fragment 1 えっち


 これは、片桐咲季が中学二年生。片桐秋春が高校一年生の時の、とある一幕。


 ※ ※ ※



「お兄ちゃん」


 リビングのソファーにワイシャツ姿で寝転がり、学校帰りに買ってきた漫画を読んでいると、妹――咲季がソファーの下からひょっこり顔を出した。


 今帰ってきたのか、セーラー服を着たままだ。

 背中半ばまで伸ばした髪をツインテールにしている、小学生にも見えなくない姿。

 幼く見えても中身は大人…という事も無く、知識が増えただけのまるっきりガキんちょである。

 この時期の女子特有の「父、兄、キモイ」といった近親嫌悪も無し。

 むしろ積極的にだる絡みしてくるくらいで、その度に振り回され、エネルギーを吸い取られる。


「ね、凄い事言っていい?」

「あ?」


 だから、こんな突拍子もない事を言ってきた時は要注意だった。


「あのね、今日告られましたのわたくし」

「…中学に入ってから何回目だそれ」


 身構えていた俺は少し警戒を緩める。

 咲季が男子に告白されるのは珍しくない。こうやって自慢してくることも。

 学校で猫を被っているのかなんなのか、こいつはかなりモテる。

 そこまでモテたら女子に顰蹙ひんしゅくを買いそうなものだが、今の所そんな様子もなし。正直謎だ。


「三回目…くらい?」


 なんて事も無い風に、咲季。

 小学生の頃から告られ続けていたせいか、慣れてしまっているんだろう。ちょっと腹が立った。


「だろ。聞き飽きたわいい加減」

「いやいや、実はですね。これが普通の告白じゃ無かったわけでして」

「おー、なんだ?今度は校内一のイケメンにでも告られたか?」

「まあそうなんですけど」

「…………」


 ただの自慢じゃねぇか。

 咲季から視線を外して漫画へと集中。


「ちょっと興味失わないで凄いの。こっから凄いの。ねぇ!」

「あーハイハイそれでその自慢話はいつ終わるんだ?」

「何だよそのフリーズドライな反応ぉ!…あ、もしかして嫉妬?」

「おー、うん。しっとしっと」

「ちょ、やめて。そういう態度が一番心にくるのやめて」


 グイグイと肘を引っ張られ、さすがに無視出来ず、漫画を閉じる。視線を咲季へ。


「手短にお願いできまふか」

「欠伸すんなちくしょう…分かったよ手短ね手短…」


 不貞腐れたように頬を膨らませてから、女の子座りから体操座りへ。膝の上に手と頭をのせ、可愛らしく上目遣い。

 無意識なのは経験上分かるけど、中々あざとい仕草である。多分告ったやつはこういう所にやられたんだなと思いながら、話し出すのを待ち、


桃ノ川もものかわ蘭子らんこってAV女優いるじゃん?」

「…………あ?」


 出てきた言葉に、思考が一瞬止まった。


「いるんだって」

「…………………」

「聞いてる?」

「…何故いきなりAV女優の話題が飛び出したの?」

「手短にって言うから」

「手短にって言っても限度があるだろ。イケメンからの告白のどこから繋がるんだそれが。ていうか誰だよそいつ知らねーよ」

「もものかわらんこ。AVじょゆう。おもに ハードけい に しゅつえんする。おさない かお に にあわぬ おおきな むね が みりょく。とくいわざ は しおふき」

「知るか!ていうか某モンスター図鑑風に言うな!微妙に似てるのが腹立つわ!」

「知らないって言うから教えたのに…」

「疲れる…まじで疲れるお前…」

「失礼だなー」


 ブーブーと声に出して抗議する咲季。…これでよくぶりっ子と呼ばれて迫害を受けないものだと、日頃の猫被り(多分)に感心した。


「で、その桃川がどうしたって?」

「桃ノ川蘭子。ていうかなんだよエッチな話になると食いつくのね。このむっつりエロ魔人」

「なんでこっちから歩み寄ると突き放すのお前?」

「まあ落ち着きなさいな話はここからですよお兄様」


 やれやれとこちらを舐め腐った態度で笑いながら、


「岩本君…あ、告白してきた男子の名前ね。あの人ね、告白してきた理由がが中々凄くてさ」

「…はあ」

「なんかね、岩本君、桃ノ川蘭子の大ファンらしくて」

「え…うん」

「私が似てるんだって。顔とか体型とか諸々」


 聞き流しそうになり、必死に咲季の言葉を脳内で反芻する。


「待て、似てる?咲季が………誰に?」

「小悪魔穴掘り女優の蘭子と」

「やめろ。汚い二つ名を付け足すな」


 岩本君の性癖が分かってしまった。聞きたくなかった。


「まー、とにかく似てるらしくてね「キミは桃ノ川蘭子そのものなんだ。付き合って欲しい」って言われて」

「えぇ凄いな…それでOKしたの?」

「や、その時蘭子とか知らないし、後でクラスの子から聞いて知ったし。よく分かんなかったから即断った」

「蘭子知ってたら受けてたのか」

「んなわけないでしょ何言ってんの」


 ジト目で睨まれる。

 適当に言っただけだし、俺も何言ってんだと思うが、こいつに言われるとちょっとイラッとするな。


 ……ともあれ、


「世の中色んな人がいるんだね」


 話が終わったとみて、腹に置いていた漫画を開こうとする。

 と、腕を押さえつけられる。


「何だよ」

「まあ待ちなさいなお兄様」

「なに」

「見ようぜ」

「何を」

「桃ノ川蘭子の動く姿を」

「は?」


 言葉がよく理解出来なかった。


「ネットで。パパっと、見ちゃおうぜ」

「いや何で?」

「気になるでしょ?公式サイトでちょこっとなら見れるらしいよっ?」


 何故か凄いウキウキ顔の咲季。めっちゃ目が輝いている。

 しかし、こちらとの温度差は歴然である。温度差あり過ぎて突風が吹き荒れそうなレベル。


「気になるか、ならないかで言ったらなるけど、妹に似たやつがズコバコしてるのを見せられる兄の気持ちになってみてくれる?」

「背徳感バンザイ!」

「お前ぶっ飛ばすよ?」


 わー、と両手を上げた咲季に、冷え切った声で言う。

 すると口を尖らせ、


「なんだよーいいじゃん見るくらい。減るもんじゃ無いし」

「俺の兄として大切な何かがすり減る」

「理性か?エロ兄貴」

「部屋にダンゴムシ放つぞ」

「ごめんなさいそれだけは勘弁して下さい」


 小学生低学年くらいの時に実際やられた時の事を思い出したのか、青い顔をして低頭。

 咲季は節足動物系統が大の苦手である。

 突然ダンゴムシの脚の部分なんてみた日には滅茶苦茶叫ぶ。

 そこら辺にコロコロ転がってるダンゴムシは、お手頃な対咲季用決戦兵器だ。


「ていうか一人で勝手に見ればいいだろ。なんで俺を巻き込むんだよ」

「特に理由は無いです」

「は?」

「まあ、強いて言うなら?このモテ女咲季ちゃんと一つ屋根の下暮らしてる思春期非モテ男子はシモ的に平気なのかと思ったり思わなかったり?」

「…アホか」


 どうやら「お前は妹に欲情する変態だと日頃から疑っている。違うと言うなら私に似た女優のエロい姿を見て興奮しないでみせろ」というニュアンスの事を言いたいらしい。


 確かに咲季のふとした仕草や行動に可愛いさを感じる事もあったりするが、それだけだ。それ以上はない。ていうかそれ以上があったらヤバイ。


「おやおや?返答に一瞬間がありましたわね?」

「…何が言いたい」

「図星だったら私、お兄ちゃんの欲望に満ちた視線に怯えて暮らさなきゃいけなくなるぅ〜」


 おちょくったような口調に募る苛立ち。

 こいつ、俺が乗ってこないと思って舐めてやがるな…。


「分かったよ…じゃあ見てやろうじゃねーか」

「……………………えっ?」

「見るぞ。桃川」

「桃ノ川ね。え、いや、そうじゃなくて、え?見るの」

「見ます」

「えっと…別に無理することないよ?嫌なんでしょ?そこまで本気じゃなかったし…」

「見る!」

「おぉう、駄目だ、錯乱してるぞこの人」

「してない」

「いやいやし…って、ちょっと?お兄ちゃん何スマホ持ってるの?検索してるの?蘭子検索してるの?」

「うん」

「ごめんなさいごめんなさい!ちょっとからかうつもりで言っただけなの写真だけ見て終わろうってつもりだったのっ!だからあああああ画面がピンク色!」


 初心うぶな少女のように顔を真っ赤にして手をブンブンと振り、叫ぶ咲季。

 あまり見られない反応に、俺の脳が少し平静を取り戻す。


「お前、今更こんなの恥ずかしがる奴だっけ?」

「恥ずいよ!お兄ちゃんが私のズコバコを見るんでしょ!?なんか、こう、とにかく恥ずいよっ!」

「いや、見るのは桃川だけどな?ていうか見ようって言ったのお前」

「桃ノ川!だから別に本気じゃなかったの!お兄ちゃんの悔しがる顔が見たく…にゃあああ動画流れ始めた蘭子がらんこーしてるー!」


 家中に響く叫び声。

 母さん達が帰っていなくてよかった。

 そう思うくらいに下品な単語が飛び交い、うちのリビングは完全なる地獄絵図と化していた。


 ………そして、しばらく騒いでいた俺たちは一通りギャーギャー言った後、途端に冷静になり、


「何やってんだ俺ら…」

「今回の何やってんだMVPはお兄ちゃんだからね…」

「……まあ、そうですね」


 自分でもその通りだと思ったので頷く。正直、何故あそこまで熱くなったのか謎だ。

 騒いでる内に、ソファーを背もたれにフローリングに咲季と並ぶように座る形となっていた。

 どんだけ騒いでたんだ小学生かと一人苦笑し、暗くなったスマホの画面に目を落とした。


「けどあれだな」

「ん?」

「本当に咲季に似てたな、蘭子」


 静止画だけだったら本当に瓜二つのレベルだったように思う。

 動くと髪型も雰囲気も違くて微妙だったが。


「……えっち」

「うるせ。それは岩本君に言ってやれ」

「なんか喜びそうだからヤダ」


 確かに。絶対変態だしな岩本君。


 ……そこでふと、思い至る。


「そういやさ、咲季って彼氏とか、好きなやつでもいるの?」

「へぁっ!?な、なんで!?」


 俺の言葉に、ゆでダコのように一瞬で赤くなる咲季。

 どうやら図星のようだ。


「いや、だって告白されたってのはよく聞かされるけど、OKしたとか聞いた事ないし。だったら相手が決まってんのかなって」

「そ、それは……」


 咲季は急に落ち着きが無くなり、もじもじと指を絡ませ、時たまチラチラこちらを見てくる。

 何だろう。トイレか?


「逆に、訊くけど、さ。お兄ちゃんはどーなの?」

「あ?」

「彼女…とか、好きな人」


 咲季にしては珍しく、かなり真面目なトーン。

 なんだか分からないが、結構真剣に訊いてるらしい。

 だから俺も特に冗談などを混ぜず、


「お前さっき俺のこと非モテって呼んでただろ。その通りだけど?」

「で、でも、好きな人とかはいるかもじゃん」

「好きな人ねぇ……」


 あまり考えた事が無かった。


「結愛ちゃんとか」

「…………なんで赤坂さんが出てくんだよ…」

「綺麗だし、スタイル良いし」

「……それは、認めるけどさ…」


 苦手な人間の話題が出てきて、思わず顰めっ面になる。

 幼馴染みの赤坂結愛あかさかゆあ。容姿端麗の美少女を地で行く、歩く芸術作品みたいな女。

 しかし見てくれは良くてもあれは駄目だ。


「俺あの人苦手だし。だったら咲季の方が何倍もいい」


 赤坂さんは恋人にしたくない女性TOP3に確実に入る。

 色々やられ過ぎて顔を見るのも嫌になっているレベルだから、好きになれるはず無……ん?


 ふと、自分が発した言葉に違和感を感じた。


 しかし、無意識かつ適当に発した自分の言葉など大して頭に残っておらず、まあいいかと流し、


「ただいまー」


 直後、母さんが帰宅。

 同時に妙に静かになった咲季が逃げるようにリビングから離れ、会話は終了。

 多分トイレだろう。我慢してたっぽいし。

 結局、彼氏云々は有耶無耶になってしまったが、別にどうしても聞きたいわけでもないので頭の中から消えていき、今日の夕食は何だろうという頭へシフトしていった。



 とは言え、今日は特に騒いで疲れた。

 やはり咲季といると退屈させてもらえない。


「……だから、かもな」


 咲季の相手で精一杯だから。満足してるから。だから恋人が欲しいとか思わないのかも…知れない。


「シスコンかよ」


 自分で思った事に自分で突っ込み、笑う。


 こんな気持ち悪いこと、咲季には絶対言えないな。


 すっかり放置していた漫画を拾い、そんな事を思った。



 ※ ※ ※


 この後、自室に戻った咲季がベッドの上で転がり回って悶え、「不意打ちぃーーー!!」と叫び、秋春から「お前はIKK〇さんか」といじられる事になるのだが、それはまた別の話である。



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