第15話 そういう所が、すごい好き


 休日の複合商業施設というのは賑やかなものである。家族連れが多いからだろう。子供のキャッキャとはしゃぐ声があちこちから聞こえてきて、こちらも思わず浮き足立ちそうになる。しかも今日は晴れ渡った青空が広がっていて絶好の休日日和だ。子供たちのテンションの上がりようもひとしおだろう。

 そんな事をぼぅ、とした頭で考えながら、目の前を歩く大学の知り合い四人組に続いていると、


「どうしたの片桐くん?」


 その中の一人である同期の女子、染谷多恵そめたにたえがきょとんとした様子で振り返り、隣に並んできた。茶髪のショートボブがさらりと揺れ、薄い香水の香りが鼻をくすぐる。

 相変わらず鼻炎でも患ってんのかと思う鼻声。白のオフショルダーのブラウスに黒のフレアスカート。リボンをあしらった黒のスニーカー。

 男ウケ良さそうな服装。このいかにもな量産型カワイイ系女子。やっぱりいけ好かなくて苦手だ。


 正直ほっといて欲しかったんだが、自分も現実逃避していた最中なので気分を紛らわせるには丁度いいかと応対する事にした。


「どうしたのって、何が?」

「さっきから会話に入って来てくれないから」

「……………」


 言われて前を見る。

 前を歩く奴らのハイなテンションの会話。マツザキさんがどうとか、アカシがミサキちゃんと別れたとか、俺にはよく分からない身内ネタで大いに盛り上がっている。


『会話に入って来てくれない』じゃなく、『俺が会話に入れるような空気感じゃない』が正解だ。分かってて言ってないかこいつ。

 そもそも俺がこんな所にいるのはやむを得ない事情があるからだ。本来なら遊びに行く仲でも無いのだからこうなるのは必至。

 しかしそんな文句を言って場の空気を悪くするテロ紛いの行為はしたくなかったので適当に誤魔化す。


「ごめん、ここ来たことほとんど無かったから、どんな店あるのかなって店の方ばっかり見てた」

「えぇー?ウチの学生、映画を観るならここだぁーって感じで、定番じゃない?」


 染谷の通りやすい声に前を歩く、同じく同期のやせ細った眼鏡の男――細田佑一ほそだゆういちがちらりと一瞥をくれた。

 やめろ気に留めるな。知り合い(男)Aと知り合い(女)Aの会話に集中しててくれ。俺は今お前らのテンションに合わせられる自信はない。


「実家暮らしだから皆と最寄り駅違うんだよ。こっち寮の方面じゃん」

「あ、そっか。バス通だっけ?」


 そうそう、と頷き、そのまま前から来る家族連れを避けて前へ。

 映画館がある区域とを繋げる橋を渡り、映画館の前へ。

 カラフルな装飾で彩られた看板。立てかけてある映画の広告。こういう光景を見ると無条件で楽しくなってくるものなのだが、今日はテンションも上がりようがない。


 昨日の一件が尾を引いていた。


 咲季が治ると信じ込んでいる城ヶ崎。そして彼女の心の危うさ。

「アタシなんかせいで」と、自分に否定的なあの様子。

 そんな彼女に「咲季は治らない」と教えてしまったら、今まで自分が咲季にかけてきた言葉がどれだけ残酷だったかと思い返し、パニックを起こしかねない。だから昨日は何も言えなかった。


「母さんになんて言われたのか」と言った俺の質問に訝しげにしている城ヶ崎を無理やりに誤魔化し、「咲季になんで大学行かないなんて言ったのか訊いてくる」なんてその場凌ぎのでっち上げを言って二人と別れたが、凛は最後まで俺に胡乱げな視線を向けていたので何かしらを感じ取っているだろうと思う。


 だから正直今こんな所でワイワイやっている気分じゃないんだけど、大学の講義の一つで『ドキュメンタリー映画を見て考察する』みたいな内容のものがあり、そのレポートとして『グループごとに一つの映画を見て、それについて議論し、考察せよ』というのを出されてしまったのだ。

 そしてその対象となる映画に今絶賛放映中のものがあったため、染谷が「せっかくだから皆で映画館行こうよ!」と急に言い出し、染谷と同じグループになっていた俺も当然巻き込まれ、今に至っているわけである。

 単位のためだから仕方ないが、色々一杯一杯なので帰りたみが半端ない。


 映画館に入るとまず感じたのがポップコーンの甘い匂いと、浮き足立ったようなざわめき。そして適度に薄暗い室内。一般的な学校の教室が五つ以上は入りそうだ。その中心には大きなモニターが取り付けてあり、放映中の映画の予告映像が流れていた。


「あ、オレ便所行ってきていい?」


 映画館に入るなり、知り合い(男)Aが言った。


「私も行くー」


 すると知り合い(女)Aも可愛らしく手を上げて同調。


「お?連れション?」

「ちょっとやめてきもーい」


 キャッキャとはしゃぐ知り合い(男)Aと知り合い(女)A。楽しそうで羨ましい。

 細田は「グッズでも見てるよ」と奥へ。俺と染谷もそれに続いた。

 染谷が細田の隣で放映中の人気アニメのグッズをまじまじと眺め、「これ見たことある?」なんて訊いて「え!多恵ちゃん知ってるの?」「うん。妹が見てて興味あってー」と細田を興奮気味にさせている。

 細田が引かれない程度にそのアニメのあらすじや見所を語っている間、俺はずっと上の空で、見る予定の映画のグッズを眺める。

 一通り見た所で知り合い達が戻ってきて、列に並んでチケットを購入。なんでこいつら待ってたんだろうと思ったが、知り合い(男)Aのスマホに割引きコード的なものがあったらしい。いくらかチケットが安くなった。

 混んでいて時間がかかったが、上映時間まではまだ四十分ほど時間があった。


「そこら辺適当にぶらつくか」


 一旦外に出た所で知り合い(男)Aが提案。特に反対意見も出ず、五人でぞろぞろと歩き出す。どうやらゲーセンを冷やかしに行くらしい。

 ゲーセンなんて久しぶりだなと鈍い思考のままついて行こうとして、


「ん」


 着信音。

 ポケットからスマホを取り出し、画面を見る。

 咲季からだった。


「ごめん、電話。上映時間には戻るから」

「お、彼女?」

「はは、かもね」


 適当に知り合い(男)Aの冗談を流し、四人と別れた。

 そのまま歩きつつ、電話に出る。


「もしもし」

『あ、も、もしもしっ!お兄ちゃんでしょうか?』


 緊張したような声。相変わらずのアホっぽい雰囲気に少し安心。


『あー、うん。兄兄。お前の兄ちゃんですが』


 どこか落ち着ける場所がないかと探しながら、適当に返事していると、


『あー!ちっがう!間違えた!私とした事が!一本取られちまったぜぃ』

「……」

『愛しの恋人…スウィートスウィートマイハニー……だったね…ごめんよ拗ねないでおくれ…』


 なんか始まった。


「…………」

『おやおや、照れているのかい?スウィート。早く君のミルフィーユのような甘い声を聴かせて欲しいな☆』

「…………」

『それとも、緊張してしまって固まってしまったのかな?困った子猫ちゃ』

「で?」

『…先日は大変ご迷惑をかけたようで、すみませんでした』


 割と真剣な謝罪。倒れた事を言ってるんだろう。

 照れ隠しなのは分かるが、いきなりそのテンションで来られても今は困るだけだった。


「まあ、元気になったようで何より」


 とりあえず、こんなにすぐ電話出来るという事はそこまで深刻なものじゃなかったんだろう。本当に良かった。


「体調はどうなんだ?」

『今お兄ちゃんが言った通り、バリバリ元気』


 抑揚のついた元気な声。

 電話の向こうでマッスルポーズをとっているのが容易に想像出来た。

 しかし無理をしてそう振舞っているような気配はする。


「そか」

『お?心配だったのかにゃ?お?』

「割と本気でな」

『……え』


 虚を突かれて続く言葉が出なかったのか、意味もなく咳払い。

 数秒の間の後、


『…そ、そう』


 とだけ呟いた。


「…………」


 そこまで気恥しそうにされるとこっちまで照れて来るんだが……お、ベンチあった。

 通路の端に屋根付きの休憩所らしきベンチを見つけ、座る。


『この前倒れちゃった時さ、お兄ちゃん、必死に助けを呼んでくれたじゃん』

「ん?あー…うん」


 覚えてるのか。恥ずかしいので出来れば覚えてて欲しくなかった。


『そういうさ、いつもはつんけんしてるのにさ、ふとした時にくれる…優しさ?みたいなの。そういう所が、すごい好き…』


 胸焼けしそうな甘ったるい言葉。

 思わず赤面してしまうが、これは重要なサインだった。

 咲季が素直にストレートな想いを伝える時。それは咲季の心が乱れている事の証左に他ならない。


「……なんで急に告白タイムみたいになった?」

『わ、私のラブラブゲージがMAXになると愛が溢れ出ちゃうのっ!』

「あー、そう」

『なんだよその態度ムカつくなぁ〜』


 やはり完全復活という訳にはいかないか。

 こういう時、普通の恋人なら抱きしめたり、キスしたり、抱いたりでもして慰めるものなんだろうけど、倫理に縛られている俺にはどうしようもない。

 慰めの言葉をかけようにも、同じ苦しみを知らない奴からの言葉なんて耳を通り過ぎるだけだ。なんの足しにもならないだろう。

 だから、


「いや、なんて言うか、その…俺の方こそ、ごめん」


 咄嗟に出たのは、謝罪の言葉。


『え?なにが?』

「…倒れた時、色々問い詰めるみたいにしたから。咲季だから大丈夫だとか思ってた。本当に悪かった」

『あーそのこと。いーのいーの。わたくし気にしてません。むしろあれくらいで倒れたのが申し訳なかったのでございます』


 あはは、とバツが悪そうに笑う。

 そして沈黙。


 なんとなしに、行き交う人々に意識を向けた。

 目の前を歩く家族連れや恋人。兄妹。その笑顔で話す姿。

 来週は、来年はこうしよう。そうやってなんて事もないように話す光景。

 全てがきらきらと輝いて見える。

 思わず恨み言を言ってしまいたくなるほどに。


『…お兄ちゃんはさ、なんで私と舞花の事、気にするの?』


 沈黙を破ったのは、呟きにも似た咲季の問いかけ。


「……俺が咲季に「何かやりたい事無いのか」って訊いた時、何か言いかけて止めただろ。その後すぐに城ヶ崎と何かあったらしいって知って、もしかしたら仲直りしたいのかなって」


 多分こんな事を聞きたい訳では無いんだろうなと感覚的に思いつつ、答えた。

 そして、続く言葉は、


『……じゃあ、そんなに私の事気にかけてくれるのって……同情?私が〝可哀想な人〟だから?』


 必死で、たどたどしい口調。

 それはいっそ祈りのようだった。

 当たっていないで下さいと。そんな事ないと言ってくださいと。


 違う。

 そう言いたかったが、即答出来なかった。そういう面が一ミリも無いと言えば嘘になる。それに自分でも何故ここまで必死になれるのか、その感情がはっきりと分かっていないのだ。

 そんな心の引っかかりが、応えるのを遅らせた。


 言い淀んだのはほんの数瞬。

 しかしそれをどう受けとったのか、


『あ、あはは!って、何言っちゃってるのかな私ってばー!ごめんね、ごめんごめん。まだ寝ぼけてるのかも』

「咲季…」

『じゃ!私はこの通り元気になりましたので!また遊びに来てね!』


 有無を言わさぬ早口でまくし立てられ、曖昧な返事しか出来ず、そのまま通話を切られてしまった。

 後に残ったのは、これといった特徴も無い、空虚なスマホの画面だけ。

 情けなくなって、ため息と共に空を仰いだ。


「駄目だな、俺」


 全然上手く出来ない。


 何で咲季はあんな質問をしたのか。正確な意図は分からない。

 けど、何となく察する事は出来る。

 きっと、余命を宣告された日からずっと思っていたんだ。それが、咲季が弱った今表面に出てきてしまったのだ。


 可哀想だ。なんて不幸なんだ。そうやって態度が変わっていく周囲。それは友人は言うに及ばず、親戚や両親にまで及んでいた。

 しかしそんなものを咲季は望んではいない。

 咲季は周囲の笑顔を何より好んでいる。

 皆が楽しければ自分も楽しい。悲しければ自分も悲しい。

 良くも悪くも単純で、だからこそ同情で目の前に立たれるのはあいつにとって苦痛なんだろう。

 自分が原因で誰かが悲しむなんて事、許容出来ないのだ。


 だからお前はそこの所どうなんだと。カジュアルに言えばそんな具合。


 これは誰よりも咲季の近くにいた俺の経験による推測。

 ただの妄想だと一笑に付す事も出来るが、これも倒れた要因の一つかも知れないと考えるとそうもいかない。


 しかしそうなるとこれは俺の心の問題にもなってくる。


 何故咲季に尽くすのか。


 あまりに当たり前の事となっていたので、改めて自分に問うてみても形が定まらず、霧のように散って確固としたものが掴めない。

 だがそれをはっきりとさせなければ咲季は納得してくれないだろう。


 何故だか分からない。だけど俺には、咲季のためにならなければいけないという本能に似た感覚だけがあって。


 呪いのようにこびりついたこの感覚はなんだ?


 分かりそうで分からない。

 喉の奥に何かがつっかえたような不快な感覚に、ウンウンと唸ってしまう。


 だからだろうか。

 目の前に立った小さな影に俺は全く気づいていなかった。

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