第四話 バブーー!
「で、お兄ちゃんは私がなにで落ち込んでるって思ったの?」
ごくごくと呑気にオレンジーノを飲み、サイドテーブルに置く咲季。
俺はベッドの脇にあるパイプ椅子に腰掛けた。
「…………や、なんつーか、さっき廊下で父さんと会ってさ」
「ああ、うん」
「退院の件、バッサリ切られたみたいだったから、落ち込んでるのかなと…」
嘘ではないが真実でもない。
誤魔化すような俺の答えに、
「ふーん」
何故か咲季はじとっとした目を俺に向ける。
「もしかしてお父さんに怒られたりした?」
核心を突かれて「う」と声が漏れた。
「私が退院したいって言ったの、お父さん気に入らなかったみたいだし、お兄ちゃんが吹き込んだんじゃないかみたいな雰囲気ビンビンに感じたし」
「……別に何も言われなかったよ」
「ほんとに?」
「…ああ」
「私の目を見て言えますか」
咲季の目がより一層細められた。
視線を合わせるが、その厳しさに何も言えなくなる。
「…………………」
「……あのね、前も言った気がするけど、何も話そうとしないの、お兄ちゃんの悪い癖だよ」
寂しげな声。
罪悪感で息苦しくなる。
「もし私に気を遣ってるなら、やめてそういうの」
「咲季……」
「そんなに私って頼りないかな。信用ないのかな。母性とバブみが足りないのかな」「……………」
「胸がおっきいだけじゃ、バブみって出ないものなのかな」
「…………………」
「やっぱりみんなおっとりタレ目泣きぼくろのボインにバブバブするのかな…!」
「…………………あの」
「お兄ちゃん、バブーー!って妹ママの胸に飛び込んでおい……」
「ちょっと?ちょっと一回黙ってくれる?」
必死な顔で「さあ来い」と大きく腕を広げて待ちの姿勢になった咲季を冷たく突き放す。
「なんなのお前?」
さっきまでの動揺が嘘のように、俺の心は凪いでいた。
「??」
「きょとん顔止めろ?」
「お兄ちゃんまた怒ってる?」
「怒ってるっつーかただただ戸惑いだよ。どうしたらそんなに際限なく話が逸れてくんだよ訳分かんねーよ」
「何が?」
「『お兄ちゃんが何も話してくれない』から『バブーー!』に逸れただろ」
「話逸れてないよ」
「あ?」
「私になんでも話してくれないのは包み込むような母性が足りないからなんじゃ無いかなーって思ったのです」
「最後の「バブーー!」は?」
「それはー…何となく?ラブが溢れ出てーみたいな?」
「お前馬鹿?」
「…なんで急に喧嘩腰なの?」
「いや、もう、優しく振る舞う余裕が消えた」
「それはそれは大変でちたねぇー。膝枕したげる♡」
「……いやまじでなんなんだお前」
「妹ママに甘えれば色々話してくれるかなーって」
「さっきから妹ママってなんだよ」
こいつの言語野は絶対どこか焼き切れてる。
「お教えしよう!妹ママとは幼さと母性を兼ね揃えた、パラドクシカルでインモラルな神聖なる女神である!」
「へーそうなの」
「とゆーわけで、おにーいちゃん!」
ベッドの端に寄り、自分の太ももをポンポン叩く咲季。
どうやら頭を乗せろという事らしい。
「………………」
「おいでおいで」
パシパシ。
「やだよ」
「おーいーで!」
バシバシ!
「いかない」
「なんだよ俺に遠慮するなって言ったのお兄ちゃんでしょー!」
枕を投げられた。
近距離なので防ぐ間も無く顔面にクリーンヒット。
「そういう事について言ったんじゃないっつの!」
落ちた枕をキャッチし、投げ返す。
咲季はそれを弾き飛ばした。
「ヘタレ」
「兄として当然の反応だ」
「今は…、兄じゃなくて、恋人でしょ」
もじもじと恥ずかしそうに、咲季。
「………」
俺も釣られて恥ずかしくなってくる。顔に熱が帯びた。
「仮交際でしょ?キスとか以外はおっけーなんでしょー?恋人らしい事出来なくてごめん的なこと言ってたでしょーー?」
今度は恥ずかしさを吹き飛ばすように喚き始める咲季。
「…それに対して咲季は無理すんなと男らしく言ってくれたと記憶してますが」
「ふ、そんな青い時期もあったわね…」
つい数日前の事である。
「そもそも膝枕って世の恋人達は案外やってない気がするんだけど」
「そんな統計がおありで?」
「いや何となく」
「話にならないわね。訓練校からやり直しておいでなさい」
いやお前誰だよ。
「という訳で膝枕させなさい。お兄ちゃんを膝枕する事で私も癒される。お兄ちゃんもバブって癒される。一石二鳥のハッピーアンドハッピー」
「……なんか、色々考えるの面倒になってきたな…」
「そうそう!脳を溶かして妹ママにどーんとバブりなさい!」
頭の悪い会話に脳の機能が麻痺る。
まあ嬉しそうにしてるし、少しくらいならいいか。うん。
咲季に寄り添っていくと決めたのだからこれくらいは我慢しよう。
パイプ椅子から立ち上がり、ベッドに座る。
湧いてくる羞恥心を追い払い、咲季の太ももに側頭部を乗せて横になった。
柔らかな感触が顔に伝わる。
「えへ、寝心地はいかが?」
「100均のクッションよりは良い」
「何それテンション下がるなぁ」
俺の返答に咲季は不満げに呟いて、頭をぐりぐりと撫で回してくる。
痛ってぇなと文句を言おうとして視線を上に移すと、
「………、」
大きな存在感を放つ胸部が視界に入り、瞬時に目を離した。
でか。
意識して近くで見ると、そのボリュームに圧倒された。ビビって目を逸らすくらいには圧倒された。
俺は妹を意識してしまった恥ずかしさを紛らわすように話題を探す。
「えっと、お前俺に膝枕して欲しいって言ってなかったっけ」
「うん言った」
「逆だけどいいのか?」
「今はお兄ちゃんが落ち込んでるんだから、これでいいの!」
わしゃわしゃ撫でられる。だから痛たいっての。
「なあ、咲季」
「ん?」
「これからどうする」
「どうって?」
「退院、このままじゃ無理だろ。あの人達せいで」
口調に棘が出るが、致し方ない。
理解は出来るとは言え、腹が立つものは腹が立つのだ。
「そだね。そうなったらなったでしょうがないかな」
対する咲季は普段と変わらず。
「なんか軽いな」
「自分の事だからねー」
自分の事だからと軽く扱うのは咲季くらいのものだろう。
こいつは自分勝手なようであるが、重要な時はいつも他人を優先する。それは良い所であり悪い所。
「お前もう少し自分大切にしろよ」
「してるよ。少なくともお兄ちゃんよりはしてますー」
「は?」
「お兄ちゃんは嫌な事あっても平気ですって顔してさ、私はいっつも後出しで『こういうことがあった』って知らされて…辛い時には何も話してくれない。ダメだよそんなの」
「それお前の話?」
「お兄ちゃんだよばか」
耳をつねられてねじられる。
「意外と似た者同士だったんだな」
冗談めかして言う。
「そりゃあ兄妹だもん」
「それもそうだ」
「……だからね、私だけじゃなくて、お兄ちゃんも甘えて欲しいよ。いつも知らない所で傷付いて私だけのうのうと笑ってるのは、嫌」
独白にも似た気持ちの発露。
頬に当たる手のひらは熱い。それはきっと咲季の気持ち現れなんだと、そう思った。
「お父さん、お兄ちゃんに何か言ったの?私の知らないお父さんは、どんな事言うの?」
今まで避けてきた問いだろう。
「…それは」
言ってもいいのだろうか。
中学の頃から父さんが俺に冷たくなったのは咲季も知っているが、実際どういう会話をしているのかは知らない。言っても傷つくだけだろうと言わなかった。
母さんが今家でどうなっているかも、知らない。
知らないのは幸せな事だ。何かを知れば知るほど、しがらみや痛みは増えていく。ならば言う必要なんて無い。そう思っていた…けど。
「それって、冷静に考えるとお前を馬鹿にしてるよな…」
呟く。
俺に頼って欲しいと思っている咲季の気持ちを無下にするって事だろ。
それは違うんじゃないのか。
「咲季…」
意を決して口を開いた。
「あ」
「最初に言っとくとな、父さんはお前の事を心配してるから、その反動で俺に……」「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「だから」「お兄ちゃん、お兄様、聞いて。中断。ちょっと中断。重大発表」
「…なんだよ」
急に素(というか普段の調子)に戻った咲季。
思わずこちらも普段の調子に戻ってしまう。
「マイマイ達が今から来ます」
「ん?」
「お見舞い。さっきメッセきたの思い出した。あと10分くらいで来るって」
続いた言葉に、嫌な予感がして固まった。
「それは何分前の話?」
「10分くらい前の話」
ヤバイ。
本能がそう告げた次の瞬間、コンコンとドアが鳴った。
どうヤバイのか脳が理解するより前、ガラガラと扉が開かれる音。
「失礼しまー…す…」
咲季の友達であり、城ヶ崎の件で知り合った少女、凛の声。
あれ以来会っていなかったので少し懐かしさが……いや、そんな事は今どうでも良くて!
「……………」
状況を整理。
・血迷った俺は咲季に膝枕してもらっている。
・俺から扉は死角になっていて見えないが、凛が病室に入ってこちらを完全に視認しているのは確実。
「……………」
「お邪魔しました〜」
ガラガラ、と扉が閉められた。
起き上がって頭を抱える。
またこのパターンかよぉぉ!!
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