第102話 現王クロノス

「くははは。やはりな。……おまえは、わしの希望だ」



 現れた男神の姿に、エストリーゼは目をみはった。



 小さな――老人。



 彼女の脳裏にはそんな印象しか映らなかった。


 ゼウスのような威圧感も、王者としての威厳さえも感じさせない。



 ただ死を待つだけの哀れな老人。


 誰の期待も受けず、わずかに点る炎だけを必死に守り続ける儚い蝋燭ろうそくのような。



 一吹きの息で掻き消えてしまうちっぽけな存在。



「驚いたか、わしのこの姿を見て」



 質素な椅子に腰掛けた皺深い老人は、剣をだらりと下げたまま呆然と立ちすくむエストリーゼに静かに語った。



「かつてわしは父ウラノスを倒したが、それとて毒を盛り背後を襲った、卑怯千万な方法だった。わしはもともと小心者だったのだ。だがそれでも、王権を狙うわしの双眸には強い光彩メランムが宿り、それが野望を叶えさせた。王権を手に入れるそのときまではな……」



 王者となったクロノスを待っていたのは未来永劫続くはずの栄光ではなかった。


 その身に下されたガイアの予言が、彼を心身共に臆病者へと変えてしまう。



 いつかゼウスに倒される――。



 絶対的な運命に恐怖して、クロノスの身体は小さく萎縮し老化していった。


 不老であるはずの神が恐怖に負け、徐々に身体が蝕まれていったのだ。



 そして、その事実がさらなる恐怖を招き、クロノスは絶望の連鎖に落ちていった。


 今の姿は、そのれの果て。



「なぜ……なぜあなたはアテナを殺したのですか?」



 エストリーゼの声は力を無くしていた。


 死を待つ老人の姿が彼女の覇気を奪っていたのだ。



 諭すように訊いた言葉は、どこか祈りに似ていた。



「誰も、絶対的な恐怖には勝てぬのだ。アテナを殺したのも、募る恐怖だ」



 エストリーゼの問いにクロノスが返したのは曖昧な答えだった。


 彼の言葉は決して虚言ではない。



 それは直感的に分かった。


 けれど、それ以上の解釈は見出せなかった。



「わたしにはよく分かりません。では、なぜあなたはわたしを殺さず、女神継承を促したのですか?」



 クロノスは皺深い顔に苦笑を浮かべると。


 震える腕を掲げ、まっすぐにエストリーゼを指差した。


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