第一話 無理矢理じゃなくて合意!


 六月二十日。


 城ヶ崎の一件から一週間以上が経過した。

 色々あったが、咲季と俺の関係も少しずつ変わりつつある。

 仮交際なんてものは正直、言った当初は適当に提案しただけだったが、今は意外と形になってきている感があった。

 咲季は前よりも恋人のように遠慮なく甘えてくるし、不安だと思う事も話してくれるようになった。

「俺の前で無理するな」とかそんな感じの事を豪語したわけだからそうなってくれる方がいいのだけど、未だに倫理を振り払えず、恋人としては曖昧な態度しか取れない俺としては少し申し訳なかった。


 せめて二人きりの時はとも思ったが、「私の前では無理すんなよ」と咲季に男らしく諭されてしまい、結局はいつものような態度に落ち着いている。

 そんな折。土曜日の昼下がり。


「呪〇シリーズ鑑賞会開催決定」

「……ん?」


 いつものごとく簡素で無機質な病室で俺が自動車教習のテキストを読んでいると、スマホをいじっていた咲季が突然起き上がった。

 病にかかっているとは思えない、艶のある黒髪がはらりと舞う。


 じめじめとした空気と延々続く雨音にいい加減うんざりしていたが、病室はいい具合に空調が効いていて、外界から切り離されたように心地良い。

 咲季も家に居た時だったら梅雨の不快指数にやられて元気を失っているはずだけど、病院のこの空調によって逆に元気になっている気がする。


「ホラー映画の傑作、呪〇シリーズだよ。今動画サイトで無料期間やってるの!」

「はあ。どうぞ、勝手に」


 きらきらした目で熱く語ってくる。

 興味無さすぎて適当に返すと、


「あ?」


 強い視線が俺を射抜く。


「は?」


 わけがわからず首を傾げた。


「何言ってるの。お兄ちゃんがいないと始まらないでしょ。一緒に見るの」

「いやいつ決まったよそんな不穏な企画。俺知らねぇぞ」

「この前、あなたは膝枕をしてくれませんでしたね。しなかったら開催すると約束しましたよ」


 言われて思い返す。

 ……ああ、そう言えば城ヶ崎を無理矢理咲季の見舞いに連れて行った日に言われた気がする。俺の記憶では約束した事実は一切無いけど。


「いつの話だよ…二週間ぐらい前だろ」

「今思い出した」

「そんな薄い約束忘れてしまえ」

「うるせぇな。つべこべ言わずにこっちこいや」


 ベッドの脇まで移動して端座位になり、野蛮なオヤジのような口調で自分の隣をポンポンと叩く。


「……………」

「近うよれ」


 なんか、うねうねとキモい手つきで手招きしだした。


「え、嫌です」

「却下」

「嫌だ」

「約束は守るのが武士ですよお兄様」

「いつから武士になったんだ俺は。嫌なもんは嫌なんだよ」

「はん。怖いんだぁ?」

「怖いよ!目の前でちびるぞ俺は!」


 鼻で笑う咲季に俺は叫んだ。


「ええ、何この人恥じらい無い……」

「何が呪いの家だよ!普通住まねえだろそんな家!てかなんでこの手の映画の女子は大抵髪クソなげーんだよ!?」

「女子て…伽〇子を女子て……」

「という事で無理。嫌。絶対無理」

「むぅー……!」


 徹底抗戦の意志を示すと、咲季も抗議の視線を寄越しながら頬を膨らませる。


「一緒に見てくれないと酷い目にあうぞー!」

「悪趣味な映画見るよりはいい」

「脱ぐ」

「…あ?」

「見てくれなきゃ、この場で全裸になる」


 仏頂面で理解不能な言語を吐き出し始めた。


「…え、いや……、なんで?」

「そして叫ぶ。「お兄ちゃん…、やん…。ココ病院なんだよ……?もぅ、だ・い・た・ん」と」

「だからなんで?あとそれ叫んだら割と馬鹿っぽいぞ」


 ツッコミを入れつつ、想像してみる。

 ……うん。ただでさえセリフがアホ臭いのに叫んだらギャグでしかない。

 やられたらやられたで恥ずかしいからやめて欲しいけど。


「うるさいな、脱ぐぞ。いいのか脱ぐぞ?ほれほれ」


「あいむそーいーかっぷ」と訳分からない上に下手くそな英語を言いながら病院着の襟の部分を伸ばして谷間をチラチラ見せてくる痴女系コメディアン。

 それが逆に色っぽさとかそういった類の雰囲気を無惨に潰している。


「そんな脅し文句初めて聞いたな……」

「……ちょっと、なんで顔赤くしてもじもじし始めないの?一応私学内女体アワードでおっぱい賞を取った女なんですけど」


こいつの学校の男子生徒はろくなのいねぇな多分……


「この前、お前同じような事してたじゃん。下着姿で布団から出てきたじゃん」


 この前というのは赤坂さんによってふざけたメッセージを咲季に送られてしまった時の話である。

 暴走した咲季が下着姿で布団にくるまるという奇行に走った日だ。

 俺の指摘に咲季は記憶を掘り起こすように視線を上に遣り、


「あー…あった…ね。うん」

「それがなくても、家でお前の下着姿とか何度か見てるし。改めて見たところでなぁ…」

「…………………」


 咲季の表情が段々と冷えてくる。


「ていうかお前もっと恥じらい持てよ。家族とは言っても最低限の恥じらいってやつがあるだろ。エロサイトの広告みたいな自撮り送って来たこともあったしさ。そういう行動が女子ってより思春期の男子みたいなんだよ。もう少しなぁ…」

「……………」


 バッ!


「えっ」


「お兄ちゃん!やん!ココ病院なんだよ!!もぅ!だ!い!た!んーーー!!」

「ちょちょちょちょ、ちょーーーっと待てぇぇぇぇ!!」


 扉の前辺りまで勢いよく脱ぎ捨てられた上着をダッシュで取りに行き、喚き散らす下着姿の女の腕を掴む。


「何してんだアホか!?ほんとにやるやつがあるか!!」

「有言実行の女、片桐咲季ですっ!」


 元気良く手を上げたその頭をはたいた。


「と、とにかく落ち着け。落ち着きなさい。深呼吸をして冷静に自分の状況を……」

「いやぁぁーん!大胆な男秋春が愛の狼にぃぃ!」

「うるせぇぇぇ!!」


 口を塞いだ。

 病室があっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。

 この前と同じような絵面だが、咲季の叫んでるセリフがセリフなので流石に焦る。

 とりあえず服を着させて…


「ちょ、暴れんな大人しくしろっ」

「な、なんだやんのかコノヤロー!」

「酔っ払った中年か……っておい下着にまで手をかけんなっ!やめろマジで!」

「下着姿が駄目なら全裸だ!我がEカップをとくとご覧あれ!」

「だからホント、ほんとお前発想アホ!イカれてる!」

「イカれて無いもんフツーだもん!」

「普通の人間は公共の場で全裸になろうとしねぇよ!」


 服を着せようとする俺に抵抗し、腕を押さえつけてくる。

 それを腕力で外してまた着せようとして、腕を押さえつけられて……その繰り返し。

 城ヶ崎の一件での身体の打撲や擦り傷はほとんど痛く無くなっているが、包帯がまだ取れない左手の切り傷は痛む。それを庇いつつだとどうしても咲季の抵抗をくぐり抜ける事が出来なかった。

 そろそろ本気でまずいと思ったその時。


「ちょっと、流石にうるさ……」


 病室の扉の方で女性の声が。


「い……よ……」


 視線を向けた。

 そこには銀のナースカート(看護師さんがガラガラと押しているアレ)を押して病室に入ってきた、咲季の担当看護師、櫻井さんの姿。


「……………」


 視線を元に戻す。

 上半身下着姿の咲季。俺は上着を片手に咲季の腕を掴んだ状態で、覆い被さるような状態。


「………………」


 冷や汗。

 すぐに咲季に布団を叩きつけるように被せ、気をつけの姿勢に。引きつった笑顔を作る。


「…あの……、違いますからね?」

「……………」


 ゆっくりと部屋に入り、スライド式の扉を閉める櫻井さん。

 そのままナースカートをベッドの脇につけ、俺の方へ。


「片桐君」

「は、はい」


 肩に優しく手を置き、困ったような笑顔で、


「せめて夜にしな?」

「だから違うと!」

「ちゃんとゴムは持ってるの?エチケットとして当然だかんね?」

「いや確かにそう見えたかも知れませんけど今のは違くて…」

「はっはっは、うんうん。大丈夫。無理矢理じゃなくて合意!分かってる分かってる!」

「何一つ分かっちゃいない!」

「それで何分で終わる?ちょっと検温とかしときたいんだけど」

「終わるとか無いですから!検温も自由にどうぞ!」

「え?終わるとか無いって…朝から晩まで…!?しかも見せつけながら!?」

「違う!会話の根本から間違ってる!」


 必死に弁明する。

 すると櫻井さんは笑いを堪えるようにお腹を押さえだして、


「……ぷ、くく…ホント飽きないねぇ片桐兄妹は」


 素の様子で笑った。

 俺も途端に冷静になる。


「…櫻井さん、もしかしなくても俺で遊んでましたね?」

「うん」


 ニカッと屈託ない笑顔を向けられた。


「……………」

「あっはっは、ごめんよー。そんな睨まないでよー」


 豪快な笑いと共に横に並び、バシバシと背中を叩いてくる。

 …この人こういう悪ノリ普通にしてくるんだな。気をつけよう。

 そう心に刻みつけていると、櫻井さんが真面目な顔つきになり、小声で、


「色々あったみたいだけど、丸く治まったみたいね」


 ウインク。

 色々と言うには些か濃厚過ぎたけど、確かにその通り。


 櫻井さんには咲季の事で相談したり、お世話になった。

 また、ここの病院関係者はあの事件後、城ヶ崎の検査をしていて、城ヶ崎に何があったかは何となく知っているから俺の怪我の原因についてもある程度は知っている。

 それらを踏まえてのセリフだろう。


「………はい。お陰様で。色々お世話かけました」


 頭を下げた。


「いーのいーの!……あー、けど、ビール一杯くらいは奢ってもらおーかねぇ」


 腰に手を当て、快活に返す櫻井さん。


「構いませんよ。飲みに行きます?」


 それに習って冗談混じりに。


「おー?彼女の前で人妻誘うとは。流石愛の狼ぃ」

「別に深い意味とか無いですよ…お世話になったお礼したいって思って…」

「…お兄ちゃん」


 言った次の瞬間、誰のものだか分からない低い声が耳に届いた。

 視線がベッドの方に向く。


「うおっ」


 慄いた。

 ドス黒いオーラを放つ何かがベッドに這うような姿勢で俺を睨めつけていた。


「なに…いちゃいちゃしてるの?」

「え?いやいや、してない。断じてしてない」


 身の危険を感じて首を全力で振った。

 すると咲季は立ち上がって、今度は櫻井さんに接近し横から腕を引っ張る。


「櫻井さんも近いよ!離れて!」


 黒いオーラを纏いながら、玩具を取られた子供みたいに頬を膨らませる咲季。

 しかし櫻井さんはそれをするりと外し、俺の背後に隠れるようにして肩に手を置いた。


「えー、ダメ。片桐君は私と深くて濃密な話があるのさ」

「な、なにっ!?」


 睨まれる。いやそんな責めるような視線をくれるな。

 というか、今まで目の前で女性といる姿を見せた事なんてほぼ無いから気づかなかったが、存外こいつは嫉妬深い性質たちらしい。


「ちょっと櫻井さん、悪ふざけが過ぎますって。頭に血が上るとこいつ何するか……」

「三十分後、ちょーっと面貸して」


 櫻井さんの暴走を止めようと声を上げた途中、耳元で囁かれる。


「……は?」

「いーから、三十分後、一階の待合所付近で」

「櫻井さん?」


 どういうつもりだ?

 様々な想像が頭を巡る。


 ……いや、この人が話があるって事は、恐らく要件はアレしかないか。


 俺は小さく頷い……


「いつまでそうしてるつもり?」

「へ?」


 視線を下に向けた。

 血走った目を見開いた悪鬼が目の前に居た。


「む、胸とか押し付けちゃって…最後は耳を、み、耳をはむはむ…して…っ!」

「え、いや、そこまで…してないよ?」


 さしもの櫻井さんもその異様な威圧感に気圧され、しどろもどろ。


「胸も…当たって無かったよね?ね?」

「……当たって無いです」

「少年。今の間はなんだい?」


 ……悪くない。俺は悪くないのでここはノーコメントを貫かせてもらう。


「お兄ちゃん……?」


 しかし、悪鬼の殺意がこちらに集中した。

 ゆらゆらと近づいてくる悪鬼。


「ま、待て。一旦整理しよう。状況を整理して客観的視点をだな…」

「看護師の、おねーさんに、胸を、当てられて、弱い耳を攻められて骨抜きにされた愛の狼片桐秋春!!」

「違ぇぇぇぇぇ!!」


 飛びかかる悪鬼。


 その後、ボコボコにされた挙句椅子に固定されてホラー映画ループの刑に処されたのは言うまでもない。










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