第9話 血の匂い

 草むらに両腕を着き荒い呼吸を繰り返す。


 苦しさに気が遠くなりそう。



 けれど、風向きが変わった瞬間……。


 ピタリと失いかけた意識が押し戻された。



 強烈な鉄の臭い。



(これは――)



 むせぶほどに鼻をつく――血の匂い。



 顔をあげたエストリーゼの瞳に、白銀に光る鎧を着た人影が映り込む。


 湖の岸辺、岩に背を預け座っている者がいた。



 やがてその人影は気怠い動作で兜を取り除く。


 と、金色の豊かな髪が溢れるように流れ出た。



 まるで黄金の川。



 緩慢な仕草で払われた髪は、オーロラのようにしなやかな曲線を描いている。


 月光を反射させる髪の下にあるのは、石膏のように白い顔。



 その美しいおもては、翡翠ひすいを思わせる緑の大きな双眸を携えていた。



「た、大変、怪我を……」



 思わずエストリーゼは悲鳴をあげ、その人物の側へと這うように駆け寄っていた。



 甲冑を着た女性の胸当てには大きな破壊痕があり、流れ出た血液が滑った光を放っている。


 遠目で見ただけでも傷はかなり深そうだと感じた。



 このままでは命に関わる。


 早く出血を止めるべきだ。



 そう思い至ったエストリーゼは首に巻いていた白いストールを素早く外した。



「慌てるな。この傷はどうあろうと塞がることはない」



 彼女から発せられたのは、少し低めの落ち着いた声。


 よく通る声音が湖を囲む森の中へとしみ込んでいく。



「で、でも……」



 放ってはおけない。


 足が濡れてしまうのも構わずに。


 エストリーゼは湖に半身を浸して背を岩にもたれ掛けている女性にさらに近づいた。



「助かるすべはないのだ。わたしの命は間もなく消えるだろう。それが定め、予言通りなのだから……」



 予言という言葉にエストリーゼの胸がドキリと高鳴る。


 村のうらないババの姿が素早く頭を過ぎった。



 だけど、それが何だと言うのか。



「予言なんて――わたしは……わたしたちは今、確かに生きているのよ。だからあなたも諦めてはいけないわ」



 岸辺に低音だが嬉しそうな笑い声が響く。



「ははは。おまえは優しいな。こんなわたしを助けようというのか?」



 美しい金髪の女性はそう訊ねながら、もう一度肩にかかる髪を払った。


 その表情が少し曇り、柔らかな何かを懐かしむような微笑を零す。



「本当に……人間とは真実……あの方のおっしゃる通りなのかもしれない」



 呟く彼女の声はあまりにも深い悲しみを帯びているようで。


 エストリーゼの胸を締め上げた。


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