第21話 コー君は間違ってなかった


 夜闇に浮かぶ月が雲から顔を出し、雑木林を微かに照らした。

 静謐さと不気味さを織り交ぜた世界。他から隔絶されたような空間。

 そこに城ヶ崎舞花じょうがさきまいかは蹲っている。

 人の手がほぼ入っていないだろう、鬱蒼とした雑木林。

 雑木林を抜けた先には人が難なく通れるように舗装された地面があり、数十メートルまで続く桜並木がある。だが、そこにも舞花がいる雑木林にも人通りは一切無い。

 人が来るとすれば春か日中くらいのもので、夏も近いこの時期の夜となれば人気なんてものは一切無かった。

 桜並木から少し離れた雑木林ならなおのこと。

 だからこそ、舞花にとって都合がよかった。一人になりたい時、何かを考えたい時、この隔絶された空気感の元でいる事が彼女の常。

 だが今は、そんな事を考えてやって来た訳ではない。パニック状態で、無意識に選んでいた場所がいつも来ていたここだった。ただそれだけ。


「はぁ、はぁ、はぁ…っ!」


 舞花は苦しげに息を吐く。

 目を閉じ、胸を押さえ、必死に息を落ち着けようと試みるが、心と身体が乖離したように、身体が言うことを聞いてくれない。

 自然と手に力が籠った。

 土で手が汚れるのも構わず、爪を立てた。

 意識が遠のいていく。

 苦しい。

 痛い。

 咲季の事を無意識に深く傷つけていた。その事実が、痛い。

 自分が思っていたよりずっと、深く、深く、傷口にナイフを突き刺してやるような残酷さをもって咲季を嬲っていたのだ。


 結愛と偶然出会い、あれこれと話している内に流れで言った〝咲季が元気になったら〟の話。

 それに対して結愛は厳しい目つきになり、


「それ、ふざけて言ってるの?」


 言った。

 そして知った、咲季の余命宣告。

 つまり自分は「先が無い」と言われた親友に未来の話を嬉々として語っていたのだ。

 知らなかったとは言え――いや、知らなかったからこそ、最悪で性質たちが悪い。


 このまま死んでしまうべきだ。


 思う。

 しかしその行為は咲季に対する冒涜でしかないのを分かっているから、出来ない。

 押し潰されそうだった。

 罪深くて無知な自分の愚かさに。

 そして何より、親友が――咲季が居なくなるという事実に。


 それから目を背けて逃げようとしても、逃げ場の無い心はすぐに罪の意識に追いつかれ、舞花の心を蹂躙した。



 ――どうせいつまで経ってもそのままだ。お前はそうやって…



「――結局独りになるんだ」



 昔、幼馴染に言われた言葉だ。

 いつも舞花を責め立てる呪いの言葉。

 否定してきたそれが、今になって腑に落ちてしまった。


 薄々勘づいてはいたのだ。咲季の態度、言葉から、咲季の病気は自分が思っているよりずっと重いものなのではないかと。咲季の母親は舞花に気を使って嘘を言ったのではないかと。

 だが、それが事実であった時が怖くて、とても恐ろしくて、無意識に目を逸らして逃げていた。

 その結果咲季を傷付け、追い込む事となった。

 最低だ。最悪だ。

 きっと咲季は自分を嫌いになっただろう。もしかしたら恨んでいるかも知れない。

 少なくとも、もう親友だとは呼んでくれない。軽蔑して離れていく。

 そしてそれを知ったら凛も、学校の友達も、みんな離れていく。独りになる。


「コー君は間違ってなかった…アタシがこうなるって分かってたんだ…」


 そう。結局自分よがりなのだ。前々から、咲季のためと言っておいてその実、自分の気持ちがいい事をしていたに過ぎなかった。


 ――だからお父さんもお母さんもアタシを連れて行ってくれなかったんだ。


 ――アタシが〝駄目な子〟だから…



「!」



 瞬間、ぱきりと、背後で枝が折れる音が聴こえ、思考が中断された。


 振り向く。目に映ったのは、深い闇と鬱蒼と茂る草木。

 雲が完全に空を覆い、月の光はいつの間にか無くなっていた。

 だから、光の届かない完全な闇がそこにあるだけ。

 風に揺れてさわさわと音を立てる木々。それ以外に動くものは何も無かった。


 気のせいだろうか。


 思い、前へ視線を移して、


「っ!?」


 横合いから、衝撃。


 吹き飛ばされるように転がった。


「あ、…ぐっ、ごほっ!」


 地面に勢いよく叩きつけられた痛みに嘔吐えずく。


 一体何が。


 倒れたまま視線だけを動かし、自分がさっきまでいた場所へ。

 疑問はすぐ解消された。


 人だった。

 年齢や容姿はこの暗がりで判然としない。

 かろうじてキャップを被っている事が分かるが、逆に言えば分かるのはそれくらいだった。

だが、この人物が舞花を突き飛ばしたのは確実で、


「だ…れ…?」


 呟きと同時、人影が素早く近づき、舞花の首を乱雑に掴んだ。


「がっ!」


 気道が圧迫される。

 為す術もないまま、身体が地面へと固定された。

 突然の出来事に、脳が上手く働かない。力任せに手足をばたつかせるもその度に首への圧迫が強くなり、力が弱まっっていく。

 パニック状態で視界に入ったのは、自分を凝視する血走った眼。


 男だった。


 暗がりであるのと、キャップとマスクをしているせいで断定は出来ないが、おそらく年齢は30代から40代の間。

 しかしその年齢ならばあって然るべきの理性というものが、男からは感じられなかった。

 おおよそ正気に見えない男は荒い息を吐きながら、舞花の眼前に何かを突きつける。


「―――――――ひっ!?」


 包丁。

 冷たい金属の感触が頬に当たり、恐怖が舞花の頭の中を支配する。


「動くな…!動いたら首かき切って殺す!」

「………………っ」

「声も出すなっ!」


 男が興奮した口調でナイフを首に突きつけた。切っ先が僅かに刺さり、血が一滴流れる。

 わけが分からない。

 分からないから動けない。あまりに唐突過ぎて、脳がついていかない。

 今の混濁した頭では、冷静な判断も出来ない。目の前の直接的な恐怖に支配されるのみ。


「よ、よぉし、いい子だ」


 マスク越しに男が笑うのが分かった。

 気色の悪い下卑た笑み。

 その瞬間、男がなんの目的でこんな事をしているのか、気づいてしまった。



 男が、舞花の制服に手をかけた。



 #



 城ヶ崎の家から走って15分程。俺と凛はようやく目的の桜並木の前までやってきた。


「こんな、辺鄙な、所まで…よく行くな〜…」


 息を切らしつつ、隣の凛が独りごちた。


「まあ、昼はともかく夜は来ないよな普通」


 森と言っても差し支えない程の広さの敷地に生えた草木。その中心には舗装された道に並ぶ桜の木が数十メートル先まで続いている。

 昼なら太陽が木々を照らしていて割と爽やかな雰囲気があるが、いかんせん夜は街灯が近くにほとんど無いのでひたすらに暗い。

 森の横には国道が通っているため、端の方に行けば少し賑やかかも知れないが、中の方はもはや…


「なんか…心霊スポット、ぽいですね」

「……言わないようにしてたのに口にするの止めて」

「あれ、もしかしてお兄さんそういうの苦手ですか?」

「…早く、一緒に行くよ」

「あ、マジで苦手なんですね」


 冷静にツッコミを入れてくる凛を無視……して入るのはキツいので一緒に森の舗装された道へ入った。

 すぐに目についたのは暗闇の中の桜並木。しかし今は緑が生い茂るだけで素人目から見たら他の木と大して変わらない。

 だから傷心した城ヶ崎がこんな何も見るものがない暗い場所にやって来るというのはあまり想像出来ない…と言うか理解出来ないのだが、ここしか当てがない以上仕方が無い。ごちゃごちゃと考えるよりも兎にも角にも探してみるのが先決だろう。

 だが、


「さすがに広すぎるよなこの一帯…」

「見る限り広そうでしたもんね。手分けします〜?」


 辺りを見渡しながら凛が応える。


「手分けは無理」

「なんでですか?」

「女の子を一人にできないだろ」

「あ、怖いのか」

「女の子を一人に出来ない」

「………まあ、そういう事にしときましょ。でも一緒に行動するなら尚更どこかしら当たりをつけないとですね」

「そこだよな…」


 唸る。

 探すとするなら大きく分けて三箇所だ。

 一つ目はこの桜並木周辺。

 二つ目は桜並木を過ぎた先にある、人によって整備された区画。自然を鑑賞するためなのか木に名前のプレートが掛けられていたり、ベンチや小さな遊具もあったりして、休日の昼なら気まぐれに家族連れが来てもおかしくないような一帯。

 三つ目は桜並木の横に広がる雑木林。人の手がまだあまり入っておらず、ほぼ完全な自然。好き好んで入るのは虫取り少年くらいのもの。そして一番面積が広い。

 一つ目はすぐに終わるだろうから、問題は後の二つのどちらから行くかという事。


 桜並木の周辺を歩いて注意深く見渡しつつ、凛にその旨を伝えた。


「……なるほどですね。それなら二つ目のがいんじゃないでしょか」

「どうしてそう思う?」

「じゃあお兄さんは人間が通るように作られた道がある方と雑草ボーボーの森、どっちかに進めって言われたらどっちに行きます?」

「……なるほど」

「そういう事です」


 概ね同意見だった。

 俺たちはそれから周囲を探し、城ヶ崎がいない事を確認。

 そのまま桜並木の奥の整備された区画へと向かった。












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