第16話 死んでいい生き物
「あの…」
「…………………」
「あのっ…」
あれこれと考えてる内、どんどん周りが見えなくなっていたらしい。
目の前に立った小さな影に気付いたのは、控えめに服の袖を引っ張られてからだった。
「へっ?」
顔を上げる。
目の前にいたのは小さな女の子。
座っている俺が少し目線を上げれば目が合うくらいの身長。
小学校高学年くらいだろうか。ツーサイドアップに纏められた黒髪に、真っ赤なリボン。黒のボーダー柄Tシャツにショートパンツといった出で立ち。
黒目がちの瞳にはいくらか理知的な雰囲気があり、一見するとどこか冷めたような、冷たい印象受けた。
「これ、落としました」
いきなりの女児登場にかなり身構えたが、彼女の差し出した両手に握られたものを見てはっとした。
電車やバスに乗る時に使う交通系ICカード『スカー』である。
カバーからして間違いなく俺のものだった。
「あ…ありがとう!」
無意識に頭を勢いよく下げ、『スカー』を受け取り、ポケットにしまう。
「全然気づかなかった…どこで落としたんだろ?」
「スマホ取った時に、いっしょに」
「ああ…」
女の子の言葉にすぐ納得する。
確かに、あの時かなり上の空だったしな。
自分の迂闊さに反省。
しかしながら落し物を拾ってわざわざ渡してくれるなんていい子だな。しかも状況から察するに、俺が電話終えるまで待っててくれたみたいだし。
「ぐあい、悪いんですか?」
そして終いには、心配そうにこちらを覗き見る仕草。俺が唸りながら難しい顔をしてたからだろう。
いい子だ。このまま穢れを知らずに育って欲しい。
とりあえず「大丈夫だよ」となるべく優しい口調で応え、女の子が去るのを待った。
「…………………」
「…………………」
しかし、一向に目の前から去る気の無い女の子。
ぼーっと辺りをゆっくり見回す様子から考えて…
「……えっと、お母さんかお父さんと一緒じゃないの?」
「お母さん、まいごになったみたいです」
「お、おう、そうなんだ」
自分が迷子になったと言いたくない年頃なんだろう。
ただ、この複合商業施設はだだっ広いし、人も多いから迷子になるのも頷ける気がした。俺でも初見で一人だったら迷ってた自信がある。
「スマホとかケータイとか持ってないの?」
「持ってないです」
「じゃあお母さんの電話番号とか」
「覚えてないです」
「おー、なるほど」
八方塞がりだ。
これはもう迷子センターしかない。
しかしいかんせん、俺は迷子センターの場所なんて知るわけもないので凄く困った。
「あなたはへんたいろりぺどヤローですか?」
…………ん?
何だろう。鼓膜にノイズが入った気がした。
「なんて?」
「へんたいろりぺどヤロー」
この子の口から出てはいけないような単語が漏れ出てる気がするのは気のせいだろうか。
「ん?ろ……ロリぺ……ん?うん?」
「違います。へんたいろりぺ…」
「オーケー分かった分かってないけど分かったとりあえず大声で言うのはよそうお兄さんとの約束だ!」
女子小学生が大声でそんな単語を口走ったが最後、勇敢なる市民の110番待った無しである。
「えっと、どうしてそんな事を思ったの?」
「お母さんが、『小学生の女の子をしつようにせんさくする男をそう呼ぶ』って」
「意味分かって言ってんの?」
「この世で最も死んでいい生き物なんですよね?」
こんないい子になんて事教え込んでんだ馬鹿野郎。
「キミね、この世に死んでいい生き物なんていないんだよ。ミミズだってオケラだって頑張って生きてるんだよ。変態ロリぺド野郎だって同じなの。ちなみに俺は変態ロリぺド野郎じゃないです」
「じゃあなんですか?」
「片桐秋春。ただの大学生」
「あ、それもお母さん言ってました。大学生は、『時間と金をろうひするだけろうひして何も生み出さない、ふんにょうとシーオーツーをはくだけの、かちく以下の生き物』なんですよね」
「キミのお母さんは大学生のロリぺド野郎に親でも殺されたのか?」
なんでこんな偏ったものの見方をしてるんだろう。母親の顔が見てみたくなった。
「
思っていると、見計らったように誰かの慌てたような声。
ついで、駆けてくる足音。
「ちょっともー!ちゃんとついてきてって言ったでしょー!急にいなくなって…もう!」
「あ、お母さん」
少女が横に顔を向けた。
少女の母親がやってきたようだ。彼女の表情はあまり動いていないが、声から安堵の色が伺える。
それは母親の方も同じようだ。声から本当に心配していたんだろうというのが伝わってきた。
それがさっきのとんでもない暴論を言ったイメージとはかけ離れていて、好奇心とともに俺も視線を向けると、
「本当に、心配させないで…」
「ごめんなさい。大学生のお兄さんが落し物したから」
「お兄さん?……って、あれ?片桐君?」
固まる。
「…櫻井さん?」
なんて偶然か。
視線の先には咲季の担当看護師の櫻井さんが立っていた。
#
「びっくりしたー。こんな所で会うなんて思わなかった!」
「俺もですよ。めちゃくちゃビビってます」
思わぬ遭遇に少し興奮し、立ち話に興じる。
当然だが、櫻井さんは私服姿。
Tシャツにジーパンという櫻井さんらしいサッパリした服装とポニーテールが、男前度が高めの彼女によく似合っていた。
「もしかして家こっちの方なんですか?」
「違う違う。病院の近くだよ」
じゃあ何故こんな所に?という俺の視線に気付いたのか、
「莉央…ああ、この子莉央ってゆーんだけど、莉央がやってるスマホゲームの……もん…なんちゃら」
「『モンコレ』ですか?」
「そうそう!そのレアモンスターがここら辺に出るって情報があったみたいで、「行きたい」ってうるさくてねー。じゃあついでに服とかも買い揃えようかなって、わざわざこんなとこまで買い物さ」
『モンコレ』というのは地味に人気なスマホのゲームだ。簡単に言えばモンスターを捕まえて集めるゲーム。
位置情報とリンクさせていて、現実の道や施設を歩いているとモンスターが湧いて出る仕様になっている。
時々、施設や大きな公園などにレアなモンスターが出現するイベントがあり、今回はそれに櫻井さんが付き合わされたんだろう。
視線を下に移すと娘さん――莉央ちゃんがスマホを氷のような無表情でポチポチしていた。画面はもちろん『モンコレ』。中々やり込んでいるようで、めちゃくちゃ一杯モンスターを所持していた。
「なるほど。それはお疲れ様です」
「もークタクタよ。誰かさんのせいで莉央が迷子になって私走り回ったし?」
「俺のせいなんですかそれ?」
「飴玉でも出して釣ったんじゃないのー?」
「自分の娘を信じてやって下さい。確かもう小六でしょう」
飴玉で釣れる子供なんて今時いないんじゃなかろうか。
「我が娘ながら、ぽわぽわしてるからねぇ……」
言いたいことは少し分かる気がする。
ぽん、と頭に手を乗せた櫻井さんに莉央ちゃんが顔を上げて、俺と櫻井さんを交互に見る。
「お兄さんは、お母さんの彼氏ですか?」
「なんでそうなる」
いやほんと何でだ。
理知的でクールなイメージを描いていたが、どちらかと言うと不思議ちゃんな要素を多分に含んでいるみたいである。
櫻井さんもそんな莉央ちゃんに苦笑を浮かべ「違うっつの」と頬をむにゃむにゃと捏ねくり回した。
「で、何か悩み事かね少年」
「あーうー」と苦しげに唸っている莉央ちゃんを愉しげに見つめながら、櫻井さんが芝居がかった口調で言う。
「………なんですか藪から棒に」
「藪から棒なんて言葉若い子から初めて聞いた」
年齢気にしてる割には若い子なんて言葉を使うんだなと余計な思考が湧いたが、頭の隅に追いやった。
「やーね、何かあったんだろうなって顔をしてるから」
「看護師の長年の勘ってやつですか」
「そうそう年の功ってやつ…おいこの野郎なんつったぶん殴るぞ」
「急にセルフでブチ切れないで下さい」
俺を後目に鋭い眼光。
やっぱり少しでも年齢を想起させる発言はこの人には危険だな。今のは明らかに自爆だった気がするけど。
「…で、咲季ちゃんのことかな?」
気を取り直すように一つ咳払いをし、こちらに身体を向け、確信を持った口調。
なぜ分かる。
「…まあ、そうですけど…」
「お姉さんに話してみなさいな。聞いたげるわよ?」
櫻井さんは無関係ではない。だからこれは嬉しい申し出。
一人で悶々としてるよりは誰かに吐き出してしまう方がずっと良いだろう。
しかし、
「休日に、しかも家族水入らずの所で仕事の話するのは気が引けるんですが」
言うと、櫻井さんは「なるほど」と困ったように苦笑して、莉央ちゃんを見遣った。
「気を使ってくれてありがと。けど、咲季ちゃんのことを〝仕事〟って思ってないからね。もしかして、そんなに薄情に見えた?」
「いえ、そういうわけじゃ…」
薄情だとかそういう事じゃない。むしろそれが普通だろうと思っていたから。
人は何かしら割り切って生きてる。仕事だから、社会は、世界はこういうものだから。そうやって暗示みたいに言い聞かせ、心の平穏を保っている。
それが出来ない人は溜め込むだけ溜め込んで、やがて破裂する。そういう実例が身内にいるから、それは実感を伴って俺の常識に鎮座していた。
だからそう、結局何が言いたいかと言えば、櫻井さんは良い人なんだなと。
そして良い人だからこそ、いつかふとした拍子に潰れてしまうのではないかと、失礼ながらそんな事を考えてしまった。
「それに私歩き疲れた。莉央も一旦休みたいっしょ?」
「ぜんぜん」
「よーし休もう。休むの。休む。休むったら休む」
莉央ちゃんの言い分を完全に無視してベンチに座った。
「……………」
莉央ちゃんはかなり不服そうに櫻井さんを見つめていたが、やがて諦めたのか、隣に腰掛け、スマホを弄り始める。
文句を言っても仕方がないと悟っているのか、子供にしては大人びた対応に少し奇妙な感覚を覚えた。
「それで、どうする?当然嫌じゃなかったらだけど」
「ここまでされたら話さなきゃいけないような気がしますよね」
「こういう時、「計画通り」って変顔で言えばいいんだっけ」
「どこのしきたりですかそれ…」
「流行りじゃないの?」
偏った知識を披露されて戸惑いつつ、俺は自然と笑顔になった。
やっぱり良い人だ。
こんな人が周りに溢れていたら良かったのにと思う。
そして同時に、近しい人じゃなくて良かったとも。
だって、この悩みは重い。
妹の余命。そして苦悩。
そんな事を相談されても普通、どうしていいか分からないだろう。近しい間柄なら尚更、何か言わなければと気を使ってしまうだろうし。
それが分かってしまうからこちらも言えなくなる。
だからこういう、いい塩梅に他人である知り合いの方が何かと話しやすいものだ。
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