第72話 神の存在意義

「それでもわたしは問いたいのです。この世界が混沌カオスから生まれたと言うのならば、わたしはあなたの口からその答えを聞きたい」



 それが第一歩だ。


 でなければ、自分は前に進めない。



 うずくまるエストリーゼは深紅のトーガの裾を千切れんばかりに握りしめ、ガイアを睨み付けた。



「つまらんな。誰もが既知するような話を、わらわが口にせねばならぬとは。じゃが、そなたが望むならそのままを答えよう。わらわの言葉は、現在も過去も、未来においても真実じゃ」




 ガイアは語る。



 いかなる努力を重ねても、人間にはどうすることもできない現象がある。


 洪水、干魃、飢饉、疫病。



 自然の脅威の前に人は絶望する。


 ふりかかる不条理な不幸をりっするために、人は神を必要とする。



 そうでなければ生きていけぬほど、人とは弱い生き物なのだ。



 神が人の上に立つのは、世界が創造されたときより成り立つ徹底した階層秩序に他ならぬ。


 もとより同じ天秤に乗せられる存在でもなければ、神には人間の声に耳を傾けないことを責められるわれなどあるわけもない。



 神と人との存在価値は、明確な不等号で結ばれている。


 神から見れば人間の存在など無限の塵芥ごみあくたと同様なのだ。



 エストリーゼは残酷な現実に圧倒された。


 すでに理解していたとは言え、頭で分かっているのと大地の女神ガイアの口から発せられるのとでは訳が違う。



 しかし、それでも教えを請うたのは自分だ。


 他ならぬこの自分だ。



 衝撃に打ち震える身体を両手で抱きしめると、エストリーゼは再びガイアに問うた。



「ならば、わたしは自分の意思で進むことが赦されるのでしょうか? アテナを継承した女神として、だけど人の心を持ち続けながら」



 ガイアのおもては今までとは違う表情に移り変わった。


 驚愕の双眸は、未知に出会った好奇心に彩られている。



「……わらわに答えがあるとすれば、それはただ一つ。混沌が赦すならば、と」



 その答えは、思いがけずエストリーゼに言いしれぬ恐怖を与えた。



 輪郭の緩い未来への不安。


 不明瞭な遠い未来への憂い。



 無意識に、エストリーゼの口から掠れ声が漏れた。



「いつか……わたしは、あなたを――?」


「……さてな」



 諭すようなガイアの声が、エストリーゼの問いを肯定していた。


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