第42話 アテナの提案

 ゲホゲホと情けなく咳き込みながらも、アポロンは呆れたように抗議した。



「まったく凶暴な女神様だ。そんな君がもうすぐ死んでいくなんて、まったくもって信じられないな!」


「だが本当だ。見ろ、この傷を。神のやいばが心の蔵を貫いている。医術の神であるおまえの力でも治せまい」



 アテナは血のついた胸当てを脱ぎ去ると、徐にその胸の傷を見せた。


 アポロンは傷の具合を診るわけでもなく即座に同意する。



「ああ、まったくだ。不死の君の身体は懸命に再生しようとしているけれど、神の刃のせいで回復する前に命が尽きてしまうだろうね。――恨まないのかい? 君をそんな目にあわせた者を」


「愚問だ、アポロン」



 そうだったね、とアポロンは肩を竦めた。



「じゃあ、その、願いを叶えて欲しいという人間は魅力的な娘なのかい? 私を楽しませてくれそうな?」


「おまえ、今日は本当に冴えてるな! よく依頼者が若い娘だと分かったな!」



 またしても、アテナは彼の的確な勘に賛辞を呈した。


 そして仏頂面で深く長い溜息をつくアポロンへ話を続ける。



 急速に儚くなっていく翠緑の目に、最後の笑みを浮かべて。



「おまえの竪琴によく合う声をしている。きっと楽しませてくれるだろう。どうだ?」


「声か……いいね。ただし、彼女が私を楽しませることができたらね。それが条件だ。――で、その人間の情報は? 例えば、名前とか?」



「知らん」


「……」



 アポロンは堂々と胸を張るアテナに白い目を向けた。


 その視線に気づいて、アテナは驚愕の声をあげる。



「まさか、名が必要だったのか?」


「……いや」



 そうだろうな、とアテナは安堵の言葉を漏らすと、血で塗れたストールを拾い上げた。



「娘の場所はこれで分かるだろう。頼んだぞ……」



 金髪の一房が白銀髪の男に触れ。


 ストールを手渡すままにアテナの身体はアポロンの腕へと落ちていく。



「好きだった。おまえの竪琴が――」



 彼女の最期の言葉に。


 アポロンも最後の不満で応える。



「竪琴……ね」



 そのままアテナは動かなくなった。


 彼女を抱いたまま、黄金の双眸を静かに閉じる。



 遠ざかる鼓動を。



 最後まで聞き逃さぬように――。


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