第84話 もう騙されない

「エスティ、違うんだ! 気持ちは分かるけど、ドリピス村のみんなを殺したのは彼じゃない! それに彼は君に協力を――」


「そんなの分かってるわ。グラウは黙ってて」



 殺気立つエストリーゼの気を鎮めようと懸命に訴えるグラウコーピスを一喝する。



 ゆっくり時間をかけて振り返ると彼に向き直った。


 数歩進んで、剣の切っ先を真っ直ぐに男へと向ける。



「わたしは赦せない。あなたは最初からわたしの願いなど叶えるつもりはなかったのよ。退屈するのが何よりも嫌いなあなたは、絶望するわたしの姿を見てさぞかし楽しんだことでしょうね。累々るいるいと並んだ家族の首を見て、廃人と化しそうになったわたしの姿はどうだった? それはそれは愉快な姿だったでしょう!」



 辛辣な言葉が下されても、アポロンは動じることなくゆっくりと歩み寄る。



「わたしだって分かっているわ。神々にとってわたしたち人間なんて、肉眼で確認できないほどの小さな小さな存在なんだってことぐらい。あなたとわたしたちとでは、その価値に絶対的な格差がある、それが現実だってことぐらい分かってる。だから、あなたが村のみんなを助けなかったことをもう責めたりはしないわ。それはわたしの責任。望んではいけないことを望んだわたしの罪であり罰だったのよ。だけど――だけどそれなら何故約束なんてしたの? わたしが赦せないのはあなたの裏切りよ」



 剣の切っ先が喉元へ届く距離まで近づいたところで。


 アポロンはその場へスッと片膝をついた。



 長く美しい右腕を左胸へと当て、黄金の目を閉じる。



「私には何ひとつ言い逃れはできない。君が望むならば今ここで私を斬ればいい。君が振るう剣ならば、たとえ神のやいばであろうとも喜んで受け入れよう」




 誰がこの男に今の姿を思い浮かべることができようか。


 夢にでも想像するなど赦されないだろう。



 太陽の神が、呪われたタルタロスの谷で。


 猛毒が地を覆う薄汚い場所に膝をつく姿など。



 不測の衝撃に襲われ、エストリーゼは踊り狂う鼓動に打ち震えた。


 けれど、歯を食いしばり、その隙間から猜疑の言葉を吐く。



「わざとらしい態度はやめて。わたしはもう騙されないわ。どうせまたからかって楽しもうと企んでいるのでしょう? それに、だいたいその髪は何? 黒髪になんか染めてみたりして嫌味ったらしいわ。ちっとも似合ってない」



 アポロンは黄金の目を開くと、エストリーゼの瞳をじっと見上げた。


 そして、端正な口元を少し綻ばせる。


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