第43話 アポロンの離脱

「だからね、私は嘘などついてはいない。君が私を楽しませることが条件だったんだよ?」



 エストリーゼは分かるような、だがよく分からないという顔をした。



「なんだかおかしいわ。神様ってそんなに暇なの? いつもいつも娯楽をむさぼってばかりいるみたい。あなたもアフロディーテも、それに晩餐会での会話だって――」



 彼らは初めての敗戦を悔しがってはいなかった。



 それどころか。


 心を躍らせているようにさえ感じた。



 本当にティターン神族に勝つつもりはあるのか。


 そう疑いたくなるほどに。



「まぁ、人間には分からないだろうねぇ。君もアテナ継承が完了して、数百年ほど過ごしてみれば分かることだ。だけど、なにも焦ることはない。それより人間である今を楽しんでおいたほうがいいだろう。――さぁ、この下が目的地だ」



 雲を抜けると、突然視界がひらけた。



 世界地図を拡大していくように。


 足元に見知った土地がぐんぐんと広がっていいく。



(ああ……ここは)



 大切な家族が住む世界。


 故郷、ドリピス村。



 夜空に輝く星々のように、足元にも家の明かりによる星が瞬いていた。


 だんだん地上に近づいていくに連れ、教会や家々の輪郭が暗がりの中にぼんやりと見えてきた。



 突然。



 エストリーゼの眉間を何かが弾けた。


 閃光のように鋭い直感。



 細く鋭い針で脳天を突かれたような、暗い閃き。



 ――危険。



 隣に佇むアポロンも、秀麗な眉を異常なほどにしかめている。


 そのおもてに浮かんでいるのは、かつて一度も見せたことがない焦燥の色。



 黄金の瞳を厳しく眇め、何かを危惧しているようだ。



「まずいな……私は先に行く。グラウコーピス、君が彼女を連れてきてくれ」


「何かあったのか!? なんだろう、この嫌な感じ……」



 グラウコーピスの問いも空しく。


 アポロンはひとり球型の障壁を出ると、すぐに足元の地上へと吸い込まれていった。



 まるで引力にひかれ、真っ逆さまに落ちていくように。


 底なしの沼へと沈んでいくように。


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