第37話 堪えた方がいい

 瞬間。


 エストリーゼを襲っていたゼウスの光彩メランムは、嘘のように断ち消えていく。



「ゼウス。今日のところはそこまでで。楽しい晩餐会の途中ですがここで失礼して、私と彼女は二人で出かけます。何処へ行くのかと、野暮なことは訊かないでくださいよ? それでは、ご機嫌よう」



 アポロンは放心状態のエストリーゼの手を取り、自然な振る舞いで立ち上がらせる。


 踊るように優雅に体を回し、震える彼女の肩をぐっと抱いた。



こらえた方がいい」



 耳元で囁くアポロンの声に。


 エストリーゼはハッと我に返る。



 震え続ける自分の腕を見て絶句する。


 握っているのは、銀のディナーナイフ。



(――いったいわたしは)



 これを使って何をしようとしていたのだろうか。


 自分の行動が何処へ向かっていたのか分からずに、エストリーゼの心は不安でいっぱいになった。



 そんな彼女を気にする素振りも見せず。


 アポロンはこの上なく高貴な紳士よろしく彼女の手を取り、他の神々に不審な目を向けられながらも優雅に退出した。



 部屋を出た途端その場へ崩れ落ちそうになるエストリーゼをさり気なく支え、アポロンはそのまま足早にゼウス神殿を去っていく。


 庭園に出ると、夜空をグラウコーピスが飛んできた。



「この庭はボクの好みじゃなかったな。アポロン神殿の方がずっと趣味がいい」



 陽気に声をかけるグラウコーピス。



「グラウコーピス、なにを今更。私の神殿が一番美しいに決まっている」



 アポロンは何事も無かったように答える。


 ゼウス神殿は、アポロン神殿の数倍はあるかという大きな神殿だ。



 しかし、恐らくアポロン神殿の方が庭も建造物もずっと洗練されているのだろう。


 グラウコーピスはそんな印象を受けたようだ。



「あれ? エスティ、大丈夫か? 顔色が良くないけど」


「ええ……大丈夫、少し疲れただけ」



 エストリーゼの状態に、グラウコーピスは心配そうな目を向けた。


 彼女の顔色は異常な程に青い。



 しかしアポロンの次の言葉が、エストリーゼを一気に奮起させた。



「よく堪えたね。今の君にしては上出来だ。だけど、そろそろ出発しないと間に合わなくなるよ? 君の大切な人たちを助けるんだろう?」



 エストリーゼはその目にみるみる希望を湛え、大きく見開いた。


 すべてはこの時のため。



 ともすれば涙が滲んでしまいそうなのを。


 エストリーゼはぐっと堪えた。



「はい、よろしくお願いします!」



 渾身の思いでお願いすると、ぺこりと勢いよく頭を下げた。


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