第二話 デートの約束
「30分後って言ったじゃないのさ」
17時過ぎ。雨音がしとしとと鳴り続く外の様相に憂鬱な気分を増長されつつ、病院の出口付近で俺に不満げな視線を投げかける櫻井さんへ近寄る。
もう仕事終わりだから当然私服姿だ。
ひらひらした、花柄がちりばめられた白のブラウスに、緩いイメージのデニム。サンダル。レザーの鞄。
看護師の制服を見慣れているからか、やはり一瞬物珍しく眺めてしまう。
「あの後の経緯知ってるでしょう。咲季があんなになったのは櫻井さんが煽ったせいでもあるんだから許してください」
「凄かったねアレ。椅子に固定されて無理矢理ホラー映画見せられて、「ひっ…!」とか、片桐君女子みたいなリアクションしててさ。作業やりづらかったわぁ」
不満げな態度はただのポーズだったのか、嬉々として俺の痴態を嘲笑う櫻井さん。
「そう思ったのなら助け舟を出して欲しかったです」
「やだよー、あれ以上ちょっかい出したら咲季ちゃんとの関係悪化してたし」
そもそもそこまで持っていったのはあなただと言ってやりたかったが飲み込む。
それよりも要件の方に入りたかった。
櫻井さんは仕事の休み時間の内に話すつもりだったのを、こうしてずらしてまで話そうとしているのだ。多分軽い話じゃないはず。咲季の目が無い場所でする事から、あいつに聞かせたくない話だとも想像がつく。
「それで……話って」
俺が切り出すと、櫻井さんは「とりあえず外出よっか」と自動ドアをくぐって、病院の壁に寄って背中を預けた。俺も続いて隣へ。
「もちろん、咲季ちゃんの退院希望の件」
今までの明るい雰囲気が一転、固い表情へ。
病院側の協力が必要な一件。当然、病院関係者は咲季の願いについて知っている。
そして俺がその願いを叶えたいと思っているのを櫻井さんには話してあった。
「吉田先生が何か言ってました?」
吉田先生とは咲季の担当医師である。物腰柔らかな中年のおじさんだ。
「体調的には全然問題無いって」
それは体調以外では問題があるという事か。
「………問題は父さん、ですよね」
「と、奥様ね。昨日それについての話し合いがあったの」
初耳だった。
父さんと母さんの、こういう重要な場面での俺の信頼はほとんど無いと言ってもいい。だから家族全員が顔を突き合わせるような行事――家族会議や家族旅行等には呼ばれないし知らされもしない。
高校生あたりまではお情けで呼んで貰えていたが、こっちが途中で気まずさに耐えきれなくなると感じたので、もう呼ばなくてもいいと言った。そうしたら呼ばれも知らされもしなくなった。
咲季はそれを不審がっていたが、俺から頼んだのだと言ったら納得いかなそうな顔をしながらも理解を示してくれた。
まあ、家族旅行は咲季が「お兄ちゃんが行かないなら行かない」と言ってそれ自体が無くなってしまったが。
ともかくそういうわけで、俺は片桐家の一員ではあっても部外者のような存在なのである。
櫻井さんはそんな事情をある程度察している節があり、「何故家族なのに」といった違和感には何も言及しない。
「吉田先生的にはこのまま閉じ込めておくよりは家で過ごした方が良いってスタンスだったみたいだけど、それをオブラートに包んで言ったらすっごい怒られたそうよ」
「でしょうね」
主にキレたのは母さんだろう。ヒステリックに叫ぶのが目に浮かぶようだ。
咲季の顔を見るのが辛いと言っておいて、こういう邪魔な時には現れるのか。ふざけてる。
「けど、そういうのって本人の体調と、意志が一番大事ですよね」
文句が自然と漏れた。
今まで入院には賛成側だった癖にと自分で思う。
だが、不本意ながら赤坂さんに気付かされたのだ。
咲季が笑顔でいれる選択。それはきっと
だからもう父さん達に賛同出来ない。
「そうねぇ。けど、やっぱりご両親の考えでは、できるだけ長く生きて欲しいってのが強いのよ。周りが見えなくなるくらいにはね。それが分かってるから、咲季ちゃんもその場にいて何も言わなかったんだと思う」
「何も…」
正直俺は、こうなるのを大体予想していたので衝撃は薄い。しかし咲季からすれば、父さん達にあっさりと自分の望みを却下されたのは堪えているかも知れない。
あいつは無意識に溜め込んでしまうタイプだから、心配だ。
「この子はまだ子供だから事の深刻さが分かっていない。わがままを言ってるだけ」
「え?」
「奥様が言ってたって」
「……」
今の母さんなら言うだろう。
分かってはいても腹が立つ物言いだ。
「それを黙って聞いてた分、咲季ちゃんは大人だと思うけどねぇ、ま、親ってのはそんなもんさ。自分の子供はいつまでも子供なのよ」
「……………………」
「だから、今の所体調面では大丈夫だけどご両親の意思的に退院は厳しいわね。ウチの殿様、キミのお父さんにお金絡みですっごい借りあるんでしょ?それがあるから病院側としては「まだ健康なんだから退院しろ」と言えないわけ」
ウチの殿様…つまり医院長か。
「生臭い話ですね。それが身内なんだから笑えないですけど…」
「こういう話って無いって思ってても意外と近くに転がってるもんよねぇ。私も若い頃はうんざり……いや今も若いし!」
「っ………急にセルフでキレないで下さい」
突然の大声に肩がびくりと跳ねてしまった。
病院前の横断歩道の向こうの人までこちらを振り返っていた。
相変わらず老いに関するワードへの反応が過敏過ぎるこの人。
櫻井さんは少し顔を赤くしながら、「失礼しました」と咳払いして、
「けど、退院したいなんて言い出したって事はまだ自分が入院するレベルじゃないって気づいてたのよね」
「ああ、まあ、そうですね。多分父さんが色々口添えしてるっていうのも薄々気づいてますよ。意外と聡いんですアイツ」
恐らく確信に至ったのは赤坂さんからの入れ知恵だろうけど。
「父親がそういう事してるって分かってて態度は変わらず、かぁ。女優だね。そりゃストレスも溜めてるだろうさ」
「はい。この前の二の舞にならなきゃいいんですけど…」
呟く。
これからどうやってあの両親を説得しよう。
そうやって考えを巡らせていると、待ってましたと言わんばかりに櫻井さんが得意気な顔でこっちを見た。
「うん、そこでだ。私から提案があるんだけど」
「…?、はい」
「咲季ちゃんをデートに連れ出そう」
「え?」
目が点になった。
急になんの話だ。
「聞けばキミは咲季ちゃんを遊園地に連れて行くと豪語していたそうじゃないか。行こう遊園地」
「あー……、えっと、いや、あれはよくよく考えれば無理だなって気づきましたよ」
「なんで」
「今まで近くのショッピングセンターくらいならお忍びみたいな感じでこっそり行った事はありますけど…遊園地は流石に無茶かなって冷静になって思いました」
今まで、病院側が協力してくれて、すぐ近所なら咲季を連れ出せていたが(外出についても制限して欲しいと言われているから、もちろん父さん達には内緒で)、流石に遠出をするのは厳しいだろう。
それに入院するレベルでは無いと言っても、遊園地のアトラクションで過度なストレスがあればこの前のように倒れてしまうかも知れない。
「ていうかどうしていきなりデートですか?」
「いきなりっていうか、これが本題なんだけどね。んー、言いにくいけど、消極案?」
「消極案…?」
「…ほら、今の所ご両親を説得するのは…ね。だったらせめて少しでも思い出、作ってあげたいじゃない」
少し気まずそうに、櫻井さんは言った。
……なるほど。
父さん達の説得は難しいと踏んでの妥協案というわけか。
確かに今すぐ出来る事と言ったらそのくらいかも知れない。
「けど、
「隠蔽工作って……。いや、うん。大丈夫大丈夫!そういうのは吉田先生と私に任せなさい。何とかする!あとそのデート私もついてくから!それなら万が一倒れたりしても安心!」
「え?」
櫻井さんの言葉に目を丸くした。
「あ、ついてくって言っても、近くで待機してるって意味ね。お邪魔はしないよ」
「いえ、そうじゃなくて、仕事的に大丈夫じゃないですよね?」
「私が休みの日に合わせればいいのよ」
「……それはそれで休みを潰してるようで気が引けるんですが…」
「問題無し。私にドーンと甘えなさい」
「……………」
あっけらかんと、櫻井さん。
何故そこまで?
所詮櫻井さんにとっては俺達なんて、言ってしまえばただの他人だ。自分のプライベートまで潰すなんて…
「いや…」
違う。そうじゃない。
そうだ、こういう人なのだ。この人は。
過ぎるくらいに優しい人なんだ。だからあの時も俺の相談に自ら乗ってくれた。
だったらその厚意に甘えないのは逆に櫻井さんに気を使わせるかも知れない。
「………はい」
「うっし!じゃあ決まり!詳しくはまた後でね」
壁に預けていた背中を勢い良く離し、ニカッとした笑顔を向けてくる。
「なんか無理矢理感が強いですけど、分かりました」
上手く櫻井さんの敷いたレールに乗せられた気もするが、咲季も喜ぶだろうと思うので素直に頷く。
父さん達を説得するのはかなり骨を折るだろう。ならば出来る事からやっていって、その間に対策を考えるのがベストだ。
「あ、今日中にデートの約束取り付けてよ。こういうのはちゃんと本人が誘わないとね」
「分かってます」
「じゃ、はい」
櫻井さんが俺の目の前にポケットから取り出したスマホを差し出す。
「なんですか?」
「連絡先。今日みたいに回りくどい事したくない」
「ああ、はい」
俺もジーンズのポケットからスマホを取り出し、電話番号を交換。これでショートメールは出来るようになった。
一応適当なメッセージを送って試すと、ちゃんと送れたのでとりあえず一息。
雨がアスファルトを打つ音と、水を跳ねさせて走る車の音が耳に届く。
そろそろお開きの空気だなと感じた時、ふと、あの光景が頭を
「………ところで、櫻井さん家どっちです?」
「私?あっちの方」
櫻井さんは左の、駅の方面を指さした。
「……………」
俺は顎に手を当てる。
「え、なに?」
「あの、一緒に帰りませんか?」
「いいけど、方向同じなんだ?」
「俺の家はあっちです」
俺は右の人通りが少ない方を指さした。
「……逆…だね?」
「そのようです」
「………………んん?」
櫻井さんが首を傾げた。
「言い方を変えましょう。俺を送って行ってくれませんか」
「んー…ん?」
「俺を送って下さいお願いします」
頭を下げた。
「……え?それ男が女に頼む事?ていうか不審者ぶっ飛ばすくらいの男の子が何言ってんのさ」
ますます分からないと言った様子の櫻井さん。
……まったく、何を分かりきった事を言わせるのだろうか。
「俺が地面を這う女のお化けに襲われたらどうするつもりですか!」
「出ねーよんなもん」
一瞬の間もなくぴしゃりと言い放たれた。
「……怖いんだ?」
半笑いで聞かれた。なんだその顔。
「怖くない…と言えば嘘になりますね」
「なにちょっとスカした感じに言ってんの。そもそも今結構明るいよね?」
空を見上げる。確かに雨空でいつもより暗くはあるが、まだ日は落ちていない。
だが、
「俺の家の方の道、人通り少なくて暗いんです。不審者も多いんです。女性が一人で通ると危ない道なんです」
「あんたは男でしょうが。ビビり過ぎー」
帰り道の危険度を必死に話すが、櫻井さんはからかうように笑って本気で取り合ってくれなかった。
「男女差別だ!あんまりですよ!」
「必死だなー……、あれか、ホラー映画見た後トイレ一人で行けなくなるタイプねキミ」
「その通りです助けて下さいこのままじゃ奇声を上げて市内を駆け回る新たな不審者が誕生する事に…」
「はいはい、もー、仕方ないなぁ……今度ホントに一杯奢ってね」
櫻井さんは優しかった。
引き気味の笑顔で俺が指し示した方向へ歩いていってくれる。
「…はい喜んで!」
「……キャラ変わるくらい苦手なんだね幽霊」
歴戦の戦士のような頼もしい背中に俺は一生ついてくと誓った。
俺の家まで。
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