22/11/30 九章のプロット=賽の河原システム(※ネタバレ注意)

 ホント、プロット作成とは、賽の河原みたいなモンだな、と思います。

 積み上げて積み上げて──でも、ある根本的な欠陥が見つかって、積み上げたものが全部崩されて、また最初っから積み上げる。

 もうマジ賽の河原じゃん……頭の中だけでプロット組める人、凄いなぁ……


 私なんぞ、体力も気力もあんまりないから、プロット組む時

「これが後から崩されないようにしないと……慎重に、慎重に」

 とか思うのに。

 でも結局後から崩れるんだけどね!! ははっ!!!


 さて、前回の続き。

(ちょっと待ってね。前回の見直してくる)


 アレや。味方に引き入れるヤツが、どう人身売買組織と絡んでいるのか、だ。

 あー。

 そうか。

 ここらでちょっと、味方に引き入れるヤツの良い所とか、チラ見せした方がいいかもな。ま、「それで今までの無礼が全部帳消しになると思ったら大間違いだぞ」って感じだけどさ。


 でもまずは、小さな積み重ねなので、沢山の案を考えてみよう。

 関わり方①

 人身売買組織を潰すために調査していた

 関わり方②

 人身売買組織に大切な人を売り飛ばされてしまい、恨んでた

 関わり方③

 人身売買にオークション参加していて、落札した事があるor落札したいと思っていた

 関わり方④

 人身売買組織の運営の一人


 ③と④は最低ですね。

 ただ、例外的に、「そうせざるを得なかった」という状況はあるのかもしれない


 しかも、「味方にするヤツが人身売買組織となんらかのかかわりがある」だけだと、なんかちょっと、取って付けたような理由くさくなるから、人身売買組織を出すとしたら、もう少し複雑なかかわり方の方がいいような気がする。


 RPGのように、行った先の街で、なんでか知らんが突然、初めましての人に重い依頼をお願いされて、何故か「うん」を頷いて事件を片付ける主人公

 とかって、冷静に考えて、変だからね。

 RPGはそれがお約束だけど、普通に考えたら、ありえないからね。

「そんな重い依頼、今会ったばっかのヤツにお願いする普通!?」

 っていつも思うよ。ま、RPGだから普通にこなすけど。


 だから、味方にしたいヤツ以外にも、何か関連がないといけない。

 RPGだと、その事件を解決しないと、先に進めない、的な、ね。


 じゃあ、それがどんなものなのかを考えよう。

 そうだな、今回は、人身売買イベントを中心に考えてみよう。

 ……なんか、中心に据え置くには酷く重い物だけど……


 あー。なんかもう、酷く気持ちが重い……

 人身売買となると、絶対に避けて通れないのが奴隷売買の歴史だから。

 調べるの嫌だなぁ……こっちがダメージ食らうから……


 奴隷売買で有名なのはアメリカの歴史だけど、勿論、奴隷売買をしていたのはアメリカだけじゃない。

 日本だって例外じゃない。

 昔は医療の未発達&技術革新前なので、人=労働力であり、使える人の数が多い=金持ち、という事だった。労働者として雇うのではなく、所有物として所有する。所有しているので、生きて働ければそれでいい。壊れたら、また購入するだけ。お金さえあれば、無尽蔵に人を購入できる。最低コストで最大限の労働力を得る、というのが普通だった。人攫い・人買い等は普通に存在する職業だったみたいだし。

 ああ、ほら、気持ちが沈んでいく……

 それが当たり前の時代が、あったんだよ……それを思うと、今は幸せな時代だ。

 農村でも普通にあった事だし、花魁を始めとする花街の文化の方が日本では有名かな。


 奴隷といわれれば黒人の人たちが代表だけど、勿論奴隷にされたのは黒人さんたちだけじゃない。基本「異教徒」と「別の国の人間」、そして「貧乏な地域」「遊牧民」等々、基本、土着の特権に生きる人間(貴族・金持ち)以外は全て奴隷になりえた。

 奴隷売買が禁止されたのは19世紀に入ってからだ。100年かそこらしかまだ経ってない……

 ま、その代わりに人ではなく地域ごと植民地化する方向になっただけで、本質的な部分は今だに根強く残ってる。

 日本だってそうだし。日本だって、大陸から人を買っていた事実があるみたいだし。

 気持ちが……重い……


 アカン、これ、ネタとして使うの、やめようかな……

 宗教と一緒で、コレ、ちょっと、手を出すにはヤバい系だ。


 ああ、でも……


 人身売買と奴隷売買は切っても切り離せないけれど──今回やりたいのは、奴隷売買ではなく人身売買。

 基本「人は売り買いしてはならない」というルールがあると前提にした上にある、「人身売買」の方。

 未だにアングラで存在していると噂の、方です。

 あー。

 ふー。

 いやー。

 それでもなぁ。

 ……ここに手を出すの、勇気がいる。

 他の人たちは、よく簡単に気軽に奴隷売買・人身売買のネタに手を出せるな……みんな、別にそんなに気軽に手を出してるワケじゃないのかな……分からない。


 ……過去、それが身近な場所で行われていた事実は、目を背けても変わらない。

 それを、乙女ゲーム・なんちゃって近世に置き換えて、どう、消化・昇華するか……


 深く突っ込みたくない。

 でも、上澄みだけでは本質が見えない。

 本質が見えないと、エンタメとしても説得力が生まれない。つまり、面白くならない。

 エンタメ昇華するとしても、ちゃんと暗い部分が見えている状態で、それを消化した状態でエンタメ化しなければ、フニャフニャなものになってしまう。


 葛藤が凄い。

 葛藤が凄いよ。

 なんで私はライトな育児無双作品を書いていたハズなのに、こんなに暗い気持ちを抱えているんだ……


 ──いけない。

 テーマからズレてる。重い話題だから、思わずそっちに引っ張られてしまった。

 私がこの物語で表現したいのは「人を売買しちゃダメだZO★」じゃない。

 確かにそっちも大切だけど、そうじゃない。

 基本、そこは現代の人間たちは、表面的には理解してる。

 違う、そうじゃない。そっちじゃない。


 表面的には理解している筈の「誰しもが同じ場所に立っている」について、感覚的に理解しきれず結局、人間に上下を持たせてしまっている部分について、文字として表現したいんだよ。

 一言では表しきれないもの、それを、エンタメとして昇華させたい。

 私の「ザマァ」の基本は、そこにあるから。


 私の中にもある

『ナチュラルに他人事』

 コレだ。

 そうだ。

 そうだった。


 確かに「自分の価値は自分で決める」これも大切で、思ってた。

 でも違う。

 もっと深い所に、もっと本質的で根本的な部分について、私はずっと、どう文字にすべきかを考えてた。

 説教臭いものではなく、エンタメに昇華できないか、と。

 キングスマンで、暗に資本・階級主義を皮肉っていたように。


『ナチュラルに他人事』

 なので、他人について、自分は安全圏から──そして恵まれた地位──上から、評価を下す。

 それに反証する「自分の価値は自分で決める」だけど、それはその面の一つの結論でしかなく、私がここ数年ずっとモヤモヤし続けていた事の答えではない。


 本人の努力が足りない。


 個人主義の行き過ぎた思想。

 本来、努力ができる環境にいられた事が、既に恵まれてるんだよ。

 さっきの奴隷売買にも通じるけれど。

「金持ちの家に生まれた」

「愛される家に生まれた」

「健康に生まれた」

「必要とされる性別で生まれた」

 これは、本人の努力ではどうしようもない事。


 五章でも書いたけど

「努力できる場所と性別に生まれた事自体が、ラッキーだった」

 これだ。これだよ。これの筈。


 今現時点で──特にSNSの世界では顕著だけど

『全ては自己責任』

 ってヤツ。

 アレ苦手な考え方。

 私は好きで弱い身体に生まれてねぇわ。

 努力ではどうしようもない事もあんだよ。私が何の努力もせずに生活して身体が弱いままだとでも?


 ワンピースでも、ちょびっと語られていたね。

「貴族に生まれてくれば良かったのに、馬鹿ね」

 というセリフ。

 それ、それだよソレ。

 私だって健康に生まれてきたかったわ!


 ああ、なんか、突然渦巻いてきた気持ちや言葉で、なんか頭の中がグッチャグチャなんだけど。

 なんだっけ、さっき珈琲淹れてる間、浮いてきた言葉。

 なんだっけ、忘れちゃったよ。

 ええと、ええと。なんか、結構良かったから、少し違うかもしれないけど、メモしておきたかったのに。

 ええと、ええと……

 ……忘れた……


 忘れちゃったからには、もう仕方がない。

 それはいいとして。


 この世界は──特に日本は、健康で普通の生活が送れる人には、比較的不自由がなく、むしろかなり便利に生きられるようになってる。

 でも一つ何かダメになっただけで、その生活は簡単に崩れ去る。

 しかも。

 何が嫌って。

 それで「これは不便だ! 理不尽だ!」と叫ぼうとすると

「贅沢言ってんじゃねぇよ」

「被害者は被害者ヅラしてろ。笑うな」

「幸せそうにすんな」

「恩情で生きてるんだから求めるな」

 的な事が、さも正論みたいに叫ばれてる事。

 なんで「より幸せに」と発言してはいけないのだろうか?


 更にさらに。

 私はそれを見ていて、そして自分にも浮いた気持ちを見て、ちょっと考えた。


 人は、自分と比較して、他人を相対的にしか判断できない。

 そして、他人を相対的に判断しようとした時、その人となりが分からない時は、基本「まず自分と同じ位置にいる」という前提のもと、考え始める。


 簡単な例を出そう。


 電車である、女性専用車両。

 これを「女尊男卑」だという声がある。

 違う、違うんだよ。

 男性は、普通車両に乗ってて、普通に毎日痴漢に遭わんやろ? 恒久的に酔っ払いに絡まれたりしないだろ? 自分より身体が筋肉質な人間に、ギュウギュウに圧縮されてないだろ?

 健康な男性は普段被らない、毎日の不便・不満を解消する為に生まれたのが「女性専用車両」なんだよ。

「女性を特別扱いしてる」

 んじゃない。

「不便を強いられていた人たちに、不便を解消する為に用意したもの」

 なんだよ。

 それは特別扱いとは言わない。

 しかも。

 これの文句を、何故か女性に言う人がいるね。

 待て待て。

 女性専用車両を用意したのは、女性じゃない。女性たちは声をあげただけだ。

 実際にそれを用意したのは、JRとかそういった会社だ。

 会社に文句を言いなさい。


 更に、これが転じて

「じゃあ、普通車両に乗ってる女性は、圧縮されたいし、痴漢されたいのか」

 って意見ね。

 認知が歪みすぎてて怖いよ。大丈夫? 生きにくくない??

 だからそれ、完全に加害者目線なんだって。なんで初期値デフォルトが加害者なの。怖いよ。

「女なら特別に用意された女性専用車両に乗れ。それ以外は許さん」

 的な意見もね。

 ただ、「どうぞ」と用意されたものなのに、それを使えと何故強要する?

 何故選択肢を持たせない?

 何故選択する事を許さない?

「女性は弱いんだろ。じゃあ弱いやつらで固まってろ」

 的なものもね。

 どうして、そっちに行っちゃうんだ。

 どうしてだ。

 なんでみんなで気持ちよく使う方向にいかない?


 なぜ、他人が親切にされている姿を見ると、

 これは自分にもある感情なのだけれど。


 それは、相手が自分と同じ立ち位置だという前提の考えのもと

 相手が何かプラスの事があると、相対的に、自分より得をしているように見えるからなんだよね。

 だから頑張って、相手を自分より相対的に貶めようと躍起になる。


「みんなで幸せになろう」


 という言葉を聞くと、そういう人たちは、何故か、自分は動かず、誰かが自分を幸せにしてくれるのを、ひたすら待とうとする。

 自分からは動かない。


 違う。

「みんなで幸せになろう」

 は

「みんなで幸せになろう」

 だ。


 それを、なんやかんや積み重ねていって、最終的な主人公の叫びが

「自分の価値は自分で決める。勝手に決めんなやボケェ」

 だ。


 上記で考えている事を、この言葉は少しズレているようにも思う。

 でも、繋がってる。

 繋がってると、私は感じてる。

 それを、分かりやすく繋がるよう、そして面白くするのが、私が作品に込めたいものだ。


 ああダメだ。

 今、浮いてきた考えとか感情とか、ネタとか資料とか、色々なもので頭ん中がグッチャグチャでございます。

 少し、整理しよう。


 長くなった!

 また説教臭い中身だな……

 整理しろ、整理だ。頑張れ自分。


 って事で、今回はここまで。

 続きは次回。

 それではね!!

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