第28話 愛と美の女神アフロディーテ

 眼球を動かして恐る恐る見てみれば、鋭い短剣が噴水の縁へと突き刺さっている。


 二人の間を引き裂くように。



 飛来時の勢いの凄まじさを表すように、硬い大理石を深々と割っていた。


 短剣が食い込む場所から見て、狙われたのはアポロンのようだ。



「見下げ果てた男ですこと! わたくしのお姉様から離れなさい!」



 その声は、幼さをほんの少しだけ残していた。


 釣られるように神殿入口へ目を向けると、ひとりの美少女が立っていた。



 艶やかな金髪を靡かせて。


 その下にある小さな顔はまさしく極上の妖精そのもの。



 大きな瞳は空を映す水色で、形の良い唇は薄紅色をしている。


 造形美と表されるにふさわしいその美しさは、訊かずともその名を想起させた。



 ――愛と美の女神、アフロディーテ。



「すっかり失念していたよ、アフロディーテ。アレスより、もっと無粋な君のこと……」



 アポロンの言葉が終わる前に、新たな短剣が迷うこと無く彼のもとへと飛んでいく。



「油断なさいますな、お兄様! 短剣は一本ではありませんのよ。アレスからたくさん奪ってきましたから」


「いったい君もアレスも、どうして私の神殿にズカズカと無断で入ってくるんだい?」


「あら、お兄様。まさかご存じなかったのですか? 以前から愚かな兄だとは思っておりましたが、ここまで酷いともはや死んでいただくしかありませんわね」



 美貌の少女の手からは、淡々と短剣が投げ続けられている。


 茶会のような優雅な口調だが、その内容は殺伐としていた。



 飛んでくる短剣を避けながら、アポロンは意味が分からないと肩を竦める。



「仕方ありませんわね、教えて差し上げますわ。お兄様の結界など、わたくしにとっては無いに等しいのです。くびきの腕輪はよこしまな心ゆえお得意のようですが、結界による排他処理は絶望的に脆弱ですわ。まぁ、アレスは馬鹿力で入っただけでしょうが……。わたくしのに手を出すなど、断じて赦しませんわよ!」



 最後の言葉と同時に。


 アフロディーテは手に持つ短剣を連続して一気に投げつけた。



 しかしアポロンは、特に焦る様子もなく華麗に身体を捩って避けていく。


 全ての短剣を投げ終わったアフロディーテは、両手を払うと至上の笑顔を見せた。



 二人の様子にエストリーゼはすっかり度肝を抜かれていた。


 が、突然鼻をくすぐる何かを感じて硬直する。



(この匂い……)



 急速に意識が奪われていく。


 エストリーゼの瞳には二人の姿は映らなくなっていた。



 軽いノリの兄弟喧嘩も、もう耳には届かない。



 エストリーゼは鼻を突く匂いの原因を探って、ひたすら視線を彷徨わせ始める。


 しかし、そんな彼女の異変に気づくことなく、二柱の神は口論を続けていた。


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