第12話 彼氏じゃないっつの


 咲季は覚えているだろうか。


 城ヶ崎じょうがさき舞花まいかは、思う。

 舞花がとても泣き虫だという事。

 強い態度を取っていても、その実中身はいつだって臆病で、脆い事。


 自分の弱さを認めないための鎧。舞花の強気な態度はつまるところそれだった。


 だからこそ後悔してしまう。

 昨日、咲季と久しぶりに二人きりで話した時、どうしてあんな風に言ってしまったのだろうと。

 そして同時に、こうも思う。


 どうして咲季は、あんなにも諦めてしまっているんだろうと。



 # # #



「…という事で、特に女子は気を付けるように。以上。日直」


 教師が帰りのホームルームの終わりを告げ、日直の男子生徒が「起立、礼」をやる気のない声で言い、放課後。

 もはやルーティーンとなった行為を無意識に済ませ、舞花は席へ座り、鞄に教科書を詰め込み始めた。


「はぁ……」


 自然と漏れ出た吐息。

 今日幾度となく繰り返されたそれは、もはや周りから注目を集めるほどに達していて。

 舞花と行動を常に共にしている――いわゆる〝同じグループ〟に属する女子も気にしてはいるのだが、相談事を言い合える仲とまではいかないので、腫れ物に触るような態度を取る以外に何も出来ないでいた。


「どしたの舞花?」


 そんな中、彼女に声をかける少女が一人。

 舞花が振り向くと、すぐ横に誰かが立っているのが視界に入り、見上げた。


「ぁ…りんか」


 野暮ったく、肩まで伸ばした黒髪。手入れなんて気にした事もないようなボサボサの癖毛を肩口まで伸ばした、黒縁メガネの少女は気怠げな雰囲気を纏いながら、舞花の顔を不躾に覗く。


「うわ〜、暗。重症だね」

「何が?」

「あんたがよ。あからさまに、自分悩んでますよ〜って身体全体で言ってたじゃん。授業も上の空だったでしょ。何、天然か?」


 忌憚のない態度。

 見た目だけで見るのなら全く接点のなさそうな二人だが、凛は舞花が自信を持って友人と呼べる数少ない人物である。

 とは言え、彼女は舞花と同じグループに所属している訳ではないため、周りにその認識は無かった。故に、奇異の視線が二人に向かう。

 しかしそれは別に、仲間外れとかではなく、単純に凛が一人でいるのが好きな性質たちで、舞花がそれを尊重しているから。

 曰く、「色々気を遣うとか、空気読むとか、いい加減中学で飽きた」との事。


 そんな凛がこうして声をかけてきたという事は、声をかけざるを得ないくらい舞花が相当参っているように見えたという事で。


「アタシってそんなに分かりやすいかな」

「照れてる時とか悩んでる時はすぐ分かるね。ていうかあんたと同じグループの…コメ、コメ…ダ…」

米倉よねくら由乃ゆの

「そうそれ。米倉さんも今日の様子あからさまに気にしてたし」

「クラスメイトの名前くらい覚えろっての」

「まだ六月じゃん」


 舞花からすればもう六月だった。


「で、何か用事?」


 まだ少しぼやけた思考のまま訊く。

 すると、凛は舞花をじっと見つめ、


「……………………………」

「あ?何よ?」


 急に黙った友人を怪訝に思い、教科書を詰め込む手を止め、見上げた。


「だ〜から、あんたの様子が明らかに変だから「どうしたの」ってわざわざ訊きに来たんでしょ〜」

「……あ」

「やっぱり重症だこりゃ」


 やれやれとわざとらしく首を振る


「もしかして咲季関係?」

「……………」


 ズバリと言い当てられ、舞花の表情が固まる。

 最近一緒に遊んでいる時、会話の端々からといった空気を舞花からあからさまに感じていた凛である。そもそも二日前に坂口と二人で咲季のお見舞いに行った直後だ。当てられて当然だった。

 気まずそうに目をそらす舞花だったが、場に沈黙が降りるより先、凛が手を横に振り、


「あ〜、いーいー。別に、絶対何か話せって訳じゃないから。話したくなったら聞いたげるって、それだけ」

「…はぁ?何様だし」

「あんたの友達様だ。ほら、さっさと帰ろ」


 面倒くさいと言いたげな投げやりな態度。対応も淡白。彼女のそういった距離感は舞花にとって少し寂しくあったが、彼女なりに心配しているのが伝わってきたし、それに、


「友達様…ね」


 凛はまだ自分を友達だと思っていることが嬉しくて、暗く沈んだ気分が少しは晴れた気がしたのだった。



 #


 舞花の通う私立藍原高等学校は都心から少し離れた位置にある。

 周りは田畑が多く、遊べるような施設は近隣に無いため、遊び盛りの年頃にとってはあまり魅力的ではない立地だ。

 しかしその傍には高架があり、駅から歩いて一、二分で校門に着くため、通学の楽さからここを選ぶ生徒は多かった。


 生徒数は一学年で900人近く。

 そのため、下校時間になるとぞろぞろとお祭りのように生徒が校門前の長い坂道を下っていく。

 そんな混み混みとした中、舞花はホームルームで配られたプリントを団扇代わりにしながら凛と共に下校。

 ワイシャツを肌けさせ、「今日暑くね?」とか「冷房早く許可出ろ」とか取り留めのない会話をしながら坂道へ差し掛かり、


「ていうか珍しいじゃん、凛が帰り誘うって」


 舞花が疑問に思ったことをぶつけた。

 彼女の言う通り、基本凛は「都合が合えば一緒にいよう」というスタンスであるため、自転車通学の彼女は電車通学の舞花と一緒に帰ろうという発想にならないのである。

 校門の前までだったら一緒なんだからいいじゃんと舞花は思っているが一度それを提案したらかなり渋られたので、諦めていた。

 中学生の時はよく咲季と凛と三人で帰り、街をぶらついていたのだが、最近では咲季と二人で帰っている記憶しか無い。

 それも今は咲季がいなくなり、寂しいと思いながら一人で帰っていた。そんな時の誘いである。


「いや、ちょっと注意しとこっかなって」

「は?何それ」

「だってあんた絶対ホームルーム聞いてなかったし。そのくせ聞いとかないと危なそうなくらい弱ってるし?」

「はぁ?」


 なんだかよく分からないまま凛の話を聞きつつ、ふと校門の外へと視線を向ける。


 ……と、


「……うそ」


 校門の向こうの高架下。その下に佇む人物を見た瞬間、思わず口をついて出てしまった。


 異変を感じ取ったのか、凛も話を止めて同じ方向へ視線を向け、その人物と舞花を交互に見、


「あの男の人、知り合い?」


 少し警戒心を強め、訊いてくる。


 校門の前にいたのは、先日知り合ったばかりの咲季の兄、片桐秋春だった。

 スマホを片手にして弄り、俯いているが、現在咲季について悩んでいる舞花にとっては即座に反応してしまう人物。


「…んーと、いち、おう?」


 何故?という思考が先行して、返事が曖昧になる。


「なんだその含みある感じ。もしかして彼氏?」

「それはない」

「お〜?食い気味な所が怪しぃ」


 気だるげな雰囲気が一転。愉しげにニヤニヤとしだす凛。

 そんな彼女を見て、「また出た…」と小さくため息。


「…人をからかう時だけやたらと輝くよね凛って」

「あー?誰がいつもはジメジメ根暗ワカメ野郎だってぇ?」

「言ってないし。ていうか野郎じゃないし。女子だし」

「野郎って女に使えないの?」

「使えないでしょ」

「えぇ?本当に?断言できる?」

「…そう言われると分かんなくなってきた」


 下らない会話に転じつつ、歩いていた方向とは真逆へ転換。

 あまりに不自然な行動に、


「あれ、会ってかないの?」


 追ってきた凛が訊く。


「別に、話す事ない…」

「あっ……」

「何考えてるか大体分かるけど違うから」

「ごめん、けど、そういう時期ってどこだってあるから、舞花のとこだけじゃないの」

「倦怠期じゃない」

「じゃあ喧嘩?」

「そもそも彼氏じゃないっつの」


 しつこい凛に呆れつつ、一蹴。

 すると凛は考えこむように数秒黙り、


「頭わいてる奴だったらガツンと言ってこよっか?」

「そういうのでもないって」


 じゃあなんなんだよという視線を受けながら、舞花は息を吐いた。

 何故秋春を避けるのか。それはきっと咲季に対する負い目があるからで。

 恐らく咲季の話題を切り出されるだろう事が怖いのだ。

 咲季にを浴びせてしまった自分はもう、咲季の友達ではいられない。もう一緒にいられない。そんな考えが頭に鎮座していた。

 だから秋春が来たのはその最終通告な気がして。

 それが自分の下らない妄想だとは分かっていても、尻込みしてしまうのだ。



 ――お前って、いつも怯えて、逃げ出して、ホント呆れる。



 頭の中に響く声。


 うるさい黙れと、その声を振り払おうとする。

 しかし、否応無く呼び起こされる、思い出したくもない最低の記憶。



 ――どうせいつまで経ってもそのままだ。お前はそうやって…



「――っ!」


 歯を食いしばり、両頬を思いっ切り叩いた。


 急に立ち止まって不審な行動を取り始めた友人に、凛はギョッとした視線を向けるが、構っていられなかった。


「そうだ…アタシは変われる。変わる…!」


 これは儀式だ。

 長らく忘れていた呪いのような言葉。

 それを叩き伏せるための儀式。


「……よしっ」


 先程までとは一転。

 覚悟を決めたような表情となり、来た道を引き返す。

 そばでその様子を見ていた凛は「どうした…」とやや心配そうに眺めながら、舞花に続いた。







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