第十五章 永遠の贖罪

第80話 タルタロスの谷

 タルタロスの谷――。



 それは、神膜しんまくとの境に出現した禍々まがまがしいタルタロスの丘よりさらに南の海底にある。


 水深二千メートルを超える深海に同期シンクロし、姿を現しているはずだ。



 光が透過せず光合成の行われることのないその世界には、魔物でなくとも不気味な生物が生息している。


 目の前を、内臓を透かした巨大な魚が発光しながら泳ぎ去っていく。



 さらに先へ。


 冷たく暗い水間を進むと、突然海水のない空間へと躍り出た。



 頭の上には海底、足元には深く険しい渓谷が広がっている。


 谷は神界の影響を受けてか、ぼんやりと明るく横たわっていた。



 赤茶けた渓谷は見渡す限り遠くどこまでも続いていそうだ。


 ヘカトンケイルがいる場所への扉とは、一体どこにあるのだろうか。



 エストリーゼは海底と渓谷との間を飛び、適当な場所へと降りてみることにした。


 谷底には川はなく、延々と乾いた大地が大蛇のように横たわっている。



 毒を含む瘴気は濃い紫色の霧となり、微かに流れる空気に混ざって漂っている。


 濃密な瘴気はエストリーゼの身体を痺れさせてくる。



 けれど、女神の力を持つ身体は毒を即座に浄化していった。



 魔物がいない。



 この谷には、タルタロスの丘のように地を這う魔物も翼ある怪物も見当たらなかった。


 丘より強い瘴気のせいか。



 それとも――。



 ゥガガァァァォォオオオ!!



 突然、谷を獣の咆哮が突き抜けていった。


 地に転がる小石を浮遊させるほどの大きな鳴き声。



 それはエストリーゼに巨大な怪物の姿を連想させた。



「まさか……」



 この声の主がヘカトンケイルなのだろうか。


 ガイアの息子が怪物だとでもいうのだろうか。



 知能を感じさせない雄叫びの主に、味方になるよう説得するなど果たして可能なのだろうか。


 エストリーゼの額に焦燥の汗が滲んだ。



 けれど向かわなくてはならない。


 避けては通れない。



 咆哮の聞こえてくる方角へとエストリーゼは歩を進めた。


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