第118話 魔力0の大賢者、急げ!
sideヘンリー
「ヤカライ、大丈夫か?」
「は、はい殿下。私は大丈夫で、あ――」
「ヤカライ!」
マサツという男にやられ、後方に飛ばされたヤカライだったが、鎧に守られていた為か、死に至るような傷は負っていないようだった。
本人の意識もしっかりしている。安堵した僕だったけど、そこへ飛んできた一本の矢――ボルトとも呼ばれる弩専用の太く短い矢だ。それがヤカライの肩に突き刺さっていた。
「貴様! 善くもヤカライを!」
ほくそ笑むマサツに激昂したカレントが詠唱を行う。すると彼女の剣が炎に包まれた。カレントが得意としている魔法剣、それが発動したんだ。
一方ヤカライは気を失っているようだが命までは奪われていない。推測するに矢に麻痺毒でも塗られていたのだろう。あの騎士に投げつけていたのもそうだが、小賢しい連中だよ……。
怒りに満ちた顔でカレントがマサツに向かっていき、その剣を振るった。一見冷静さを失っているようにも思えるが、剣筋は美しく、そして一分の隙もない。
怒っているように見せたのもポーズだろうね。そもそも騎士団の中でもその腕を大きく買われているカレントがこの程度で冷静さを失うわけがない。
その証拠にカレントは振り上げた剣で力任せに切りつけるように見せかけて、その動きを変えている。
フェイントだ。軌道を変え、体を回転させると、刃に纏われた炎が激しさをまし吹き出した。カレントは魔法剣の中でも特に炎を好んで扱う。そしてその強さは何も炎による威力増加なだけではない。
剣に纏われた炎に指向性をもたせ吹き出すことで剣速を上げる。その上彼女はその加速に耐えられるだけの体を作り上げている。
炎が帯となり、彼女の回転に合わせるように弧を描く。美しい剣筋だ。思わず惚れ惚れしてしまう。
加速したカレントの剣を捉えきれるわけもなく、マサツは剣を垂直にして防ぐ他ないようだ。だが、炎を纏った刃は熱く重い、受け止めきれるわけない。いや、例え受け止めたとしても炎を生かした二の剣、三の剣が待っているだけだ。
そう、思ったのだけど――
「そんな――私の魔法剣まで」
「はは、残念でしたねぇ」
カレントの剣がマガツの剣と重なった瞬間、魔法剣の効果がなくなった。つまり炎が消失した。
流石のカレントにも、これには若干の動揺が見られた。炎が消えたその刃を弾き、マガツがカウンターを放つ。
「させるか――
だけど、僕だって何も黙って指を咥えてみていたわけじゃない。詠唱は終わらせていた。翳した手から美しい雷が放たれる。
「おっと、危ない危ない」
だが、マサツは後方に飛び退きつつ、僕の美しい雷を切り裂いた。
「くっ!」
「カレント!」
しかも奴は下がりながらも腕に隠されていた小型の弩で矢を放ってきた。その矢は直撃こそしなかったがカレントの頬を掠り、血の痕を滲ませた。
「だ、大丈夫掠り傷です殿下……」
「何が大丈夫なもんか。女性の顔に傷をつけるなんて、許しがたい大罪!」
勿論彼女だって騎士なのだから、それぐらい覚悟の上なのはわかっているが、それでも僕は許すことが出来ないのさ。
美しさを汚すことはそれだけで罪だからね!
「はは、確かに掠り傷かもしれませんが、それでも毒、意識は保ててもかなり辛いのでは?」
「何?」
「あ、くっ……」
どうやらあのマガツも、矢に毒を仕込んでいたようだ。麻痺毒なのだろうが、掠り傷なので他の騎士のように意識さえも失うことはない。
だけど、思うように体が動かなくなってきているのか、片膝を付き苦しげに呻いた。
「はは、これはいい気味ですねぇ」
「何がおかしい……」
「おかしいですよ。おかしいですとも。マナール王国の騎士団と言えば、精強な兵や騎士が揃っていることで有名で、他国からも一目置かれていると聞き及びますが、それがこの程度とは。先の2人は何も考えず飛び込んできたばかりに、何の力も持たない信徒にしてやられ、影魔法などと大層なことを口にしたそこの騎士も、魔法剣などを扱う女騎士も、私の前では手も足も出ない」
「……随分と好き勝手なことを言ってくれるね」
「ふっ、ちなみに私が一番滑稽だと思っているのは貴方ですよ王子。大事な妹でもある王女を救いに来たのはいいですが、その程度の騎士しか揃えられないとは。尤も、天才と噂されている貴方の魔法でこの程度なのですから、噂ほど大したことはないといったところですか」
随分と舌の回る男だよね。だけど、確かにこのマガツに関して言えば他の連中とは明らかに違う。だが、どうしても気になる。
「流石に僕たちを舐め過ぎだよ。でも、どうにも納得がいかない。お前たち魔狩教団は魔法を扱う人間を憎んでるらしいけど、お前たちだって魔法を使ってるじゃないか」
「……魔法、ですと?」
「そうだ。ヤカライやカレントの魔法を消したあれは、封印魔法か何かなのだろう? それなのに――」
「私たちの業をそんな借り物の力と一緒にするな!」
なんだ? 急に怒りを顕にして、ふぅふぅと随分と息も荒くなっている……。
「……おっと失礼。ついつい興奮してしまいました。私も修行が足りないようです。だが、二度とそんな罰当たりなことを口にしないでもらいますか? そうでないとついうっかり囚われのお姫様を殺してしまうかも知れない」
ぐっ……残った信徒とやらの1人が弩をアリエルに向けた。やはり人質のことを忘れてはいなかったようだね――
「さて、王子はどうにも勘違いされているようですが、私の力は魔法などという怠惰と愚かの象徴のような力とは違います。この世界から魔法を使う愚かな人間や種族を断罪するために神から与えられた神聖な力なのです。そして貴方に一つ良いことを教えてあげましょう。魔狩教団では信徒の上位に階位を授かった神官や司祭がおります。第5位となるのは私のような神官となり、この階位の人間は比較的多いのですが――第5位を含めた階位持ちは全て、あらゆる魔法を切る力程度は授かっているのです」
「な、んだって?」
思わず僕は声を上げて驚いた。それに満足気に笑みを深めるマサツ。
「はは、いいですねその畏怖を覚えた表情。やはりこうでなくては」
そこまであからさまな表情を僕は浮かべていたのか? いや、そうかもしれない。ただ、驚いたのは何も魔法が切れるから、という点だけからではない。
あらゆる魔法を切れる、とこの男が口にしたことに驚きを覚えたんだ。実際魔法を封じ込めたり消したりと言った魔法は存在する。
だが、それは非常に難易度が高く、誰もが扱えるという代物ではない。その上、それらの魔法にしてもあらゆる魔法を封じ込めたり消し去ったりするようなものではないのだ。
もしそれが出来るとするなら、恐らく大賢者以外ありえないと僕は思う。
しかし、それをこの連中は魔法もなしに実現出来るというのだから……。
「で、殿下、どうか、ここは、私たちを置いて、お逃げください……」
「何?」
「今は、殿下自身の身の安全をどうか大事に……ここで貴方が死ぬようなことがあっては……」
カレントが苦しそうな顔で、僕に逃げろと言ってきた。マサツの話を聞き、このままでは全滅してもおかしくないと考えたのかも知れない。
「おやおや、泣かせる話ではありませんか。この国の後の王を守るため、騎士がその命を投げ出す。素晴らしい。確かにここで王子が亡くなるのは王女を失うことよりも遥かに損失が大きい。王女と騎士の命を合計しても、王子の命一つと比べれば遥かに軽い、そういうことですね! いいでしょう! お逃げなさい王子! この者共の命と引換えに、貴方だけは見逃して上げても」
「ふざけるな!」
僕が叫ぶと、聞いているだけで苛立ちを覚えるマサツの演説が途切れ、カレントの肩もビクリと震えた。
「……カレント、2度と僕の前でそのようなことを口にするな。今度言ったら絶対に許さない」
「し、しかし殿下……このままでは」
「――信じろカレント。例えどんな困難な状況にあっても光は正しい道のみを示すのだから」
「くくっ、はっはっは、これは驚きました。まさかこの期に及んで、そのような世迷い言を口にするとは。全く、貴方はどうやら甘すぎるようですね。人の上に立とうとするものが、犠牲を厭わぬ覚悟すら持てぬとは」
「覚悟なら持っているさ――誰も犠牲にしない覚悟をね!」
「殿下……」
マサツはどこか蔑むような様相で僕を見てきた。顔は見えないから気配で察しただけだけど。勿論甘いと言われても仕方ないかもしれない。あるいは犠牲を払うよりも困難な道かもしれない。
だが、一国の王になるというならば、例え困難であっても乗り越えなければいけないことだってある。
「あはは、何も犠牲にしない覚悟ですか。面白い! ならば見せてもらいましょうか? ですが、貴方のような甘ちゃん王子に一体何が出来るというのか? 騎士は動けない。妹は生贄として囚えられているこの状況で」
「なら――先ず妹の脅威を取り除く!
こいつがベラベラと語っている間に、詠唱は完成していた。そして僕が狙うのは。
「お前に魔法が切れても、あいつらは別だ!」
「「な!?」」
そう、僕の狙いは妹を狙う残りの2人。奴らを倒せば、少なくとも妹の危険はなくなる!
「甘いですよ」
「な……」
だが、信徒の上空に出来た雷雲は、マサツの投げた剣によって掻き消された。こいつ、投げた剣でも魔法が切れるのか――
「残念でしたねぇ。甘っちょろい理想しか語れない脳内お花畑の王子様の考えることぐらい、お見通しなのですよ」
「そうかな!」
だけど、それだけでは終わらない。前もって完成させていた魔法は2種類。そのもう1つは――
雷を纏った脚力があれば瞬時にマサツを倒し、残りの信徒も蹴り倒せる!
「折角の武器を投げたのは失敗だったね!」
そう、この男は武器がなければ魔法は切れないはず。つまり、僕の纏ってる雷はもう切れな――
「誰が私の武器は1本だと言いましたか?」
「あ――」
だが、甘かった。マサツはもう1本剣を隠し持っていた。気がつくべきだった。あのサイズなら確かに2本持ちの可能性もあった筈だ。
放った僕の蹴りに添えるように、マサツの剣が重なった。それだけで十分だったのだろう。纏っていた雷は消え失せそして空いた方の手が固く握りしめられ僕の顔面を捉えた。
大きく吹き飛ばされ、背中を強く打った。気づくべきだった。確かに魔法を切るのも驚異的だが、マサツはヤカライの影にも、カレントの魔法剣の剣筋にも、僕の雷にだって対処していた。
つまり、元の身体能力も相当に高いということだ。だから、拳1つとっても僕を吹き飛ばせるほど強い。
「ははは、残念でしたねぇ王子。色々と悪あがきをしてくれたようですが、そのどれもが私の前では無力! 無力無力無力! そう所詮人間が神を誑かし得た、まがい物の力など、この程度の代物でしかないのです!」
邪悪な笑みを浮かべ、マサツが僕たちを見下ろしてくる。くそ、偉そうなことを言っておきながら、僕は、ここまでなのか?
僕は、僕はどうなったっていい、でもせめて、皆や、妹の命だけは――
「貴方、こう思ってますね? 自分はどうなっても構わないから、他の皆の命は救いたいと?」
「な、なぜ……」
「わかりますよ。お前のような甘ちゃんの考えなど。全く、反吐がでる。えぇ、えぇ、それならいいでしょう。貴方の必死な願いとは逆に、王子、お前の目の前で、先ずはあのお可愛らしい妹を殺して差し上げますよ。しかも私自らではなく、私よりずっと下の信徒の手でね。どうですか? 貴方ほどの力があれば、恐らく問題にならない者共に、何も出来ず、殺される姿を黙ってみているしかない今の気持ちは?」
「くっ、や、やめろ!」
残った信徒の2人が、剣を振りかざして妹の横に立つ。アリエルは目を瞑り、必死に恐怖に堪えているようだけど、このままじゃ――
「残念やめません。さぁお前たち、今こそ神に仇なす人間どもに断罪を! その姫を殺すのです!」
このままでは、アリエルが、だが、詠唱する時間がない、飛び出そうにも、さっきの一撃が足に来ていて思うように、くそ! 動け! 動け!
「無駄ですよ。お前には何も出来ない。何も救えない。犠牲にしない覚悟? そんなもの何の意味もない! まさに今お前の目の前で、妹が犠牲になるのだか――」
――ヒュンッ!
「は? え、今のは?」
その時だった――一陣の風が、僕やマサツの横を通り過ぎていき、そして今まさに妹に凶刃を振り下ろそうとしていた2人の信徒が吹き飛び、水路の左右の壁に叩きつけられ、めり込んだ。
十字架に磔にされたアリエルの前に1人の少年が立つ。とても小さな体をしているのに、とても大きな背中に感じられる、友!
「――良かった、間に合ったみたいだね」
はは、そうさ、光はいつだって正しい道しか示さない。ファンファン、お前に託して良かった。そして信じていたよ――大賢者マゼル!
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