22/05/05~06 ヴィラン等について考える、他。(※ネタバレ注意

 こどもの日ィ!

 中年下り坂にとってはただの祝日ゥ!

 ありがとう祝日ゥ!!


 さて、続きを考えるよ。

 今までプロットを考えてて、今が一番楽しい。

 魅力的なヴィランを考える。しかも、好きなタイプのキャラで。

 楽しいィ!


 やっぱり女の子にしようかな。

 女の子で考えよう。

 可愛い子がいい。おおよそ、笑顔で人を殺すようには見えない子。だから、最初は敵だと思えないの。味方だと思える感じ。

 それがイイ。

 誘拐されて、初めて気づくって感じで。

 ああ、主人公の顔に傷をつけて欲しいなぁ。

 熊ですらつけられなかった傷を、つけられて欲しい……


 ──なんか、変な嗜好を全開にしてて、今までついてきてくださった読者さん全員ドン引きさせそうだよ。

 求められてるか? そんな話。

 うーん、まぁ、話の流れ的に、そうなりそうならそれを入れようか。


 ザマァの大体の雰囲気は分かった。

 相手は味方に引き入れようとしていた弟伯爵。こちらに全力で寄りかかって来ようとしたから、主人公は跳ね除けた。

 そんな余裕はねぇ、と。

 自分の力で立とうと四苦八苦している人間には手を貸すけど、全力でおぶさる気満々な健康な人間には、きっと主人公は容赦しない。


 勿論、弱者には手助けが必要だと理解してるけど、主人公から見ると弟伯爵は弱者に見えないんだろうな。

 強い力を持ってる癖に、自分の労力を惜しんで、周りにアレコレしてもらう事をナチュラルに期待する人間なんだ。

 きっと、主人公はそういう人間が嫌いなんだろうな。


 で、天敵とのバトル。

 辛勝で、なんとか撃退って感じかな。

 あーでも、ちゃんと倒せる相手も欲しいな。倒す人間も必要だ。

 エージェントオブカーターもそうだった。

 敵は二人いて、ムカつくジジイと、ロシアのスパイ美女。ジジイは倒せたんだけど、美女の方は倒した後姿を消しちゃうの。

 今は脅威は去ったけど、これからも、どこかに出てくるんだろうなって、想像させる終わり方だった。

 あー。という事は。ぶっ倒してスッキリする人間も必要だな。


 ぶっ倒す敵は、魅力的じゃなくていい。ただ、ムカつくヤツでいて欲しい。

 オッサンやな。オッサンや。ムカつくオッサンを、ぶん殴りたい。

 ただ、そのオッサンにも強さは必要。どんな強さがイイかな。そして、どうやって倒そうかな。


 ムカつくオッサン、ムカつくオッサン、ムカつくオッサン……

 弟伯爵もムカつくオッサンやな。キャラ被る。どうしたもんか。

 弟伯爵は、拗ねてるオッサン。人生が上手くいかない事について、周りに八つ当たりしているようなヤツね。

 あーでも、あんまり年齢いってると、読者さんも『コイツもうどうでも良くね? 面倒臭いし』って見放しちゃうかも。

 少し年齢を若返らせるか。30代後半か40代前半ぐらい。まだ、まだチャンスはあるって、思えるぐらいの年齢で。


 で、敵として出てくるムカつくオッサンはどうしようかな。

 敵女暗殺者のバディなんだけど、お互い信頼してる、なんて事はなく。仕事としてバディを組んでるだけってのがいいな。だから、最後の最後には見捨てられちゃう系。

 どんなムカつくオッサンがいいかなぁ。


 ヘイトを溜めたい。かなり溜めたい。

 だから、陳腐な雑魚キャラっぽくはしたくない。なんか、ちょっと大物っぽい空気が欲しいなぁ。

 強敵っぽい、なんか特別な力が欲しいなぁ。エージェントオブカーターでは、人を操る能力に長けていて、言葉で人に暗示をかけ、操る事ができる人間だった。そう言うキャラ、他の海外ドラマでも見たことあるな。当初は被害者とか狙われる人に見せかけられていて、本当は犯人だった、的な。


 ……孤児を集めて犯罪をさせていたり、女の子を売ったりしてる人、とかにしようかな。

 最初は、孤児に優しくしてくれる人、みたいに見せかけられて。

 いや、でも、孤児院的な場所を悪く表現するのは嫌なんだよなぁ。

 悪くない孤児院的なものも出すか? 善意の人も出したい。んで、主人公たちが運営する孤児院の運営に関わるようにさせたりとかね。


 なんか、段々と、今までバラバラに考えていた事が、繋がっていくように感じるね。


 ***


 ここで日をまたぎました。

 昨日はプロットの方に集中できなくって、プロット作成は途中で休んで、ずっと書籍化の表紙の絵を四苦八苦していました。


 絵、結局自分で描く事を選択したんですが、選択したはいいけど自分の画力のなさに絶望し。でも、結局自分の脳内イメージを上手く出力できるのは自分だけなので、なんとか頑張っています。


 で、それはいいんだよ。


 その合間に、ネットの記事を色々読み漁っていて。

 気になる事が出て来てしまった。

 先にメモ代わりに記載しておくね。


 ① ろう者について

 ② 『女の幸せ』って


 まず、①について。

 映画『コーダ』がアカデミー賞を取りましたね。役者さんの多くが実際にもろう者だそうで。

 私は、昔見た海外ドラマで、ろうの女性弁護士が活躍するヤツを見た事があって、凄いなって思った事を思い出しました。

 また、クリミナルマインドにもろう者の殺人者が出て来て、その悲しい背景に心を痛めたりしたり。他の海外ドラマでも、時々出てくるろう者の話。

 これ、私改めて今知ったんですが。

 クリミナルマインドでろう者の殺人鬼を演じた俳優さん、コーダで助演男優賞とったんだけど、ろう者だったんだね。知らなかった。前に『この役者さん凄い! 好き!!』と思ってwikiを見た事があったんだけど、wikiにもそんな事書いていなかった。


 それで思った。

 私の身の回りには、完全に聞こえないor難聴の人はいないんだけど、片耳が聞こえないという人が、三人いた。

 そして、私も今、メニエール病による突発的な難聴に日々苦労している。どんどん右耳の聴力が低下していってるので、将来右耳に補聴器が必要となるのは必須。

 そして。

 仕事の絡みで、ろう学校と少し接した事がある。

 バスや電車の中で、手話で話している人もよく見かける。


『耳が聞こえない』『聞こえにくい』という事は、本当はとっても身近な事で、むしろ普通に存在しているのに、何故という事に、疑問をもった。


 ろう学校で話を聞いた時、ろう学校に通う子たちは、バイリンガルになるようにしている、という言葉を聞いた。最初違和感を感じたので、バイリンガルとはどういう事か? と尋ねた事がある。

 ろう学校の先生が教えてくれた。

 本当の『手話』は日本語とは違う、まったく別の言語だそうだ。

 音声の代わりに、手、腕、顔等の身振りを使った言語だそうで。

 ろう者がコロナ禍でマスクが邪魔なのはそのせいだ。顔も言語の構成要素の一つで、私たち聞こえる人にとったら、例えば『あ行を使わず話せ』と言われているようなもんだったのだろうな。

 日本語を音から手話に変換する手話もあるけど、メインで使うのはそっちではないそうだ。日本語を音から手話に変換する手話は、物の名前とかを表現する時に使うそう。


 それを聞いた時、私は衝撃を受けた。

 手話はてっきり日本語だと思っていたから。実は、そうじゃなかった。手話は手話で、まったく別の言語だった。

 つまり日本には、基本言語として、『日本語』と『日本人が使う手話』の2種類が存在していた。


 そんな事も知らなかった。

 身近なのに、全然知らなかった。

 浅く調べた結果、生活に支障がある程の人が、大体人口の1割ぐらいか。10人中1人。100人いたら10人。日本の人口1億2千万人中だと、1千2百万人だよ。


 どうして、私にはそれが見えていなかったんだろうか。

 それが、気になった。


 もう一つは

 ② 女の幸せ

 これは、ネットで見かけた言葉だった。

 そこで気になったので、検索してみた。

 まずは『女の幸せ』

 沢山出てきた。そして、そこでよく出てくる『結婚する事』『子供を産む事』、昔そうだと言われていたが、現在は違うだろう、という記事がわんさか出てきた。


 なので逆に

『男の幸せ』

 これで検索してみた。

 面白い程、『男の幸せとは××である』と書かれり、それに反証するような記事は出てこなかった。

 基本、女性と比較した話や、国勢調査の結果とか、そんなのばっかり。


 何故、片方の言葉しかよく使われないのだろうか?

 調べていくウチに、それがとっても不思議だった。

 性別で区切る『女の幸せ』が本当に存在するのであれば、当然『男の幸せ』もあるハズだ。なのに、何故その言葉は使われないのだろうか? 何故、そこを誰も意識しないのだろうか?

 男の幸せ──というより、男性として生きる人間にも、『幸せ』は必要不可欠だと思うのに、何故そこについて誰も話さないのだろうか? 幸せになりたくないのか、幸せになるべきではないという考え方があるのか。

『男は幸せになるべきではない、誰かを幸せにすべきである』

 という、誰か特殊性癖が世間に浸透してしまったんじゃないかと感じた。

『男の生きにくさ』は、そこにあるんじゃないだろうか、と思ったよ。


 こういう話も作品に盛り込みたいなって思った。

 重ねて言うけれど、私は社会派な作品を書きたいワケじゃない。あくまで娯楽作品。読んで楽しい、スカッとする、読み終わった時に『面白かった!』って笑顔になるような作品が書きたい。


 じゃあ、なんで何かしら世間で気になった事を盛り込んでいるかっていうと。


 誰しもが、大なり小なり『どうしようもない生きにくさ』を感じてて、それを腹に抱えて生きてると思ってる。私がそうだし。もしかしたら、私が思っている程、世間一般では悩みを抱えていないのかもしれないけれど。だから世間一般では『健康ではない』事が想定されていないのだろうなって、薄々感じてきてはいるんだけれど。


 まぁそれはいいとして。

 その『生きにくさ』を、言語化する事によって、『アハ体験』を提供できないか、と思って、私は作品にそういう話を込めている。


 作中でも繰り返し言ってる。子供たちにも、夫にも。

『言語化しろ』

 って。

 日本って、とっても言語豊かで様々な事柄──四季どころか、微妙な季節の違いを表す言葉も沢山ある国なのに、複雑な感情を言い表せる言葉でもあるし、オノマトペも物凄く多彩だし、何よりビックリ、無音を意味する『シーン』という言葉すら存在する。

 なのに、個人の感情を言語化する事や、それを他人に伝える事は、あまり広がっていない。

 感情は表に出すべきではない、表現すべきではない、不言実行を美徳とする文化。

 感情的になる必要はないだけで、感情は言語化した方がいいのに、なぜか言語化する事すら憚れるようになってしまっているのだろうか?

 存在する言葉が多彩って事は、感情豊かで表現力豊かなハズなのに。

 なぜか、それを表に出す事が憚られるようになった。恥ずかしいとさえされてる。

 なんで?


 TwitterやSNSの隆盛を見る限り、日本人は言語化する事が特に好きな文化圏だと思うのに、なぜか、それをしない。

 武士は食わねど高楊枝。

 本来は、それほど気位を高く持て、という意味だったハズなのに、文字通り『腹減ったと言わない事自体が良い事だ』みたいな、時代を経て歪んでしまっているような気がしてならない事が沢山ある。


 私は、身近にあるけど見えない出来事を、言語化していきたい。

 そして、それが言語化されたものを見て、『そうだよ! それ!』という『アハ体験』をしてもらいたいのが、作品に込めたい事。

 何より、自分がそういう話を読みたいんだよね。

 普段モヤモヤしている事について、『なるほど! そういう事か!』と、目から鱗が落ちる体験をしたい。


 作品に盛り込めるかどうかは分からないけれど、

 ① ろう者について

 ② 女の幸せ、男の幸せとは

 あとは、前にちらっと触れたディスレクシアについて

 これらには、どこかで触れたい。


 でも……ろう者やディスレクシアについて、私が知ってる事が少なすぎて、間違った印象を与えそうで、下手に取り上げられない……でも、『見える化』したい。透明化されたそれらを、自分にも関わる話だとしてアハ体験したい。


 どうしたもんか……


 ──あ!!

 なんか真面目に語っちゃった!!

 ガラに合わない!!

 娯楽作品だよ娯楽作品!! 何よりも楽しく読める作品を書きたい!!

 どんな話にすべきか。


 改めて考えていこうぜ!!

 それは次のエピソードでね。

 半分近く、プロットと関係ない事かいちゃったよ……

 ま、いっか。


 それではね!!

 以上!

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