第118話 変態ドスケベマゾ男

 目を閉じると。



 初めて出会った日を思い出す。


 あまりに美しすぎる指揮者の登場に聴衆も出演者も、そして自分も圧倒された。



 あの時にもう一度戻れたならば――。



 きっと自分はこれからも、そう後悔の念を抱き続けるのだろう。


 辛くて涙を流す日もあるのだろう。



 だけれども、それを忘れてはいけない。


 償う心はその記憶の上にこそ成り立つものなのだから。



 そして、彼も自分と同じ。



 罪の意識を背負って、彼は彼なりに己を律し、償いの日々を送るのだろう。


 エストリーゼは瞳を閉じ、自分の数奇な運命を顧みるのに没頭してしまっていた。



 流石にどれだけ時間が経っても予想する展開が訪れないのを訝って、恐る恐る薄目を開けて見る。



 目前には笑いを堪え、悶絶する宝石のような男がいた。


 必死で声が漏れてしまうのを我慢していたようで、目の端に涙さえ浮かべている。



「だ……駄目だよ。君は今、ほんの少しならいいだろうって、私に気を赦しただろう?」



 最後は笑い声へと変わった。


 堪えきれずに溢れ出た笑いは、横腹の傷を刺激したのだろう。



 肩を揺らしながらも、アポロンは苦痛に呻いている。


 エストリーゼの顔はみるみる真っ赤に染まっていった。



「そそそそそ、そんなこと!」



 恥ずかしさに発火しそうなほど赤くなった顔で、アポロンを正面から睨み据える。


 彼はそんな彼女の様子に大満足の表情を浮かべた。



「ひとつだけ大切なことを言っておくよ。いいかい? 君はね、私をこばみ続けてくれないといけないんだよ? 私は一生懸命君の気をひこうとあの手この手と切磋琢磨せっさたくまするんだ。だけど君は、そんな私などには決して振り向かない。私はそれでも君を想って悶え苦しむんだ。そうして、少しずつ君の心は開かれて、いつか私のものになる。こういうシナリオなのだから、すぐに落ちてしまっては困るんだよ?」



 アポロンは自分に酔ったように語っている。


 拳をわなわなと震えさせながら、エストリーゼは大声で怒鳴った。



「へ、変態ドスケベマゾ男!」


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