第61話 神々の駒

 低く豊かな男性の声音。


 けれどその声に、より一層アテナの心が激しく揺れる。



 苦しさのあまりに顔を上げることもできない。


 しかしそんな状態のエストリーゼに構わず、ゆっくりと彼の声が頭上から降り注がれる。



「アテナ継承者よ、聞くがいい。ここに答えはない。それはおまえ自身が悟るべきこと。だが、そのための情報は私から与えよう」



 プロメテウスの言葉が終わると同時に、エストリーゼがうずくまっていた場所は空白となった。


 彼女を苦しめていたアテナの心も次第に退いていく。



 呼吸が整ったところでやっと顔を上げてみる。


 と、突然、目の前に巨大な石像が現れた。



 それはエストリーゼの背丈よりずっと大きなものだった。


 けれど、見上げてみると馬の形をしていることが分かった。



 これは――こま



 確信は全くなかったが何故だかそう思った。


 その石像は馬の形に彫刻されている。



 次いで、どこからとも無く巨大な手が現れたかと思うと、馬の石像をひょいと掴み上げた。


 その様子にエストリーゼは目をすがめる。



 いくつもの小さな声が聞こえるような気がして、耳も鋭くそばだてる。


 馬の石像からは、たくさんの何かがこぼれ落ちていた。



 それらは石像から落ちまいと必死に藻掻もがき、けれど結局は、悲鳴をあげて虚しく落ちていく。



 人間だ。



 いや、様々な動物の姿も入り混ざっている。



 奇妙な現象をいぶかりながらも、先ほどまでの苦悶から完全に解放されたエストリーゼはその場にすっくと立ち上がった。


 そして自分が想像する答えが正しいかどうかを知るために、大きく後ろへ飛ぶ。



 まだ距離が足りないと思うとさらに後ろへと数回飛んだ。


 視界いっぱいに、色の違う升目ますめが交互に並んでいる。



 升目の中には騎士や王など、他の形の石像も配置されていた。


 やはりこれは巨大なチェス盤。



 先ほど見た馬の石像はナイトの駒だったのだ。


 その他の駒もナイトやキング、クイーンと考えたとしたら間違いない。



 そして左右には、寝そべってチェスを楽しむ巨大な人物がいた。


 豊かな髪と髭を蓄えた彫りの深い面持ちは人ならぬ存在としての威厳を湛えている。



 これが――神?



「そうだ。これが神々の真の姿。永遠に娯楽を貪る哀しき存在」



 姿は見えないが、プロメテウスの声がエストリーゼの心の問いに答えた。



 彼は確かに「娯楽」と言った。


 駒からこぼれ落ちる命などに、神はその目もその耳さえをも向けることはない。



 これが現実だというのだろうか。



 母親が、父親が、妹が。


 ドリピス村のみんなが死んだのも神々にしてみればこの程度のこと。



 ひとつの駒にしがみつき、だが結局はこぼれ落ちて消えてゆく。


 そんな塵芥ごみあくたの如く微細な存在。



 信じて祈れば救われるなどと、誰が言った戯言ざれごとだろうか。


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