第14話 合ってたら恨む


 一緒の大学に行く。

 それは高校生二年生の始め、舞花と咲季の間で交わされた約束であり、目標だった。

 舞花の周りは友達が行くからという理由で選ぶなと言ってきたが、正直行きたい大学なんて無かったし、だからと言って大学に行かないという選択肢は今のご時世取りたくなく、だったらせめて成績の良い咲季が選ぶような大学に行けたらと、そう思ったのだ。咲季もその考えに特に何も言うことなく、快く協力してくれた。


 咲季が真っ先に行きたいと言ったのは、家から徒歩で通える距離にある大学。それなりに偏差値が高く、頭が良いとは言えない舞花にとっては猛勉強を余儀なくされるような大学だった。

 咲季はもう少し偏差値の低い大学も提案していたが、咲季の重りになりたくなくて、舞花もその大学を目指すことにした。

 二年の六月から一緒に勉強し、夏休みも返上し、成績は段々と伸びていった。

 咲季も模試でA判定。もう二人で大学に通うのも夢じゃない。舞花は胸を踊らせた。

 そして―


 そんな折に、咲季が入院した。


 学校で倒れたらしく、その場に居合わせた生徒からの噂で初めて知り、すぐ咲季に大丈夫なのかという意図のメッセージを送ったが、返事は無し。病院だとスマホを使えないのか、そもそもスマホを見ることが出来ないほど悪いのかと思い、我慢できずに放課後、咲季の家まで押しかけ、出てきた咲季の母親に事情を聞き、咲季が重い病気を罹ったという事を知った。

 入院している病院も教えて貰ったが、しばらくは面会出来ないとの事だったので悶々とした日々を過ごした。

 十数日後にやっと面会が可能になり、放課後、すぐに会いに行ったその日……


 #



「アタシが勝手に怒って、それで勝手に雰囲気に耐えられなくなって、逃げた。それでそのまま謝ることもしないで、昨日までズルズル引っ張って、それで昨日も結局…」


 喧嘩別れしてしまった、と。


 途中までの事情を聞き終え、俺は氷が溶けてできた水を一杯口へ流し込んだ。温い水が喉を通る感覚は、夏が近いこの時期には不快でしか無い。

 斜め前に座る凛は無表情で話を聞きながらポテトを頬張って「ふ〜ん」なんて言っていた。真面目に聞いているのか甚だ疑問な態度。

 別に文句を言うつもりは無いが、中々マイペースな奴だ。


「そんなに許せない事をあいつがやったのか?」


 咲季がそういう事をするとはあまり想像出来ない。

 俺に対しては多少のクズっぷりを発揮するが、それでも絶対に、本気で怒るようなラインは越えて来ない奴だ。

 その人が何をしたら怒るとか、そういうのを嗅ぎ分ける嗅覚は半端じゃ無い。

 それを踏み越えるとしたら何かしら理由が無いとおかしい。

 果たして何を言ったんだと続きを促せば、


「許せないって言うか…咲季が大学にいけないって言うから」


 思わず、城ヶ崎をぽかんとした間抜け顔で見つめてしまった。


「それでアタシが専門行くって言っても「そうなんだ」って他人事みたいで…ムカついて…」


 一緒の大学に行くって言ってたのに咲季が急にそれを反故にしたから怒った。

 そういう事だろうか。


 …じわじわと、どうしようもない違和感が頭を侵食していく。

 頭では分かっているのにそれが言葉に出力出来ない。そんなもどかしさを含んだ、違和感。


「病気で弱気になってるのは分かるけど、なんでそんな簡単に約束を破ろうとするの?確かに留年はするかもだけどさ、それでももう絶対行けない訳じゃないじゃん!」


 誰かに向けているのではないのだろう。当てる場のない苛立ちを吐き出すようだった。


 頭を這い回る違和感の正体が輪郭をくっきりさせていく。

 しかしそれが完全になるより先、目の前に異常が起こった。


「けどアタシ、咲季を傷つけるつもりなんて無かった!だって咲季はきっとアタシなんてどうでも良くなったんだって思って、アタシはもう要らないんだって…!だってアタシ…」

「お、おい、城ヶ崎?」


 城ヶ崎が突然、ヒステリックに取り乱し始めた。胸を苦しげに押さえ、嘔吐くように息を吐く。

 あのツーブロ相手に罵声を浴びせていた時とも違う病的なそれに、完全に虚を突かれ、呆然とするしかなかった。


「アタシなんかのせいで、アタシのせいで、咲季が!」

「ちょっと、おい、落ち着けって!」


 何事かと周りの視線も集まり始めるが、城ヶ崎にそんな事を気にする理性は残っておらず。

 過呼吸を起こし始めたその時、


「――づっ!」


 ゴツンと、鈍い音。


「やっぱりウチ、ついてきておいて正解だったね」


 側頭部への手刀。隣に座る凛からのものだった。

 やれやれと言わんばかりに肩を竦めている。

 急な暴力に面食らったが、城ヶ崎はそれで落ち着いてきたのか、呼吸を少し安定させていった。


「……はぁ…はぁ…痛い…」

「そりゃ、結構全力だったしね〜。落ち着いた?」

「…ごめん…けど、やり方…乱暴」

「顔面グーパンの方が良かった?」


 城ヶ崎の恨みがましい視線をどこ吹く風と受け流し、凛はそのまま話の本筋とはずれた会話を始める。それは「今日のホームルームで不審者の情報を言っていた」だとか、「露出狂は可愛い子に罵倒されたがってるから気を付けろ」とか、「そういう奴は悲鳴を上げても嘲笑っても喜ぶやつが多いから厄介」だとか、なんだか今する話なのかと思うものだったが、そうやって話している内に城ヶ崎の呼吸が安定し始めたのを見て、の会話かと納得した。


 やがて城ヶ崎が平常に戻り、会話が終わると俺は頭を掻いて、どうしたものかと視線を彷徨わせる。


「えー、っと」


 気づいた凛が「そういえばこいつそっちのけだったな」といった具合に「あ〜」と呟き、


「この子はメンタルが絹豆腐並なんです。とりあえずそれで納得して下さい」


 メンタルが弱いとかそういうレベルでなく、明らかな『異常』を感じたのだが、それを踏まえて黙ってろという事なんだろう。

 さすがに興味本位で探っていい範囲ではない気がしたので素直に頷く。


 しかしなるほど、こいつがついてきたのは城ヶ崎がこうなる可能性があると感じて心配だったわけだ。仲間想いなんだろう。類は友を呼ぶという言葉が嘘ではない気がしてきた。


 ともあれ、このまま続けていいものかと城ヶ崎に「大丈夫そうか?」と訊くと無言で何度も頷かれ、凛からも「状況が状況ですしね」とポテトを片手に言われたのでお言葉に甘える。


「えっ、と、それで、整理すると…最初は咲季が大学に一緒に行くって言った約束を反故にしようとしてるから腹が立って喧嘩。昨日は、城ヶ崎が専門学校に進路変更しようとしても全くの無関心で腹が立って喧嘩した…って事か?」

「…うん」


 すっかり消沈した様子で、城ヶ崎。

 とんでもなく嫌な予感に、俺は額を押さえる。


 あからさまな違和感。

 おそらく城ヶ崎と咲季の間には決定的な認識のズレがある。そしてその原因は今の確認と城ヶ崎の話から察してしまった。

 頭痛がする。

 訊いてしまえば後悔する。そうは思っても、これはとても重要で、避けて通れないものなのだとも思う。しかし、絶望を孕んでいるのは確実で。


 それを明らかにすれば城ヶ崎の心を深く、深く傷つけてしまうのだろうと理解しながらも、俺は咲季のために訊かざるを得なかった。


「なあ、城ヶ崎」


 遊びの挟まない呼び方に城ヶ崎は弱々しく視線を返す。俯きがちの上目遣いからはいつもの強気な態度は削ぎ落とされて、見た目通りの小動物じみた頼りなげな雰囲気が表に出ていた。

 もしかしたらこれが本来の彼女なのかも知れない。そう思うとますます訊くのが躊躇われた。


「今更なんの確認だよって思うかもしれないけどさ、」


 合ってたら恨むぞと心の内で呪詛を吐きつつ、


?」


 訊いた。


 城ヶ崎は本当に何を言っているんだろうと言うような目で、不思議そうにこちらを見た。


「何って、少し重い病状だって」

「他には?」


 さあ、当たってくれるな。


 しかし、城ヶ崎から紡がれた言葉は…


「重い病気だけど、…って…」



 最悪の事実を俺に突きつけた。



 # # #



「アタシ、専門学校行くことにした。美容系のトコ」

「…そう…なんだ」

「…「そうなんだ」って…咲季はどうすんの」

「どうするって?」

「進学のこと」

「進学は…無理かなぁ。ここでスローライフ?みたいな」

「…なにそれ」

「………」

「なんの病気かは知らないけどさ、?なのになんで、咲季は〝無理〟とか〝駄目〟なんて口癖みたいに言うわけ?」

「………」

「駄目だって決めつけないでよ…」

「ごめん」

「きっと大丈夫だよ…咲季なら。出席日数はもう、足りないかもだけど…来年から再スタートしてさ、」

「違うよ舞花。そういう事じゃなくて…本当に、もう、〝無理〟なの」

「………………………」


「だからもう、私に構わなくたっていいよ」


「―――っ!」



 舞花が叫んだ。



 その一言で、目が覚める。


「ん…ぅ…」


 苦しげに唸り、片桐咲季はゆっくり目を開いた。

 目覚めは最悪だった。

 空調がきいた簡素な室内。この白で埋め尽くされた世界は季節を忘れさせるほど快適な室温のはずだが、夢見が悪かったらしい。着ていた病院着が汗で湿っていた。

 咲季はその不快な感覚にため息をつき、のろのろと起き上がる。


 まだ日も登っておらず、部屋は真っ暗だ。

 傍らに置いてある置時計に目をやると、午前3時過ぎ。いつもなら当然寝ている時間だった。しかしこのまま寝る気にもなれず、立ち上がって窓を開けた。

 生温い空気が肌にじわりとまとわりつく。

 眼下には病院に隣接する公園に鬱蒼と生えた雑草やイチョウ、桜。その全てが鬱陶しいくらいに緑を精一杯に広げており、「夏はまだか」と急かしているようだった。

 咲季はそれを見て初めて「夏が近いんだな」と認識した。

 空調のきいた部屋で、ただただ寝て食べてを繰り返している咲季にとって季節の移ろいは希薄なものとなり始めていたのだ。


「いや」


 一人呟き、自分の思考を否定する。


 ――きっと意識から遠ざけてるんだ。


 自然と視線が上がった。空には煌々と輝く三日月。季節を感じさせないそれに、安堵の息を吐く。

 季節が過ぎる度、否応無しに意識させられる〝終わり〟。

 私は凍えるようなあの季節に終わる。

 そう思うと、どうしても純粋に移ろいゆく景色を見ることが出来なかった。


「そうだよ。終わるんだよ、舞花…」


 この場にいない友人へ向けての言葉。

 誰に聞かせるでもない独白。



 学校で突然倒れ、突然余命を伝えられ、意気消沈してた時、舞花がお見舞いに来てくれた時は凄く嬉しかった。

 しかし話している内、彼女がとんでもない思い違いをしている事に咲季は気づいた。


『元気出してよ。いつまでも暗いと治るものも治んないよ?』


 舞花の冗談めかした言葉。

 まさかと、咲季は恐る恐る訊いた。「私の病気、知ってるの?」と。

 舞花は「ごめん」と謝ってから答えた。


『悪いとは思ったけど、。けど良かったじゃん!ちゃんと薬とか飲み続ければ?』


 舞花は満面の笑みで喜んでいた。

 唖然とした表情で凍りつく咲季を置いて。


 咲季はその時、母が嘘をついた事を悟った。


 もしかしたら母なりに気を使ったのかも知れない。

 そう思ったが、それがどんな理由にせよ、咲季にとって最悪な嘘となったのは言うまでもない。


 すっかり安心した様子の舞花から発せられる〝未来〟の話。

 退院したらこうしよう。大学に行ったらあれをやろう。

 舞花の精一杯の気遣いが、その時の摩耗した咲季にとっては苦痛でしか無く。しかし本当の事を言おうにも、とてもじゃ無いが出来なかった。


 だから咲季は、その苦痛から逃れるために、乱暴で安直な選択肢を選んでしまった。


『私、大学行かない』


 嫌われてしまえばいい。

 約束を破るような不誠実を舞花は嫌う。

 そして嫌われる事で疎遠になれば舞花も真実を知って深く傷つく事も無くなるし、咲季もありもしない〝未来〟の話をされずに済む。


 かくして、舞花と咲季の関係に亀裂が生まれてしまった。


 最初はそれでいいと咲季は思っていた。だが、ずっとそう思えるほど咲季は冷めた人間ではなかった。

 数日経って生まれたのは親友を裏切った罪悪感。何度も本当の事を話して謝ろうと思ったが、そうすれば問題を抱えた舞花の心がどうなるか分からなかった。

 仲直りがしたくても、もう後戻りは出来ない所まで来てしまっていて。

 だから先日、また舞花を遠ざけた。


 その苦悩が身体に障ったのか発作を起こしてしまったが、これも自分の罪に対する罰なのだと思うとなんてことも無い。


「…舞花、まだ心配してくれてた」


 先日、舞花が病室から飛び出してしまう前。咲季の突き放すような言葉に叫んだ言葉。


『構うよ!親友に構って何が悪いんだ馬鹿!』


 涙目で、咲季を真っ直ぐに見て放った言葉。


「私はまだ、親友でいいのかな…」


 問いかけは、そのまま闇に溶けて消えた。








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