第11話 一人にしないでください


 櫻井さんに「そろそろ戻りますね」と挨拶して、足早に二階へ降り、咲季の部屋の前へ。


「咲季」


 ノック無しにそのまま部屋に入ると、咲季だけが中に居て、ベッドの上でこちらを見ていた。


「お兄ちゃんトイレ長かったね」


 呑気にキウイをパクパク食べいて、最後の一つをちょうど飲み込んだ所だった。

 その姿はいつもと変わらないように見える。


「城ヶ崎は…どうした?」

「んー、帰ったよ?」

「……また喧嘩したのか?」

「喧嘩…、喧嘩、なのかなぁ」

「おい…」


 うーん、と首を傾げる咲季。

 その姿からは気にした様子など感じない。まるで何事も無かったかのよう。

 もしかしたら城ヶ崎は用事でも思い出して帰ったのでは無いかとも考えるが、逆にその白々しい態度が、それは違うのだと確信させた。


「ていうか〝また〟って、お兄ちゃんマイマイから何か聞いてたんだ?」

「城ヶ崎と言うよりはあのツーブロがベラベラと喋ってたんだよ」

「あぁ、舞花って態度に出やすいから」


 周りにも分かるくらい落ち込んでいたんだと、まるで他人事のように呟く咲季。


 諦念。


 その様子を見て真っ先に感じたのはそれだった。

 表情は明るく、あっけらかんとしているが、それを額面通りに受け取れるほど付き合いは短くない。


「お兄ちゃんはアレ?私達に仲直りしてもらおーとか、そういう魂胆で舞花に近付いたの?」


 すごく言い方に悪意がある。

 さすがに勘づいていたらしい。わざとらしくニヤニヤとした表情に俺はため息。


「…そんなシスコンみたいな真似しねーよ」

「あは、そっかー」


 乾いた笑い。


「ありがとね」


 血が繋がっているとは思えないほど綺麗な微笑みで言う。

 そんな見透かしたようなセリフに顔を顰めた。


「あ、照れてる」

「うるさいな」


 咄嗟に否定の言葉が出てこず、恥ずかしさを誤魔化すように頬を搔いた。


「可愛い」

「はぁ?」

「大好き」

「……」


 甘えたような声に、ストレートな物言い。

 赤の他人だったらどきりとしてしまうような所だろうが、俺が感じたのは焦燥感に似た恐怖。

 だから、


「ん…」


 近づき、咲季の頭に手を軽くのせ、その隣、ベッドの上へ腰掛けた。

 あやす様に優しく頭を撫でる。


「……な、なに?」


 上擦った戸惑いの声とともに、咲季の顔が段々と上気してきた。


「何って、お前がして欲しいって言ってたんだろ」

「それは膝枕なでなで」

「大して変わらねーだろ」

「変わるよ。萌えは足し算じゃないの。掛け算なの。膝枕となでなでが掛け合わさることで驚異的な破壊力が生まれるのそんなに単純なものじゃないの分かる?ぶっ飛ばすよ?」

「急に表情消してまくし立てるな…」

「…はっ、ご、ごめん。私の人生の根幹に関わることだったからつい……」


 こいつは普段何を思って暮らしてるんだ。本気過ぎて怖い。


「ただね、お兄ちゃん、萌えとか性癖とかって一種の宗教だからね。そういう微妙なわびさびに理解が無いと敵作るよ」


 キウイを食べ尽くし、空になったタッパーを小脇に置いて、窘めるように、咲季。

 何か良く分からないが、頭ごなしに否定するなというのは伝わった。


「それと、今はしてないからいいけど、髪セットしてある時にやったらぶん殴ってるからね」

「…ハイ、ゴメンナサイ」

「ん」


 満足げに頷く。

 ……なんで良かれと思ってやったのにこんな説教受けてるんだろう、俺。


「そういう咲季は親友を敵に回してるみたいだけど?」

「………」


 なんだか腹が立ってきたので、乱暴に軌道修正。いつも話を逸らされて咲季のペースに持っていかれることが多いから、今回は無理矢理に俺のペースに持ち込んだ。


「お兄ちゃんってデリカシー欠けてる」

「欠けてねーよ。咲季だから言ってんの。あえてデリカシー投げ捨ててんの」


 頭を掴んで軽く揺らしてやる。

 唸りながらも、表情は緩んでいた。


「お前、城ヶ崎のことどう思ってんの?」

「…親友と書いてマブダチ」

「そういうのいいんだよ」


 撫でるのをやめて軽くデコピンしてやった。

 恨めしそうに見上げる咲季を無視し、


「…で、今でもそう思ってるのに二度目の喧嘩したのか」


 切り込む。

 どうにも咲季にしては面倒な事態になっているから、その理由が知りたかった。

 普段の咲季なら今頃スッキリと仲直りして談笑しているだろうと思っていたのだ。それがどうして、城ヶ崎が出ていってしまうほどの喧嘩が起きてしまったのか。

 咲季は気まずそうに視線を逸らし、数秒黙った後、


「いや、喧嘩って、言うか…」


 ポツポツと語り出す。


「勘違、いっ、て言…」



 妙に歯切れが悪いなと思っていると、異変。


 咲季が腹部を押さえて段々と蹲っていく。

 一瞬いつものおふざけかと勘繰ったが、


「お、おい…?」


 荒い呼吸。発汗。青白くなっていく顔。

 その全てが、冗談なんて混ざる余地が無くて。


 咄嗟の事態に、頭がついて行かなかった。

 つい今しがたまで尋問じみた真似をしようとしていた頭は消え失せ、


 ただ、背筋が凍った。


「…ぁぐ、……う…ぅ…!」


 身体を折り、苦鳴を漏らし。


 何だ、何なんだ。何が起きてる。


 今まで、ここまで苦しそうな咲季の姿を見た事は無い。


 安直に、脳裏に浮かんでしまった言葉は、〝死〟。


 硬直していた身体がやっと動き出した。

 ナースコールを急いで引き寄せ、何度も押した。

 何度押したって意味が無い事は分かるが、そうせずにはいられなかった。


「誰か!すみません、誰か来てください!咲季が!咲季が!」


 来てくれ。早く!

 早くしないと咲季が!


 やめてくれ、お願いだから、神様。咲季を連れていかないでくれ。

 お願いだから。

 お願いします。


 ――。



 #


「ちょっとした発作だったみたい。大事ではないから安心して」


 十数分、病室の前で待っていた俺に櫻井さんが告げた。

 なんで櫻井さんがいるんだろうという考えが頭に過ぎったが、彼女は咲季の担当の看護師だ。むしろいない方がおかしい。…どうやら誰が駆けつけたのか分からないくらいに動揺してたみたいだった。

「ぁ…」と短い声が口から漏れ、やがてそれが安堵のため息へと変わる。


「……そうですか、ありがとうございます」


 そのまま地面に座りそうになり、慌てて立ち直した。


「今は落ち着いて寝てる。けど安静にしてあげたいから、今日のところは…」

「はい、分かってます。俺が居たら咲季、うるさいですしね」


 強がって言ってみた軽口も、空気が抜けたように頼りなげだ。

 情けなくて自分で笑ってしまう。


「…ストレスが原因みたいだから、こっちも当然気にかけるけど、片桐君もよく見てあげてね」

「……はい」

「…片桐君?」

「いえ、大丈夫です」


 多分酷い顔をしてるんだろうなと思いながらも、気を使う余裕も無く、そのまま逃げるように病院を後にした。


 出口を出て力無く歩き、家の近くまで差し掛かった所で、いつも素通りしている寂れた公園が視界に入った。

 このまま真っ直ぐ家に帰る気も起きず、そのまま吸い込まれるように、雑草の生い茂った入口を潜り、ボロボロになった木製のベンチに座った。

 昔はここで良く遊んだっけ。なんて思いながら、溜まっていたものを吐き出すように息を吐く。


 俺のせいだ。


 余計な事だった。

 咲季のためだと言って首を突っ込み、中途半端に仲介してしまったから、こうなった。家族だからといって軽々しく踏み込み過ぎた。


「何が「会って話せば何とかなる」だ」


 思いっ切り何とかなってないじゃないか。

 確かに咲季はさっぱりとした性格の良い奴だが、例え互いの性格が良かろうが、こじれる時はこじれるのが人間関係というものだろう。それを失念していた。


 だけどここまで首を突っ込んで、関係をかき乱したからには、それを清算する義務がある。しかしそれも、咲季に心労をかけないような形で。

 さっきみたいに不躾に聞いたりしたら、また今日みたいになるかも知れない。

 だから話を出すのなら、確実に関係が元通りになると確信した時。

 そのためには、するべき事は一つしかなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る