第122話 歓喜の歌

「エストリーゼ、そろそろ出かけた方がいいと思いますわよ。――それにしても、そのお姿を拝見しますと、わたくしたちの出会いの日を思い出しますわね」



 アフロディーテは過ぎし日を思い浮かべて目を細めた。



 全身黒の衣装。


 アポロン神殿の噴水でアフロディーテと出会った時も、この衣装を着ていた。



「そうね。あの時は驚いたわ。こんなに綺麗で可愛らしい愛と美の女神が、アポロンに向かって短剣を投げつけたんだもの」


「まぁ、嫌ですわ、もう忘れてくださいね。あ、でもまたお兄様がちょっかいを出すことがありましたら、今度はわたくし、槍を投げようと思っていますの。既にアレスからたくさん奪ってありますから、乞うご期待ですわ。おほほほほほ」



 アフロディーテは見事な金髪の下で、空色の瞳を楽しげに揺らした。



「さぁ、お出かけください。忘れ物はありませんわね?」


「この楽譜さえあれば何とかなるわ」



 エストリーゼは愛おしそうに腕に抱える楽譜を撫でた。



「わたくし達は後ほど会場へ向かいます。あぁ、どうしましょう。エストリーゼよりわたくしの方があまりの緊張に卒倒してしまいそうですわっ。我が子の晴れ舞台を祈る母親の気持ちとは、こういうものなんでしょうね!」



 母親って――。



 アフロディーテはひとりで勝手に感激して両手を揉み絞っている。


 引き攣った顔をエストリーゼはそっと返した。



「か……開演は夜よ。寝てるグラウも必ず叩き起こしてきてね。それから退屈してる他の神々も連れてきてくれてかまわないから。じゃ、あとで」



 黒い衣装をはためかせ、足早に駆けていく。


 庭園に出ると、一気に空へと飛び立った。



 神膜しんまくを飛び越え、人間の世界へと飛び込む。


 と、心と身体が歓喜の歌を奏で出す。



 エストリーゼは、ゼウスも誘うようにアフロディーテに伝えていた。


 渋々だったが彼女はそれを承諾してくれた。



 ゼウスがアテナを殺した本人だと知ったアフロディーテは、一時手を付けられない程に逆上した。


 彼女だけでなく、その事実を知ったオリュンポス十一神は、ゼウスに対して少なからず不信感を抱くようになっていた。



 彼らは全能神の小心に幻滅し。


 そして、ガイアの予言をその心に肯定させていったのだ。


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