第18話 日常が崩れる音


 映画館を出ると、既に日が傾き、夜の帳が降り始めていた。

 生暖かい空気が肌にまとわりつくが、冷房に当たり過ぎて冷えた身体にはそれも心地いい。


 少しは悩みを吐き出せたからか、来た時よりもいくらか気分が良かった。

 目の前であれこれと騒いでおしゃべりに興じている知り合い達を見ても鬱陶しく思わなくなる程度には、心に余裕も生まれている。


「ねぇ、片桐くんはどぉだった?」


 そんな中、何故か輪から抜けて俺に声をかけてくるのは、強化外骨格を身に纏った女、染谷。

 細田達と楽しく喋っていればいいのに。恐らく気を使っているんだろうが、話を全く聞いていない俺からすると放って置いてくれた方が良かった。


「え、何が?」

「何がって、映画の話に決まってるじゃん。片桐くん面白い」


 クスクスと愛嬌のある表情。

 だけど、拭いきれない拒否反応が俺の中にはあって。

 ゆえに、一年前からの付き合いとは言え、こいつと話す時は外面で接してしまう。


「ああ、まあ、なんて言うか思ったより面白かったよ。あの歌の歌詞がまさか母親に向けたものだったなんて思わなかった」

「ねー!ていうかあたし、あんまりあのバンド知らなかったけど、普通に泣いちゃった!」


 俺達が見たのはある有名バンドのドキュメンタリー映画。結構有名なので、芸能情報に疎い俺でも存在はちゃんと知っていた。

 そんなバンドの、家出同然で東京へ出てきたボーカルが母へ綴った歌。それは比喩などでぼかされてはいたが、要約すれば今まで育ててくれた感謝と、こんな自分でもまた母と呼んでいいのか。そういうものだった。


 いつか、あともう少し年月を重ねれば俺もそんな風に思えるのだろうか。

 少なくとも今は到底思えないけど。

 母さんが咲季から目を逸らしている間は、無理だ。浮かんでくるのは悪意ばかり。

 咲季と城ヶ崎喧嘩もほとんどあの人が原因みたいなものだし。


 母さんが嘘をついた事。

 それは母さんの精神状態を思えば「咲季の余命を信じたくなかったから」と考えるのが自然だ。きっと自分に言い聞かせるように、咲季は治るんだと言ってしまったのだろう。

 

 その心的ダメージはどれくらいのものか、俺には到底分からない。

 だから安易に責めていい問題では無いのかもしれないが、そう簡単にこの湧き出た怒りは収まりそうに無かった。

 どうやったってこの黒い気持ちは消せない。


「観客席結構すすり泣く声聞こえたよね」


 頭で別の事を考えつつ、適当な相槌。


「だよねだよね!ドキュメンタリー映画って見た事無かったけど、ヤバかったよね!」


 俺と染谷で話していると、割って入るように「うん分かる!」と細田が出てきた。なんだこいつ。

 やたらと積極的な細田を怪訝に思いつつも、この好機を逃さず、そそくさとフェードアウト。染谷を押し付けた。

 ナイス細田。そのままそいつに食らいついてこっちに近寄らせないでくれ。


 隅っこに寄り、スマホの電源をつけて適当にニュースを検索。

 ネットニュースのトップには県内の女子中学生の自殺の報道が。いじめを苦にしたものらしい。

 少しげんなりとした気分になりつつ、明るいニュースを探していると、『料理が美味すぎると評判のメイド喫茶!?』という記事が目に入った。

 瞬間、目を疑った。


「これって…」


 もしかしなくても高校の時にバイトしていた店だ。もちろんキッチンスタッフで。

 画像の端の方に知り合いの姿があり、思わず笑う。

 あの人まだ働いてるのか。

 というかこうやって取り上げられる程になるとは思っていなかったので少し興奮する。

 かつて俺と一緒に働いてたやつにも知らせようと画像をスクショ。


 しかしそんな事を夢中でやっていたらいつの間にかお開きな雰囲気になっていて、別れの挨拶と共に解散となった。

 俺は腹が痛くなってきていたので「トイレ寄ってから帰るよ」と知り合い達に手を振り、また映画館の中へ。

 独特の甘い匂いの中を進み、トイレに入って少し並び、用を足して再び外に出た。


「ああ、そうだ。あいつらにさっきの画像送らないと」


 さっきメッセージを送るのを中断していたんだった。

 別に知らせなければいけないわけじゃないが、あの感動は共有しておきたい。

 思い、スマホを取り出した所で、


「うおっ」


 着信。


 画面には『凛』という表示が。

 そういえば、昨日の帰り際に一応凛と城ヶ崎と連絡先を交換していた。

 まさか本当にかかってくる事があるとは想像していなかったが。

 しかし一体何事だろう。

 戸惑いながら通話のアイコンを押す。


「はい、もしもし…」

『あ、ウチですウチ。凛ですどうも~』


 詐欺かと突っ込みたくなる第一声。

 だけどその独特なやる気の無さそうな声は間違いなくあの少女のものだろう。


「どうしたの?なにかあった?」

『はい。ちょっと色々あって…いきなりなんですが、そっちに舞花いませんか?』

「城ヶ崎?いや…」

『咲季の病室にも行ってないです?』


 あの気だるそうな少女とは思えない矢継ぎ早な質問に面食らう。


「えっと、そもそも俺今、少し遠出しててちょっと分からないんだ。悪い」

『そうですか…なるほどです』


 明らかに落胆した声色。

 電話の向こうではざわざわとした喧騒が聴こえた。恐らく駅とか、人が多い場所にいるのだろう。


「城ヶ崎、どうかしたの?」

『ん~、勘違いというか、大袈裟だなぁとは思うんですけど…』


 凛は少し迷うように渋らせ、


『舞花、今行方不明なんです』


 そう言って、驚く俺に話した。


 城ヶ崎と今日、学校の帰りに気分転換に遊ぶ約束をした事。

 一旦シャワーを浴びて着替えてから再集合する事にしたのだが、待ち合わせの時間を30分越えても城ヶ崎が現れず、それなのに何の連絡も無い事。そして、凛からのメッセージや電話にもなんの反応も無い事。


『で、舞花と仲良い子とか知り合いに訊いても全滅だったんで最後の頼みの綱であるお兄さんにまで連絡したわけなんですけど…』

「急用が入って行けなくなったけど、タイミング悪くスマホの充電切れて連絡出来ない…とかじゃ無いの?」

『ん〜、それもあるかもですけど、昨日の今日じゃないですか』


 昨日のパニックを起こした件だろう。


「…確かに。ん?ていうか、今日土曜だよな。なんで学校?」

『休日も自習室貸し出してるんですよウチの高校。なんたってウチらは高三ですから、お勉強大事じゃないですか〜』


 何気ない言葉に、思わず苦笑。

 城ヶ崎、専門学校行くから勉強しなくてもいいとか言いつつ、ちゃんと勉強をしているんじゃないか。なるほどつまり、あれは咲季の気を引くための狂言と。

 しかしそれは咲季との約束を大事に思っている事の証左でもあり、同時にやり切れない気分にもなった。


『まあ、土曜日が休みの学校もそろそろ珍しくなるんでしょうけど…って、いけないいけない、脱線だ』


 凛は『んん』と気を取り直すように咳払いし、


『それとですね、舞花の住んでる所の周辺、刃物持った変態オヤジがうろついてるらしいんですよ。そんな時に舞花はふにゃふにゃして弱ってるんで、心配なんですよ』

「そんな不審者出てたのか…」

『知らなかったです?ウチの学校のホームルームで言ってましたよ。そっちから通ってる子も多いから女子は特に気をつけなさいって。ちなみに我が藍原高校周辺には露出狂が出没するらしいです。凄いですよね。田舎はイノシシ。都会は変態オヤジ。どこも大変だ』


 ここらも都会と言うよりは田舎だけどなと心中で突っ込みながら、


「咲季には城ヶ崎の事訊いた?」

『舞花との喧嘩で倒れたかも知れないのにこんな事連絡すると思います?だからお兄さんに間接的に訊いたんですよ〜』

「ま、だよね」


 時計を見ると時間は18時過ぎ。

 確かに、連絡が無ければ少し心配になってくる時間帯である。

 それでも、関係の薄い俺にまで連絡をよこすというのはかなり情に厚い人間でないとありえないだろう。

 咲季の周りは良い奴が多いみたいだ。


「元々顔だけでも見せるつもりだったし、今から咲季の所行って城ヶ崎いないか見てみるよ。30分くらいかかるけど。咲季にメッセージ送ってそれとなく訊いてもみる」

『ありがとうございます〜。まー、それだけ経てばこっちで見つかってる…と思いたいですけどね。その時は連絡します〜』

「うん、分かった」


「じゃあ」と電話を切る。


「行方不明…ね」


 普段身近じゃ聞かない単語だ。

 だから自然と浮かぶのは「そんな事はないだろう」という考え。

 考え過ぎ。心配性。そうやって一笑に付すのが普通だ。そう簡単に非日常なんてやってこない。


 駅までの道。アスファルトを踏みしめ、確かめる。

 周囲に溢れる雑踏や笑い声。穏やかな日常。崩れ去る事なんてありえないと誰もが思う。

 それは俺も例外ではなかった。


 だからこそ、気付いた時には手遅れになる。


 日常なんてものは砕ければ脆い。


 温室で育てられた俺たちはそれを知らないだけ。知らなかっただけ。


 だからこれは、この感覚は、覚えがあった。


「…………………、」


 鳴り響く着信音。

 立ち止まり、表示されている文字を見た。


 ―――《赤坂結愛》。



 日常が崩れる音だ。

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