第68話 混沌のもとへ

「お、お兄様、まさかご自分がエストリーゼを迎えに行くとでもおっしゃいませんよね? いくら彼女がさらわれたのが不甲斐ないお兄様のせいだったとしても、そんな柄でもない行動をなされますと、この世の摂理がおかしくなりますわ」



 訝る視線を受け流し、アポロンは淡々と準備を進めている。


 寝台に腰を掛け、サンダルを履き黒い革紐で編み上げいく。



「何を馬鹿な。アフロディーテ、こんな楽しそうな事件を、この私が見逃すと思ってるのかい? 彼女を迎えに行くのと同時に、タルタロスでの冒険ができるんだよ? まさに一石二鳥じゃないか。それにね、これをにもうひとつの目的を果たせるとしたら、それは一石三鳥とでも言ったらいいのだろうか――」


「ボクは三つ目については反対だ! エスティだってそれは赦さないと思うぞ」



 賢いグラウコーピスはすぐに反発した。


 実のない兄弟喧嘩はずっと無視していたが、アポロンのその言葉には聞き逃せない内容が含まれていたようだ。



「それはどうかな? 彼女だって真実を知ったら、私に賛同してくれるんじゃないかな?」


「おまえ、本気なのか?」



「……さあね」



 さきほどまでとは違う緊迫した空気が部屋を満たしていた。


 睨み付けるグラウコーピスと目を合わせる風でもなく、アポロンは額当ひたいあてに月桂樹の葉を取り付けた。


 月桂樹はアポロンの力を増幅させる植物だ。



 大きなターコイズの瞳を左右に動かしてから、アフロディーテは「はぁ」と大きく吐息を漏らした。



「わたくしにはお二人がされてる会話の意味など分かりませんわ。けれどエストリーゼが反対するというのでしたら、三つ目の目的はロクなものではないのでしょう。心配なさらなくても、きっとそんな計画はくじかれると思われますわ。ねぇ、グラウコーピス?」



 それでも二人の間に流れる張り詰めた空気は、なかなかほぐれることはなかった。


 しかし、暫くしてグラウコーピスの方が折れた。



 当然納得はしていないようだったが、空気を読んだグラウコーピスはあきらかにアポロンよりずっと大人だ。


 ここでせっかく動き出したアポロンのやる気を削いでしまうのは、小さなふくろうのグラウコーピスにとって得策ではないのだから。



「グラウコーピス。賢い君なら、私が最初に向かう場所は分かっているだろうね?」


「ああ、地底だ。星の中心、ガイアの神殿」



「えええ!? タルタロスではないんですの?」



 驚くアフロディーテを軽い笑声であしらって、三人は夜空へと飛び立った。


 ガイアの神殿。



 混沌カオスのもとへ――。


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