第88話 もう誰も失いたくない

 天空神ウラノスと大地の女神ガイアの息子たち。


 それがヘカトンケイルと呼ばれる三兄弟だ。



 ブリアレオス、コットス、ギュゲスと名付けられた彼らは、この呪われたタルタロスの谷に幽閉された。


 父ウラノスが、己の息子であるにも関わらず彼らの醜悪な姿を徹底的に忌み嫌ったからである。



 クロノスが父ウラノスを倒すと、彼らは一旦解放され自由を手に入れる。


 しかしその自由は一時だけで、すぐにまた幽閉されてしまう。



 父ウラノスと同様にクロノスも彼らを嫌い、その力を恐れたからだ。



 その姿とは別名を「百手巨人ひゃくしゅきょじん」とも言われる通り、ひとつの身体に五十の首と百の腕を持つという奇怪千万な風貌であった。


 さらに彼らは途方もない巨躯と怪力の持ち主であったため、クロノスはそれぞれを巨大な空間へと閉じこめた。



 そして堅牢な扉を設けると、入口を固く施錠した。


 その扉を開く鍵が、ガイアから預かった金銀銅の三つの鍵だ。



「グラウコーピス、あなたはエストリーゼと一緒に金の扉へ。どうぞ冷静なその心で、彼女を守ってくださいませ」



 微笑むと、アフロディーテは自分の肩に乗るグラウコーピスをエストリーゼの肩へと移動させた。



「アフロディーテ、まさかあなたも? 駄目、そんなに華奢な身体で、綺麗な顔に傷でもつけたら大変だわ。アフロディーテはここで待っていて。ブリアレオスを味方にしたら、わたしが銅の扉へも入るから」



 アフロディーテが三つの扉のうちの一つを担当するという計画にエストリーゼは猛反対した。



 彼女と一緒にいると、どうしても守るべき対象だと感じてしまう。


 たったひとりの妹タミアを、その姿に重ねてしまうからだ。



 もう大切な家族をこれ以上失いたくはない。



 アフロディーテは美しくも不死である女神だと頭では分かってはいるのだが、そう思わずにはいられなかった。



「まぁぁぁ! なんて嬉しいお言葉でしょう! わたくし、このまま命を失っても悔いはございませんことよ。でも、ご心配なさらないでくださいませ。わたくしは必ずギュゲスを味方につけて無事に帰還致します。いいえ、味方だなどとケチなことを言わず、下僕げぼくとして連れて参りますわ!」



 歓喜の声をあげエストリーゼの胸へ飛び込むと、アフロディーテは小鳥のように彼女の頬へキスをした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る