第78話 最後の鍵

「……お兄様、はかりりましたわね」



 アフロディーテは秀麗な眉根を寄せ、黒髪の下にある空色の瞳でアポロンをめ付けた。


 長い指で艶やかな黒髪をもてあそびつつ、いつものように「さあね」ととぼけるアポロンへ勢いよく詰め寄る。



「どうもおかしいと思っておりましたわ。お兄様とは犬猿の仲であるわたくしが同行するというのに、一言も不満をおっしゃらなかった。目的地もタルタロスと言いながら、実際に向かったのはここガイアの神殿。最初から騙しておいででしたのね! しかも、あろうことかグラウコーピス、あなたも加担なさったりして!」



 ターコイズの瞳を細め、自らの肩に乗るふくろうをジロリと睨む。


 身をすくめながらグラウコーピスは素直に謝罪した。



「ごめん、アフロディーテ。だけど、君の力が必要なんだ。ヘカトンケイルは三人いる。全てを味方にできなければクロノスを倒すなんて無理なんだ。君だってエスティを迎えに行くつもりだったんだろう? だから勝手だけど、協力してもらえるって信じてたんだ」



 アフロディーテはグラウコーピスの言葉に耳を傾けることなく勢いよく両腕を腰へと当てる。


 仁王立になった状態で、徐にアポロンへと向き直った。



 まるで平伏しろと命じるような大きな態度。


 しかし残念ながら相手が悪かったようだ。



「嫌ならひとりで帰るかい?」



 うっ、とアフロディーテは歯嚙みする。



「君の絶望的な方向音痴では、いつになったら神殿へ戻れるかこの私でも見当がつかないけどね。まずはこの真っ暗な地底から、ちゃんと迷わず地上へ出るんだよ? それから自分がいる場所を把握して方角を定めてから神膜しんまくの向こう、神殿へ向かわなくては君は永遠にぐるぐるとこの星を回ることになる。――それとも、ここは大人しく私に協力して髪粉かみこの貸しを返してくれるかい?」



 一番気にしている弱点を突かれ、愛と美の女神は可憐な頬を引き攣らせた。


 今までも何度か迷子になって行方不明になった黒い歴史があるのだ。



 もう子供ではないし、なんといっても女神なのだから、当然誰も捜しに来てはくれなかった。


 アフロディーテは何年もひとり彷徨さまよい、ボロボロになって這々ほうほうていで神殿へ辿り着いた時の恐怖をまざまざと思い出した。



 けれど、兄の卑怯な言い回しに簡単に屈してしまうほど、アフロディーテは素直ではない。



「いいえ、いいえ! わたくしはもとより、エストリーゼのためなら一肌も二肌も脱ぐ所存でしたのよ。わたくしが気に入らないのは、お兄様のその卑劣なやり方ですわ! あんな髪粉の借りなど、もっと陳腐ちんぷな方法で後ほど改めてお返しいたしますっ」



 鼻息を荒くして言い返すと、アフロディーテは桜色の唇に覚悟を決めたような笑いを浮かべた。


 そして、ガイアの前へ細腕を差し出す。



「ガイアのオバ様。最後の鍵を――どうの鍵をわたくしにくださいませ」


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