫻井さんの終業時間より早いし、だからといって仕事を抜け出すのも無理。自由に動ける知り合いに頼むのは得策だ。
鍵を自宅のポストや植木鉢の下に入れとくという手段もあっただろうが、…灯夏市の駅周辺は治安は悪くないけど、全体的に見れば悪い部類に入るからよろしくない。
「今日は日勤、夜勤どっちですか?」
「日勤だけど会議みたいなのがあって残業する」
なおさら誰かに頼むしかない。
スマホをつけて時間を確認する。
「17時過ぎてますけど、娘さん何時間も待ちぼうけしてるんじゃないですか?」
「今日はクラブ活動してきてるはずだから帰ってきてそんなに時間は経ってないと思う」
「ああ…」
クラブ活動か。懐かしい。
そういえば俺も小学生の時は週一であったかもしれない。縄跳びクラブに属してた気がする。なんとなくで入った気がする。
「お願いできる?ホントに鍵渡すだけで良いから!こういう時に頼ってる子が今日仕事長引いてるらしくてさぁ…!」
手を合わせてお祈りポーズ。
こんなに必死な櫻井さんは初めてかもしれない。少しうろたえる。
「いや、俺は良いんですけど、娘さんが大丈夫なんですか?見知らぬ男に声かけられて鍵渡されて、警戒されますよね?」
「今からメッセージ送っとくから大丈夫だよ」
今度はスマホを取り出してニカッと笑って見せた。
「え、今時の小学生ってスマホ学校に持ち込んで良いんですか?」
「こっそり持たせてる」
「ドヤ顔で言う事じゃないです」
娘さん(
他の家の教育方針なので口には出さないけど。
「…まあ、そういう事なら俺届けてきますよ」
壁から背中を離して、鍵を受け取る。
「助かるー!悪いね、試験勉強あるのに」
受け取った手を掴まれて大きく振られる。
恥ずかしいのでやめて欲しい。
「大体は頭に詰め込んだので大丈夫です。気にしないで下さい」
俺は櫻井さんに住所を教えてもらい、別れを告げた。事情が事情だからなるべく早い方が良いだろう。
一旦咲季の病室へ行き、事の経緯を伝えて病院を後にした。
デートの話もしたら下がっていたテンションが爆上がりした。現金なやつである。
♯ ♯
「まさか小学生と待ち合わせる日が来ようとはな…」
薄暗くなり始めた路地でひとりごち、指定された住所の近くまでやってくる。
前に駅の近くなんて言ってたから徒歩10分くらいで着くかと思ったが20分くらいかかった。スマホのマップ機能を使いながら来たので間違ってはいないはずだけど、案外遠かったな。単純にゆっくり歩いてただけかもしれないが。
「あ…」
そして、少し古びたアパートの前に差し掛かった所で、見つける。
そのアパートの階段に一人腰かけ、スマホを弄っているスカートを履いた少女。
間違いない、この前会った櫻井さんの娘さん、莉央ちゃんだ。
櫻井さんから俺が来るのは伝えられてるはずだが、万が一防犯ブザーを鳴らされたら怖いので恐る恐る近づいて声をかけた。
「…こんばんはー」
この声のかけ方も中々不審者臭いな。
周りに正義感の強いおばさんがいたらどうしようと思った時、莉央ちゃんが顔を上げ、「あ」と口を半開きにし、
「ふんにょうとシーオーツーの人」
「覚え方があんまりだなオイ」
思わずツッコんだ。
相変わらず浮世離れしてると言うか、不思議な空気感を持った子だ。
「わざわざご足労ありがとうございます」
立ち上がり、頭を下げられる。
「こ、これはご丁寧に…」
俺もなんかつられて頭を下げた。
鍵を渡すと「助かりました」と無表情。感謝してるのかしてないのか全く分からん。
そのまま莉央ちゃんは階段を上がって行き、5つ並んだ部屋の内、右側の一番奥の部屋の前へ。
鍵を差し込んで開ける。
俺はそれを見届けて、来た道を引き返そうとすると、
「では、どうぞお上がりください」
頭上から声。
莉央ちゃんが玄関を開けたまま俺を見下ろしていた。
「え?」
「お母さんが、お礼にお茶の一杯でもお出ししなさいって言ってたので」
どうやら中で少し休んでいけとの事らしい。
いや、それはいいけどなんで部屋の前まで行ってから声かけたの?帰る寸前だったけど?
この子の世界分かんねぇ…。
「そう、なんだ」
「私はとてもそんな気遣いをできる性格じゃないから
「自分は出来ないのに娘には強要するのか…」
なんかその強引な感じが櫻井さんっぽいなと感じる。
「さあどうぞ入ってください」
無表情で圧をかけてくる莉央ちゃん。
しかしよくよく考えると女子小学生が一人の家の中に親類でもない男子大学生が入るってアウトっぽくない?犯罪臭しない?
「えっと…」
階段の下で情けなく冷や汗をかいて悩む。
「わたしにはじをかかせる気?」
「…それもお母さんから?」
「こうすれば気の弱い人は断れないそうです」
あの人絶対子供の育て方間違ってるぞ。
「……分かったよ。お邪魔します」
両手を上げて降参のポーズ。
金属製の階段を登る。
ポリスメン呼んでる人とか居ないよなと辺りを見回しながら、小さな少女の家へと招かれた。
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