22/01/16② 小説の表現。数値と単位の話。
ここで一つ。
創作自論を語っちゃうよ。
突然横道逸れます。
すんません。
Twitterで話題になってたので、そっちでちょびっと書いたけれど。
現代モノではない場合、私は数値や単位を出来るだけ書きません。
濁します。
理由は簡単。
整合性を取るのが大変になるから。
後でその具体的数値表現が、自分の首を絞める事があるからだよー。
それに。
それが本編に直接絡まないのであれば、無駄表現だから。
だって、具体的数値を出してしまうと、書いた自分は勿論だけど、読者の方にも、それを覚えておく事を強要してしまうから。
脳コストを、本筋とは関係ない所に使わせてしまうと、没入感が薄れるんだよー。
だから、数値や単位は出しません。
出さざるを得ない時も、出来るだけ濁します。
主人公の年齢すら、出してないのはそれが影響してるんだ。
主人公の年齢を明言していない理由は前に書いた筈なので割愛ね。
でね。
実は、他にも出してないのがあるんだ。
一年の月数と日数、そして時間。
気づいてる人いるかなぁ。
作中では、季節でしか表現していません。
第一章:冬の終わり
第二章:春
第三章:初夏
第四章:夏
第五章:秋
第六章:冬
第七章:冬の終わり
第八章:春
過去の事を思い出す時も、『三ヶ月前』とかにせず『秋の頃』としか書きません。
時間も同じ。
具体的に『三時間後』とか書きません。
『数時間』としてます。可能なら、半日後、とかね。時間を表したい時は、午前午後、お昼、昼過ぎ、夕方前、夜半、深夜、などなど。
日本語はここら辺、時間をある程度示しやすい言葉がたくさんあるから助かるね。
ただ、会話の部分でどうしても明言しないといけない場合とかは使ってるよ。
だって、具体的な時間を濁さないと、『そんな短時間にこんなに沢山の事出来ません』『説明する時間取ってる?』って疑問湧くでしょ?
疑問を浮かばせず『ああ、可能なのかもなぁ』と思わせる為だよ。
あと。
例えば大きさとかね。
主人公の身長は、女性としたら比較的高いとしています。
でも、具体的な値は出してません。
『背が高い』と、他人に言わせています。
それでなんとなーく、イメージできるでしょ?
それでいいんですわ。
ここで大切なのは、主人公の身長がいくつか、なのではなく、『女性にしては高い方』という事だけなので。
ちなみに、大柄である獅子伯のことを表現した時は。
『一人だけ遠近法ガン無視』と書きました。
そもそも、時代と場所によって身長の平均値変わるから。
いちいち調べるの面倒くさいじゃん。
Twitterで話題になっていたのは、お金・貨幣の価値の話でしたね。
Twitterでは『自分も具体的数値は出さない。その世界の価値基準と比較する』としてる人も居ましたね。
例えば、金貨一枚で○○がいくつ買えるのか、とか。
私はそこすら省きます。
金貨、という貨幣すら出しません、ハイ。
だって、下手に『金貨』って出しちゃうと、
・その世界では金の価値が高いのか?
・高いとしたらどれぐらいなのか?
・比較対象として出されているモノは、その世界では手軽なのか? 入手困難なのか?
・金貨より上はあるのか? 下は?
・その金貨は世界共通? 国? それとももっと小さな単位で有効?
・だとしたら鋳造方法は? 質の担保はどうやって?
とかなっちゃうから。
今まで価値について表現したのは、カラマンリス邸にある本の価値、そして主人公のお小遣いぐらいかな。
本の方は
『ここにある丁寧な箔押し装飾の本一冊売っただけでも、ウチの家族が一冬余裕で越せんじゃね?』
お小遣いは
『最初『お小遣い』つってんのに頭オカシイ金額を提示されたので、丁寧に辞して、貯めればそれなりのものを買える金額にしてもらった』
本の方は、カラマンリス侯爵家と主人公の実家の財政状況を比較するためだけに必要だったから、アレで充分。
お小遣いの方は、主人公があまり自由にできるポケットマネーはないけど、まぁそれなりにはあるから、ある程度は動けるよ、という事を意味したかっただけ。
なので、実はこの世界の貨幣の種類や、通貨単位すら出してません。紙幣があるのかも不明。ま、あるだろうけどね。
何の気ない会話で出そうになったら、出ないようその言葉をぶった斬って後を濁したり、その会話だけモノローグにしたりして回避します。
だって、ソレって作品の本筋に無関係だからー。
もし、大金を貰ったとしたら、
『物凄い大金もらった。これで暫くの生活は困らないどころか、ちょっと余裕持って生活できるね。でも、これ持ったまま道を歩いたら、すれ違う人がみんな盗人に感じるわ。持ち歩きたくない……』
とかって表現するよ。
人によっては、その金額は違うだろうね。
10万の人もいれば、100万かも。1000万の人もいるかもね。
でも、話的に大切なのは『大金を貰った』ってトコだけでしょ?
なら、上記で充分だと私は思ってます。
私は、作品で必要なのは、読者さんとの共通認識が取れる事、勘違いを生まない事だと思ってます。
下手に『金貨』と出すと、逆に実世界でも存在しているモノなので、人によってそこに感じる価値が変わるんですよ。
江戸時代の小判をイメージする人もいれば、ヨーロッパ中世の金貨をイメージする人もいる。勿論、金貨は時代によって質が変わるので、価値が変わる。
金貨は一枚=○○がいくつ買える、もそう。
金貨の価値を○○何個分に置き換えたとして、じゃあその○○一個分はどんな価値なのか? その説明が必要になっちゃうでしょ?
なら
『もっすごい大金』
でいいんです。
だって、大金の金額がメインではなく、大金を貰った事が重要なんでしょ?
ならそれでいいじゃん。
具体的な数値や物の価値は、揺るぎない表現だと勘違いされがちですが。
実は人によって感じ方は千差万別。
自分にとっては揺るがない表現だと思っても、実は人によって違う。
何故なら、人は主観的な物の見方しか出来ないから。主観とは自分基準であり、そもそも十人十色、そして時代と場所と心情によって変わる脆弱な物差しなんですよね。
物事には絶対評価はないんです。
なら使わない方が無難なんですよ。
(あとコレは、ディスりとかではなく、私としては、なんですが)
例えば巨人の大きさを表現する時に『樫の木三本分』と書く、とおっしゃっている方がいらっしゃいましたが……
樫の木の高さって、物によらない?
というか、私は樫の木の平均的な高さがそもそも分からなかったのでググったよ。
wiki見たら、10〜20mになる
人の入らない山の中なら20mは超えるだろうけど、人里のすぐそばで、手入れがされる木なら無駄に馬鹿でかくならないよう剪定されて10mかそれ以下程度じゃないのかな。
で、その一本分のそもそもの基準サイズはどっち? って、なっちゃうよ。
そもそもね。
人間の方の大きさも必要になるよ。
異世界だとしたら、人間は樫の木何分の一ぐらいの大きさなのかな。
特に記載がないなら、現実世界の人間の大きさに合わせるけど……
それで大丈夫なのか、頭の片隅には残りそう。
だから私なら……
『その巨人なら、その掌の一振りで、私を簡単に満遍なく平たく
かな。
掌でそんだけデカいなら、身体はもっと大きいだろうってイメージできるよね。
……相当デカいな。
もう少し小さいんなら。
『道端の花を手折るように簡単に、私の体を半分にポキリと折れるだろう』
かな。
ここで大切なのって、多分、巨人の大きさじゃなくて、それが登場キャラにとってどれぐらい脅威なのか、だよね。
だとしたら脅威の方をイメージさせた方がいいと私は思います。
その方が緊張感も伝わるでしょ。
説明に時間をかけると『余裕あんな』って思われてしまう事もあるから。
私が言う『余計なことを入れない』はソレ。
小説は娯楽作品ですわ。
娯楽作品とは、人の感情を動かす為のもの。
人の感情を動かしたいのなら、必要なのは物の写実的説明ではなく、ソレが登場キャラにとってどんな感情を与えたのか、ですよ。
だとしたら、必要なのは、大きさの説明ではなく、キャラにとって恐怖を感じたか否か、恐怖だとしたら、どれぐらいの恐怖なのか、だと思うんですよ。
私の作品を読んだ時、読んだ人によっては『こんな文章、自分にも書けるレベルの簡単な文だ』って思う方もいるかと思います。
それ、わざとです。
意図してます。
そこを目指しています。
コメディは特に、簡単にリズム良く読めなきゃダメなんですわ。
簡単に読める
とは
勘違いさせない
や
分かりにくい表現がない
とか
伝わりやすい
そして
一回読めば意味がわかってイメージ出来る
なのですね。
でも、そう書くには『どう書けば勘違いさせないか』『分かりやすいか』『読んだらどう感じるのか』を常に考えながら書いています。
恐怖を与えたいなら、恐怖を感じるように。
笑わせたいなら、笑えるように。
簡単に読める文章は、簡単には書けないのです。
私が、数値や単位を出さないのは、
全て
簡単に読めるようにする為、です。
イメージしやすくする為。
そのイメージは、読者さん一人一人の物を擦り合わせようと思ったら、きっと合わないでしょう。
だって、具体的に書いてる、比較となるモノがないので。
でも、それでいいんですよ。
学生にとっての10万円と、経営者にとっての10万円の重さが違うように。
『美人』と書いたときに。
人によっては日本美人、人によってはロシア美人、ラテン系美人、イタリア系美人、イメージする美人は違うでしょう。
でも、どの美人でも私はいいんです。
そのキャラが美人である事が大切なのであって、どの系統の美人であるのかは、本筋には関係ないから。
関係してるなら書いてるよ。
アティは『清楚可憐系美幼女』。ベルナは『猫目小悪魔系美幼女』。全然違う系統の美幼女である事が、作品で大切だったから。
ね。
意外と気を遣って書いてるんだよー。
私が何度も読み返すのは、ひとえに全て『読み易さ』の為。
書いてる時は映像イメージがあるからすんなり読めても、それはその時の自分だけで、三日後の自分には『?』ってなるかもしれないし。
そうなったら、予備知識がない読者さんは更に『?』ってなるじゃん?
これはね、プログラムの仕様書を書く時に意識してる事なんだ。
仕様書はね、自分の為に書いてるんじゃないんだよ。
その場に私がいなくても、そのプログラムが何を意図してそう組まれているのかを、私とは違う人生を歩いてきた人に伝える為に存在してるモノだから。
業務知識がない状態で読んでるかもしれない。IQも違うかもしれない。
IQ上の人に合わせても意味ない。自分と同じか下の人にも、分からないと仕様書は意味がない。
私が、ある日突然トラックに轢かれた時。
全然業務で関わらなかった人が、私の仕事を引き継ぐってなる可能性もある。
その人が、できるだけ時間をかけずコスト最低限で、すぐ理解してもらう為に、仕様書を書いてるんだよー。
いや、私は派遣で仕事してたからね。
独りよがりの仕様書に、血反吐吐く程苦しめられたんだよ……
他人にはそんな思いをして欲しくなくてな。
上司にも言われた。『三年後の俺が読んでも分かる資料書いてくれ』って。
ソレを小説でも心がけてるだけだよー。
改めて結論。
私が数値や単位を書かないのは、具体的な表現は、人によって感じ方が違う可能性があり、伝えたい感情が上手く伝わらなくなってしまう、可能性があるから。
具体的内容より、イメージと感情優先。
あとは、整合性を取りやすくする為。
すべては、『読みやすくて簡単』だと感じる文章にしたい為。
以上!
横道逸れた!
次からは元に戻すよ!
それではね!!
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