第17話 悪魔の手



 気付くと、俺は今回の一連の出来事を話し終えていた。


 咲季が倒れた原因と思われる二つ。

 友達とのすれ違い。

 周囲の、同情による態度の変化。


 掻い摘んで、簡潔に。


 聞き終えた櫻井さんは「うーん」と腕を組んで空を見上げ、次いでこちらを見た。


「単刀直入に言うとだね」


 いつもの明るい雰囲気で、申し訳無さそうに、


「友達の件は聞いといてなんだけど、言えることはない。私喧嘩したらそこでバッサリ縁切ってきたから」


 あっはっはと豪快に笑う櫻井さん。

 反応しにくいことを言う。


「あと周囲の同情?まあ、見てればそういうの苦手だろうなってわかってたけど…これもどうしようもない。人の気持ちなんてそう簡単に変わらないし」

「…それじゃあ、どうしようも無いじゃないですか」

「そうだね」


 当然だろと言わんばかりの即答。

 俺も別に解決策を考えて欲しいなんて思ってなかったし、ただ話を聞いてもらえるだけで良かったから別にいいんだけど、


「けど、片桐君は違うんでしょ?」


 続いたのは、優しく元気づけるような穏やかな声。


「少なくとも、そんな周囲の人間とは違くありたいって思ってる。違う?」

「いえ、まあ、そんな感じ…ではありますね。はい」


 そのまま「はい」と答えるのは照れくさ過ぎたので、曖昧に頷く。


「だったら、それで良いと思う。その気持ちが伝われば咲季ちゃんも嬉しいんじゃないかな。心の負担も結構減るんじゃない?」

「そんな…簡単ですかね」


 俺だけが味方になって、どうなるというのだろう。

 最近恋する乙女をやっている咲季を見ていると納得出来そうな気もするが、そもそも俺なんかが誰かの支えになっているというのが全く想像つかない。


「簡単簡単。恋する乙女なんてそんなものよ。良くも悪くも」


「恋する乙女って言っ……へ?」


 無意識に流そうとしてしまった櫻井さんの問題発言に、すんでのところで反応した。

 櫻井さんは櫻井さんで自分の失言に気付いたのか、しまったと言わんばかりに口を押さえてそっぽを向いていた。


「えっと…?」

「あ、あはは、大丈夫。誤魔化さなくてもいいよ〜。私二人の事応援してるから〜…」


 その一言で確信を持った。

 この人、仮交際の事知っている。


「あの、なんで知ってるのか訊いても…?」

「…壁に耳あり障子に目あり…みたいな?」

「立ち聞きですか?」

「人聞き悪い事言わないでよ〜。なんか騒いでたから喧嘩かなって思って覗いちゃっただけなんだから…」

「う、ぐ」


 確かにあの時は騒いでいた。

 いや、いつも騒いでるけど。

 やっぱり声のボリュームには気をつけるべきだな…。


「ま、まあ、その件はとりあえず置いといて!とにかく咲季ちゃんはさ、片桐君のその気持ちが伝われば飛び跳ねて喜ぶと思うのよ。多分あの子の一番は片桐君だから」

「…そうですか」

「何?もしかして疑ってる?」


 俺が胡乱な目つきをしていたからだろう。櫻井さんは不満げだった。しかし俺が言いたいのはそんな事じゃなく、


「いえ、そうじゃなくて、俺達の関係に対して他に何か無いのかなって」

「え?もっと祝福しろってか?」

「逆ですよ。ほら、世間的にアウトでしょ」


 視線を合わせずに言う。

 世間に対する負い目。咲季に中途半端な態度を取ってしまう負い目。様々な後ろめたさから目を逸らすように。


 櫻井さんはそれに即答した。



「それで二人が幸せならいいじゃない」



 真っ直ぐな瞳。


 少なからず、衝撃を受ける。


 そんなに真っ直ぐ言われてしまったらもう、何も言えなかった。


「そう、ですね」

「適当な返事ねー」


 少しふくれっ面になる櫻井さん。


 違います。これでも感銘を受けてるんです。

 そう言いたかったが、櫻井さんの意識はもう他の所に移っていて、


「そういえば結構時間取らせちゃったけど、待ち合わせとか大丈夫なの?」

「え、あ」


 その言葉で自分の置かれている状況を思い出した。

 すぐにスマホを取り出して画面を見ると、映画が始まる10分前だった。


「危な…。ありがとうございます。時間過ぎるところでした。俺これから映画見る約束あって」

「あ、そうなの?こっちこそ引き止めちゃってごめんね」

「いえ、俺の話に付き合ってくれてありがとうございました」

「あはは、私大したアドバイス出来てないけどね。少しでもストレス発散になったなら儲けものかな」


 快活に笑う櫻井さん。

 こんなに明るい人だから、あんな言葉が自然と出てくるんだろうか。


「あ、けどさ」

「はい?」

「今思ったけど子供の前でする話題じゃなかったかも」


 バツが悪そうに頬を搔く。

 隣の莉央ちゃんを見遣ると、ちょうど視線が合い、首を傾げられた。何でもないという意を込めて手を振る。

 確かに、何も考えずに話してしまっていた。

 だけど、


「耐性はあるみたいだし大丈夫じゃないですかね…」


 普段からあんな暴論を聞かされているんだし、問題ないだろう。

 思い出して苦笑する。

 あれについては今度詳しく聞かせてもらいたい。


「ん?耐性?」と首を捻っている櫻井さんと、無表情にこちらを見上げる莉央ちゃんに別れの挨拶をし、映画館へ。


 思考がいくらかクリアになった気がする。


 なんで俺は咲季に尽くそうと思うのか。なんで兄妹で恋人になるなんて〝仮〟にでも許したのか。

 その根本は分からない。けど、確かな事が一つあった。


 同情なんかじゃない。

 ただ単純に、咲季に泣いて欲しくないから。笑顔でいて欲しいから。


 咲季が幸せならそれでいい。


 ただそれだけなんだ。


 この気持ちが伝われば、咲季も少しは楽になるのだろうか。

 分からない。

 分からないから、行動してみよう。

 今は前向きにそう思えた。




 # # #



 なんでこんな事になっているんだろう。

 やはり自分が〝駄目な子〟だからだろうか。


 学校からの帰路につきながら、城ヶ崎舞花は考える。

 とぼとぼと頼りない足取りで歩くその姿はいかにも落ち込んでいるのだと自己主張しているようだったが、本人に自覚は無い。


 彼女の頭にあるのは自責の念と後悔。


 咲季が倒れた。


 それを聞いた時に浮かんだのは、この前のお見舞いで別れ際に叫んだ一連の言葉。


『構うよ!親友に構って何が悪いんだ馬鹿!』


 その激昂に対し、気まずそうに目を逸らすだけだった咲季に、また頭を煮えたぎらせ、


『そんなだと一生治らないかもね…』


 最悪な言葉を吐いた。

 呟きのようなものだったが、あの静けさでは十中八九聞こえていたはずだ。

 きっとあれが倒れた原因なのだ。

 酷いことを言った。

 親友だと言ったそばからなんて事を、と今なら思う。

 ただ、あの時は、舞花が一緒の大学に行く約束を反故にした事に対して、咲季が怒ってくれなかったから。その程度の関係だったのかと悲しくなって、それが怒りに変わって、血が上っていたのだ。


「最悪だ…アタシ」


 いや、実際はそれだけでは無い。

 何故舞花があんなに怒るのか。

 それは

 心の底にある疑念。

 咲季の態度や言動、そこから導き出された予想。

 それを認めないため、直視しないため、怒りでそれを押し流して、見て見ぬ振りをして逃げている。

 無意識下で行っている事なので彼女自身は気付いていないが、結局の所そういう弱さが原因だった。


 舞花は弱い。

 攻撃的な態度で隠していても、少しの〝衝撃〟があればこれだ。


 人に強い繋がりを求め、それが少しでも揺らぐと不安になる。不安になって、感情が制御出来なくなって苛立つ。

 そして、それによって相手を傷つけてしまった事に酷く落ち込む。


 自分のせいで大切な人が傷つく。

 それは舞花にとって、とても重い事だった。

 一般の感覚として当然だが、しかし、彼女の場合はそれが病的で―


 そう、例えば、


 ――。



「まだ、青になってないよ?」


「――え?」


 制服の裾を引っ張られた。


 瞬間、舞花の意識が表層へと浮上し、景色を現実のものとして認識する。


 目の前を大型のトラックが通過していった。


「っ」


 驚いて、肩がびくりと跳ねた。

 視界に広がるのは自宅近くの国道の横断歩道。

 多くの車が行き交っており、一歩でも車道に出たら一溜りも無いのは明白である。

 実際何人もの人がここらで交通事故に遭い、亡くなっているという話を聞いたことがあった。


 背筋が凍る。


 何をしようとしたのだろう。

 もしかして死のうとしてたのか。

 現実から目を背けて、死ぬ事で逃げようとでもしていたのだろうか。


 ――いつも怯えて、逃げ出して、ホント呆れる。


 記憶の断片が舞花を責め立てた。


「あなた、城ヶ崎さん…よね?」


 次いで、自分の名前を呼びかける声。

 なんだろうと疲弊した頭で反射的に振り向き、


「あ…」


 言葉を失った。


 視界に入ったのは、黒。


 風に吹かれるまま靡く黒髪。

 それと対比するような、白磁を思わせる肌。

 端正な顔立ちは、各パーツが黄金比のごとく収まっていて、まるで精巧な人形のよう。


 現実感を失ってしまうような美女。


 舞花は数秒、呆然と立ち尽くし、


「赤坂…結愛さん?」


 頭の中から掘り起こした情報を口に出した。

 赤坂結愛あかさかゆあ。咲季の幼馴染で、とても綺麗で優しいと咲季が絶賛していた。遠目から見て容姿は知っていたが、すぐ近くで見るとここまでとは。


 逢魔が時。

 茜の景色を背に立つ姿。

 どこか幻想的に映るそれは、絵画から切り取ったワンシーンのようだった。


「ええ、こんにちは」


 無条件で心を許してしまう、たおやかな笑み。

 有り体に言うなら天使の微笑みといった所か。


 しかし、誰もがその本質に気づかない。


 虚ろ。空虚。

 だからこそ〝本物〟を求める亡者。


「ところで、少し具合が悪そうだけれど大丈夫?」


 彼女が手を差し伸べる時、そこに善意も悪意も無い。

 善意も悪意も無い純粋な想いだからこそ、彼女は天使にも、悪魔にもなり得る。


 悪意に敏感な人間だとしても、いや、だからこそ、痛い目を見るのだ。


 かくして――


 舞花は悪魔の手を取ってしまった。



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