第103話 終末の時

「言ったとおりだ。おまえはわしの希望だからだ」



 エストリーゼへと指差し、カサカサと掠れた声で笑う老人。


 まるで狂人のようだ。



「恐怖に負け、そんな己に絶望し、鋼砦ごうさいに閉じこもることしかできなかった哀れな老人のたった一つの希望。それがおまえだ、女神継承者エストリーゼ。ゼウスはもうすぐわしを討つ。混沌カオスの意志、ガイアの予言通りにな」



 クロノスは今にも裂けんばかりに両目を見開き、口角をあらん限り引き上げる。


 皺深い両腕を天へと掲げ、不気味な笑声を解き放つ。



「ふははは! そしておまえは、いつかこの神々の世界を封印する女神なのだ! あいつも、わしと同じ――」



 轟音がクロノスの言葉を遮った。


 眩いばかりの光が弾け、激しい稲妻が辺りを照らす。



 戦慄わななく腕を伸ばすクロノスの身体からは、槍の先が突き出ていた。


 爆音を立てて現れたのは見覚えのある巨躯。



 全能神、ゼウス――。



 真っ黒な鎧を纏い、多くの血を浴びた顔は赤茶けた筋を帯びていた。


 彼が持つ雷霆らいていからはバチバチと爆ぜるような鋭く超大な電流が迸る。



 燃え盛る光彩メランムを全身からみなぎらせ、今にもこの地を焦がし尽くしそうな気を放っている。



 クロノスが吐く呪詛の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。


 ぐしゃりと鈍い音を立て、ゼウスはクロノスの左胸に新たな槍を突き立てる。



 クロノスは断末魔の声さえもあげることなく絶命した。


 哀れな老人は、その小さな身体には不必要と思われるほどに大きな槍を突き立てられていた。



 その姿のまま、この場所が彼の墓となるのだろうか。


 神が神を殺すとは、こんなにも無慈悲なことなのだろうか。



 自分の子をこれ程までに恐れなくてはならなかった宿命とは。


 いったいどんな罪であり罰なのだろうか。



 クロノスの死した姿はエストリーゼの心臓を鷲掴みにし、耐え難い苦痛を与えてくる。



 だがこの瞬間に、王権はゼウスのものへとなったのだ。


 立ち竦むエストリーゼに歩み寄ると、ゼウスは肩に手を掛けた。



「よくやった、女神継承者エストリーゼ。もとは人間だったとはいえ、流石にアテナが選んだ娘だ。あとのことはアレスに任せ、おまえはわしと共に神殿へ戻れ。いろいろと忙しくなるぞ」


「あ、あの! わたしは神膜しんまくを――」



 ギロリとゼウスの双眸がエストリーゼの瞳を射た。


 すでにその目は王者の風格を湛えている。



 覇者の気に圧倒され、エストリーゼはその先の言葉を紡ぐことができなかった。



 ——今すぐに、プロメテウスを解放して!



 その一言を、歯の間から絞り出すことさえも叶わない。



「望みがあるのなら、あとにしろ。行くぞ、女神エストリーゼ」



 奥歯を砕かんばかりに噛み締めると。


 エストリーゼはゼウスと共に飛び立った。


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